goo blog サービス終了のお知らせ 

ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

小泉首相の靖国参拝とA級戦犯

2006年08月16日 02時44分54秒 | 格差社会と政治
小泉首相の靖国参拝に近隣諸国が抗議している。
NHKの番組中のアンケートでは、日本の若者層を中心に靖国参拝に賛成と出た。

15~20数年前だったろうか、終戦記念日が近づくと新聞の投書欄には元軍人の方の戦地体験が寄せられていて、それらを読んでいた私も大いに感化を受けた。
いまでも強く印象に残っているのが
『戦時中朝鮮で若い女性らを慰安婦として招集し、日本軍の陣へ向かうために山道を歩いていて崖にさしかかったとき、彼女らが慰安婦としての卑しめを悲観して崖から飛び降り自らの命を絶った。その時の叫び声が今でも忘れられない。』
という投書だった。
そのほかにもいくつも投書があったのだが日本が戦時中に多くの苦痛を近隣諸国に与えた事を知って、以来、個人ではあるが私も 日本はあなた方に対して大変申し訳ない事をした。と心に留め接するようになった。

すると、日本の戦争責任に対する意識の低さを感じるようになってしまった。
最近の北朝鮮問題のように、日本は外国、特にアジアの近隣諸国から攻撃を受けた事で始まった戦争ではない。
日本が攻め入った事で国際問題となり始まった戦争だった。

戦後も日本人はアジア諸国をさげすみ(差別し)傲った心を持つ日本文化が続いている。
逆に、1989年夏、天安門事件直後の北京を訪れた。
日本を発つ前、戦前中国で生まれ「戦争中は中国人に日本はひどい事をした」と話してくれた日本人と『中国に行ったら恨みを晴らされるかも』と心配していたが、中国では「日本から来た」と話しても皆が歓迎してくれた。
特に戦中を知るお年寄りの親切は格別だった。

戦後、長年にわたって米国を敵視していた元軍人が当然の日本の実情を目の当たりにしていた私だったから、中国の日本に対する態度は驚きだった。
中国人は心が広い。だから日本人の子供でも立派に育てあげてくれたのだ。
そんな国民文化の違いを知った中国旅行となった。

多くの命を奪う事を指揮した者がA級戦犯として裁かれ、多くの悲しみを拭ったはずなのに、今日のNHKに出演した 麻生外務大臣までが、
国際法ではA級戦犯だが(日本の)国内法では戦犯ではない。
戦犯として裁かれた者は悪いことをしたとは思ってはいないままで死んでいった。
などと話していた。

日本の政府ならびに、政府に寄生し地位や財を成す者達には 良心 は無いのだろう。
それら正義を否定する日本の政府の主張が 正しい事であると教えられ、また無知のまま判断する若者もやがて日本の中核を担う者となって行くのだろう。

小泉首相が参拝した靖国には 国内外の多くの命を亡ぼした者達が、軍人として犠牲となった人々と共に「神」として祀られているのだ。
日本はそのような事も若い国民には教えることが出来ない国なのだろう。

ニッポンの勝ち組(格差社会解消の恐怖)

2006年08月10日 15時59分29秒 | 格差社会と政治
『勝ち組で何が悪い!?』 そんな言葉も返ってくるだろうが、この「勝ち方」の多くは競争によるものでもないだろう。
格差社会と競争原理は同一線上にあると思うが、これを是とするのは 「公平で公正な競争」 の社会構造である。

大変申し訳ないが、
日本の勝ち組と囃し立てられている人物らは、決して自分一人の実力で得た「成功」には見えない。
もちろんどこでも人脈等による後ろ盾はあるだろうが、偏向しすぎている。
小さなところでは、
私の係わった複数の派遣会社は「儲かっている」事を自負していたが同時に「建設業界」との関わりと「天下り役員らへの接待」の話題が聞こえてくるのだ。

