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ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

<ノーベル賞学者>実録-カペッキ博士の波乱の人生

2007年10月13日 18時04分14秒 | 格差社会と政治
※※ 忘れないうちに記録しておこう ※※
[海外]: ストリートチルドレン 米国移住 米ユタ大学 ノーベル賞

路上生活児からノーベル賞学者へ=カペッキ博士の波乱人生-米 (時事通信) 10月11日17時1分配信
【記事抜粋】 ストリートチルドレンからノーベル賞学者へ-。ノーベル医学・生理学賞の受賞が8日に決まったばかりの米ユタ大のマリオ・カペッキ博士(70)=米国籍=の波瀾(はらん)万丈の経歴に全米の注目が集まっている。
◆ (報道によると)博士はイタリア生まれ。第二次大戦中の3歳の時、詩人だった母親は、反ファシスト運動に参加したとして秘密警察に連行され、強制収容所へ送られた。 ◆ 母親は未婚で、マリオ少年は農家に預けられたものの、程なく農家の困窮した生活から脱出、4歳半で「路上に飛び出した」という。物ごいや盗みを働き、必死に生き抜いた。 ◆ 転機は9歳の時。栄養失調で運び込まれた病院に、終戦で収容所から生還した母親が迎えに現れた。母子は親族の招きで渡米。マリオ少年が生まれて初めて登校したのは米国に到着した翌日だった。
◆ 名門ハーバード大で博士号を取得したカペッキ博士はその後、特定の遺伝子の機能を失わせた「ノックアウトマウス」を作ることに成功。病気の原因解明などに幅広く貢献する技術を確立し、今回の受賞につながった。 ◆ 博士と旧知の教授は米紙に、博士は実現困難と批判されても、「重要課題を追究する強靱(きょうじん)な意志を持っていた」と語った。「不可能なことは何もない」が博士の信条という。
[記事全文]

<幼少期の経験がノーベル賞>
ストリートチルドレン と云っても、 戦後日本にも 両親を亡くした子どもたちが たくさんいたはずだ。 そして、日本の子どもたちも カベッキ博士と同様に必死に生きていたはずである。

ただ違いは、不穏な空気があるとは云え 日本の中央は軍需好景気を謳歌し 真珠湾を攻撃した1941年以前には、 すでに博士は ストリートチルドレンとして必死に生き延びる生活を始めている。
日本の敗戦と同様に 終戦を迎えるまで そうだったと云うのだから 戦後日本のストリートチルドレンとは比較できそうにない。

<愚かなファシズム体制下で..>
小泉(純)も喩えられた 「ファシズム思想」。 反体制を唱う博士の未婚の母親は いつ自分に危険が迫るかと 幼い我が子に独立心を植え付けたに違いない。(韓流ドラマ「チャングムの誓い」と同じだ) そうしなければ、 幼い子が一人で生き抜くには大変な世の中であったはずだ。

<戦後教育>
博士の幸運は、9歳で米国に渡り ごく普通に修道士がいる学校で 良き師に出会い、自分の望む学問に打ち込める環境があった事だろう。 幼少期に一所懸命生きた者は その後の人生も一所懸命出来る。

ヒトは誰でも 要所要所での生き方が 人生全体の生き方となるからである。
見かけや 相手の現在の状況だけで 安易に判定してしまう日本では 絶対にチャンスは無かったであろう..。

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