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ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

こんな私で 良くも悪しくも(13)- 日米比較型

2010年06月24日 23時50分14秒 | Weblog
[個人史]: 日記 特質 気質 性質 特異:体質 性格・能力・知力
日米崩壊 Sequence( 7th Stage )作動 - ヒトモノ分離強化! 大陸再構築 Sequence 作動中 「 Up and up 」

<イライラ>
ウッカリ NHKの民放番組宣伝を看てしまうと ”炎を吐く溶岩で世界を埋め尽くしたい” 衝動が起こるようになった。
だが まだだ。 まだ分離し切れていない。

<ガイジン慣れ>
幸いにして私は 日本人固有の環境での人生を歩まなかった。
私が日本を否定するのは それなりに理由がある。

父自体が 外地生まれであり 終戦までその国の人とともに仕事をしていたから 最初から2カ国語を操っていた親だ。
※ だが、私自身が外国語を学習するまで 父が本当に2カ国語を操っていたことを知らなかった。

新聞奨学生の時 道を尋ねてきた若い外国人たちは礼節(マナー)をわきまえている時代だった。
何度か対応する機会があれば 外国人に対する アレルギーは消える。

その後も、 日本に住む米国人に望まれるまま同行しては 海外文化を聞く機会も多くあった。
’70年代当時は 米国の成長力の理由が確かに残っていた。 (後述)

<日米激突>
私の20代初頭、 横浜に来てすぐ 米国式教授法 を学ぶ機会があった。
それまで我流で 年配者や(育ちの良い)お姉さんたちに 教えていた 指南力 が格段にアップしたものである。
特に
子供たち相手に教えるときでも飽きられることが無く、 効果的なカウンセリングにも役立っている。

またそれ以前、
私が社会人となった最初の勤務先は 世界No1の米国企業。 日本法人になる以前だから 週給制も昇進や報酬の制度も 米国式そのままだった。

そこで最初に教育されたのが 日本式セールス の否定。
社内でトレーニングされた内容と 日本企業のセールスマン達の典型を見比べて 『あれでは成功できない..』 と しみじみ納得したところから 社会人生活が始まっている。

(続)

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