昨年の郵政民営化論議の時期「勝ち組」ともてはやされていた人物らは一転して犯罪人として裁かれようとされている。しかしすでに得た莫大な利益は彼らのものだ。

私が「知的財産(特許等)」を事業化できるかと思案したとき数ヶ月の検討の後、「日本では無理だろう」 と諦めた。
日本では、楽でリスクを低く事業化するためには、政財界や監督官庁等の高官ら が儲けられるシステムにすれば良いのだ。
無駄で高価で、一般の人々や弱者からゼニを巻き上げ、自社に役人(天下り)を迎える構造ができるなら その事業は比較的容易に成功するに違いない。 だが私の主義に反する。

バブル崩壊後の不況下の日本ではいっそうこの色彩が強くなり『 構造改革 』と声高に叫んではその実体は税金を含む大量の資金が特定のグループに集められる構造を確立したのだ。

昨年(2005年)「郵政民営化」を推し進めたのはこの構造的勝ち組であろう。
彼らが揃って推し進めてきた内容は、特定のグループに益をもたらすが、大多数を不幸にする構造だ。

もし真の勝ち組であれば『不公正構造の 改革・撤廃(てっぱい) 』に尽力するのは良心の産物の結果だが、
仕組まれた勝ち組ならば『不公正構造の 維持・完遂 』を推進しなければ彼ら自身の 勝ち を失う機会となるのであるから恐ろしい。

ニッポンの改革

2006年08月09日 14時08分32秒 | 格差社会と政治
政治ネタは避けたいところだが、個人の記録としては避けては通れまい。

『改革』の言葉がが大流行のニッポン。

しかしどうしても腑(フ)に落ちない。
改革とは先に進む、改善する、など 進歩 の意味合いを感じさせるのだが、実体は 後退 しているのだ。

最初の小泉内閣発足当時は、
長年政治の腐敗を産みだした政界と財界の癒着、すなわち官民癒着構造にナタを入れ解決に向かうと期待した。
しかし結果は、解決どころかさらに強力に癒着して、政界と大企業は冨み、労働者や弱者の一般市民 は苦痛にあえいでいる。

旧財閥は復活の兆しを表し、大企業や金持ちの優越と小市民の生活の低層化(格差社会化)。

労働者世帯は パート契約社員などの不安定雇用 に押し込まれている。
どの職場でもほとんどが派遣労働者。おかげで派遣会社経営は破竹の勢いで儲かっている。健全な労働環境にはほど遠い。
せっかく20数年前に土日休日の 週5日制が定着してきたのに、厚生省は週6日働いた労働者に一日の休日を与える法案を作成中だとか。
一定の残業代は支払わなくても良い等の話も聞いた。国家公認のサービス残業であろう。

今朝のニュースでも、自衛隊はどんどん海外に派遣するようにし、靖国神社は国営化を考えているという。

郵政民営化を争点にした2005年の衆院選挙では 自民党と公明党の保守票は合わせても過半数以下なのに、(議員の)数の力で民意を無視し、郵政民営化法案は通された。
その後も「ここぞ!」とばかりに好き放題をやってくれる行政。

何から何まで昔、戦前と戦中を生きてきた人々から聞かされていた日本。すなわち、終戦時解体された戦前の旧日本の構造に大逆戻りしているように感じる。

政官財界を「主」に、民を「従」に変えるのが 小泉自民党の構造改革であり、日本の民主主義であった。

わが人生の楽しくない 汚点 としてこれを記そう。

本日の、自動販売機での「当たり、もう一本」

2006年08月08日 00時15分36秒 | Weblog
一人でやってきた年配のご婦人に当たった。

しかし当たりだとは気づいてない様子。
※窓から声をかけても驚かすだけだから教えに行ってあげようか...?

おばあちゃんは取り出す前に、ほかのボタンもガチャガチャ押してみた。
「あれ?もう一本出てきた」
「あら、まぁ、どうしましょ?!この販売機壊れてるみたい...」

一旦立ち去ったものの、すぐに戻って来てもう一本買ってみた。
あれ!?今度は一本しか出てこない。

またまた立ち去ったもののもう一度戻ってきて、
一本購入。2本目は出てこない。
さらにもう一本購入。やっぱり2本目は出てこない。


「さぁ~て、どうしよう?」
暫く悩んだが、今日は諦めて帰りましょ。

駐車場のシロ助

2006年08月06日 00時48分42秒 | Weblog

ジョージィは自宅での洗濯を終えるとコインランドリーへ向かう。乾燥機を使う為だ。
もともとは自然乾燥、室内干しで満足していたが、米国で仕事をした時に使ってみて乾燥機の便利さを理解してからは、日本に帰ってからもずっとコインランドリーに行き乾燥機を使っている。

ただし近年は濡れた衣類を乾かす為ではない。干した衣類をふかふかにするためだ。干してから行くのでコインランドリーには終了間近の深夜前に店に入る。
そのコインランドリーであいつ(シロ助)に会える。

最初に見たのは5~6年ほど前だっただろうか。
洗濯した衣類を積んだバイク(125ccスクーター)をランドリーに続く路地に停めた時だった。バイク正面にある屋根付きの駐車場の中にからノッソリと大きな姿を現して、私に向かって「ニャァ!(何かくれよ)」と鳴いた。
私が「何だ?腹減ってるのか?」と尋ねると。「ニャァ!(そうだよ)」と何とも無愛想に答える。
私は「じゃぁちょっと待ってろ。動くなよ!」と念を押し、衣類を乾燥機に入れてからまた戻るとシロ助は確かにそのままで待っていた。
食べ物を買いに行こうとすると「なんだよ、行っちゃうのかよ」と言うような表情をして道路の奥へ歩き出そうとするので、私はもう一度「今から何か買ってくるからここから動くな。いいな。」と念を押して弁当屋に向かった。
弁当屋から戻るとシロ助は物陰に隠れながら(私の)帰りを待っていた。 唐揚げやらおにぎりを買ってきたが塩分は身体に悪いだろうと思い、一旦自分で食べ塩分を取り去ってから与えた。
(米国でネコみたいに大きなリスに(私の好物だった)フライドナッツを与えたときと同じ要領だ)

シロ助がガツガツと食べ始めたのを見て私はコインランドリーへ戻り乾燥機の完了を待った。20分ほどしてバイクのところへ戻ったときには、駐車場の奥のシロ助は満足そうに自分の毛繕いをしていた。その時からいつも私が忘れた頃にひょっこりと姿を見せては、そのたびに私が食べ物を買ってくるのをじっと待っていたのだ。

そのシロ助がここ一年以上姿を見せなかったのだ。
ところが先日、ひょっこりとその姿を現した。いつものようにバイクを停めライトが駐車場を照らしたときシロ助が物かげから出てきて「 ニャァ(よう)」 と鳴いた。
私は「おぉ!なんだお前まだ生きていたか?」と話しかけると、「ニャー(ああ)」と無愛想に答える。
私は衣類を乾燥機に放り込むと、バイクで買い出しに出かけた。
駐車場に戻り食べ物を与えたのだがシロ助には食べ物がどこにあるのか判らないらしい。
「えっ?おまえ目が見えなくなったのか?!」と話しかけながら地面に置いた食べ物のところへ鼻先を誘導してやった。その時、シロ助の薄汚れた白い毛はもうボロボロになった事を知った。
飲み込む力も衰えたようだ。ノドに詰まらせながら食べている。 私は哀れに思いながらその場を離れ乾燥機のところに戻った。

乾燥を終えバイクのところに戻ると、シロ助が実際に食べることが出来たのはわずからしい。それでもシロ助は駐車場の奥で ゲップ をしているのが見える。
乾燥した衣類をバイクに積み込みバイクのキーを回したとき(バイクのライトが点灯したとき)、シロ助はおもむろに駐車場の奥からバイクの前まで出てきたかと思うと、ゆっくりと顔を上げて「ニャァァ」とひと鳴きし、そのまま奥へと引っ込んで行った。

始めての事であったが、私には「(いままで)ありがとよ」と言ったように感じた。


エピソード(#001) 通勤ラッシュ攻略法

2006年08月04日 16時31分01秒 | Weblog
再び横浜での生活を始めた1982年春、始めて通勤ラッシュを経験した。

横浜駅から東海道線上りに乗車するときは、学生アルバイトの「押し屋」がいるのでさほど苦にはならないが、品川駅で乗り換える時は自力で乗り込まねばならない。

元々満員状態で到着する車両にさらに乗り込むのだから皆必死である。
前の人物をさらに車両の中に押し込まないと自分が車内に入る余地が無い。
体当たりしたり、必死に前にいる乗客を押し込んだりと、必死になって自分の身体を車内に乗せる毎日だった。

なにせ、定刻通り電車が来ない時も多いのだからこの車両を逃すと遅刻の確立が急上昇。
どの会社も同じ時間に始まるのだから思いは誰も同じ。他の人々の必死さも伝わってくる。

そのころは品川駅のホーム先頭(東京駅方面ホームの端っこ)を守る駅員さんも何とか乗車して欲しいと、懸命に乗客らの後押しをしてくれたり、「発車」の合図を待ってくれていた。

満員電車に乗車できる「勝ち組」は、他のひとより先に立っている人である。
後ろの人も乗り込もうとして背中を押してくれるので100%乗れるのだ。

また、最後に乗り込む人にはもう一つのリスクが伴った。
こんな風だ。
一人のサラリーマンが駅員さんの助けを借りながら必死になって最後に乗り込んできた。
サラリーマンが乗り込んだのを確認した駅員さんは「発車」の合図を発した。
そのサラリーマンは「ホッ」とした表情を見せ安心した様子だった。
私や周りの乗客は「気を抜いたらダメだ!」と思った事だろう。
案の定、発車の合図に合わせて彼のために開けたスペース分の揺り戻しの人の波が起こり、閉じかけているドアの間からあっけなくそのサラリーマンはホームに押し出され、そのまま電車のドアは閉じた。

そのサラリーマンは何が起こったのかとホームの上で唖然としており、
駅員さんは「あ~ぁ、やっちゃったね」と同情顔。
乗客皆も「可哀相だけど..」と窓の外を見つめる中で電車は走り出した。

【 攻略法の発見 】
毎朝のように繰り広げられる「満員電車乗車競争」。
どうしても無理だと判断して、乗車を諦める日もごく普通にあった。

数ヶ月して、
毎日同じようにもがいて乗り込むのだが比較的楽に乗り込める時があることに気がついた。
乗り込んだ時の様子を注意深く反省してみると、
どうやら、前からではなく、後ろ向きに乗り込むと比較的楽に乗り込めるらしい。と、気づいた。
翌日から早速実験と観察を繰り返した。

そしてついに、ドアから人がはみ出している中でも、
1.利き手でドアの上の壁をおさえ、
2.電車の入り口に後ろ向きになって近づき、
3.利き足の靴のカカトをドアの縁(ヘリ)に引っかけ、
4.もう一方の手もドア上の壁をおさえるようにしながら、
5.後ろ向きのまま自分の身体を車内に押し込んだ。

確実に乗れる方法を見つけたのだ。

翌日から、先に車内に乗り込んだ乗客やホームの端を守る駅員さんのいぶかしげな表情で見ている中、発車間際までホームに立ち、駅員さんの発車合図の様子を確認すると、さっと乗り込んだ。
駅員さんはいつものようにはみ出た人を押し込もうとドアのところに来たが、すでに私が全員を車内に押し込んでいた。

【 見切り発車始まる 】
たいがい誰も自分の乗車位置を持っている。
顔を合わせる乗客もいつもの人たちの場合が多い。

私が毎回一番最後に乗り込み、それが気に入らない乗客から乗せまいと妨害されても難なく突破してしまうのでジョージィ型乗車方法は皆がマネを始めた。

乗れることが確実になれば、着いた駅では真っ先に降りたいしドア側は外も見えるので快適なのだ。
つまり、だれもが一番最後に乗りたがった。
電車が来ても、発車の時間になっても、なかなかすぐに乗り込まない人々が現れた。駅員さんの困惑が始まった。

私が最後に乗り込むのは全員を車内に押し込むためで有ることは駅員さんも判っていた。
しかし彼らは、自分の為に最後に乗ろうとしているのだ。

私と駅員さんは顔を見合わせ「困った人たちだ」と目で合図をし、
とにかく彼らを早く車内に乗せようと、私は率先して車内に乗り込むようになった。
それでも彼ら数人はなかなかすぐに乗り込もうとしない。

そしてついに....、

私は車内から駅員さんを見つめていた。
駅員さんは「ほんとうは皆さんを乗せてあげたいのだけれど、電車がさらに遅れてしまう」と苦渋に満ちた表情と、ためらいを見せながら発車の合図を送った。

慌てて乗り込もうとしたが、駅員さんの助けがないので乗れなかった数人がホームに残されたまま電車は走り出した。

その日を境に、さっさと乗り込もうとしない人たちはホームに残されたまま「見切り発車」が始まった。
1982年、東京・浜松町駅に向かうための 品川駅ホーム での出来事だった。

ジョージィの住環境と略歴

2006年08月03日 15時13分38秒 | Weblog
ジョージィはずっとアパート暮らしである。
しかも典型的な引っ越し貧乏人だ。

私の最も古い記憶(1960年頃)では、
父が安月給の国鉄職員であったためか、私の学齢前からは薄いベニヤ製で、垂れ下がって今にも落ちてきそうな天井を持つ六畳の板の間(居間)と押入のある4畳半の畳部屋(寝室)の二間が我が家であった。
後年父母から聞いた話によると、私が生まれる前の結婚したての頃は天井裏の一間を借りていたのだというから、そんなアパートでも住環境としては進化だろう。

一階と二階にそれぞれ廊下を挟んで二部屋ずつ。計四部屋の二階建ての木造アパートだった。
どの部屋も居間にある流しの横には直径50cmほどの口を持つ高さ1m弱の水ガメ(瓶)が置いてあった。
アパートから数十メートルのところにある共同水道からバケツで汲んできた水を入れておくためだ。
上水道がこんな具合だから、下水に関しても下水管など無く道路の即帯に掘られた幅、深さとも数十センチの溝つまりドブであった、各家庭から流された水はこの小さなどぶ川に流れ込み、さらに大きなドブへと流れついには川に流していたのである。
まぁよく言えば、どの家も小さなお堀付きの住宅に住んで居たと言うことか...(違う!って)

テレビも普及していないから天井裏ではネズミが走り回り、よく「ほうき」や「はたき」「ものさし」等で天井をつついてネズミを追い払っていた。だから天井が垂れ下がってしまったのだ。

<夫婦喧嘩もお隣さんが仲裁>
そのアパートの想い出では、おとなりさんの部屋の様子が筒抜け。
夫婦喧嘩が始まるとアパート中に知れ渡る。

私と同い年の娘さんを持つお隣は、酒好きお父さん。しょっちゅう大酒を飲んでは暴れていた。そのたびにアパートの住人皆で止めに入った。
実は我が家の両親の夫婦喧嘩の時にも、お隣さんが止めに来てくれた記憶がある。

両親の夫婦喧嘩が始まると幼い子供にはどうしていいのかわからない。
実は子供心に「はやく誰か止めに来てよ」とお隣さんが来てくれるのを頼りにしていたことを思い出す。
それだから子供の居る家庭で夫婦喧嘩が始まると、その家の子も助けを待っているかも知れないと気になって自分の両親に「行かなくて良いの?!」と何度もせっついていた記憶がある。

(続く)

続)自動販売機での「当たり、もう一本」

2006年08月02日 13時28分35秒 | Weblog
抽選付き自動販売機の「当たり」が出ない。
曇りがちの涼しい天候のせいで、販売量も減っているからか?と思っていた。
私が留守にしている間に「当たり」が出てしまったのか?とも考えていたが、今朝の購入者の声が確信に近づけた。

二人連れの話し声と共に、部屋の中に「ガチャン」と飲料缶の落ちる音が聞こえ、抽選音が始まった。
最終音は「外れ」だった。
すると一人が『当たらないなぁ。当たるときはピーと鳴るんだけどね』ともう一人に説明している。
「彼は当たりを知ってる!?」と急いで窓から見てみると、ここ数日近所で工事をしている作業員の人たちだった。

楽しみは次回の「当たり」を待つしかないようだ。