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リートリンの覚書

名所江戸百景を訪ねて 第42景 「玉川堤の花」


名所江戸百景を訪ねて


名所江戸百景を訪ねて
名所江戸百景 第42景 「玉川堤の花」



画面中央を、緩やかに曲線を描き流れる川は、玉川上水です。

延享年間(1744~1748)にかけて玉川上水の土堤には、桜の木が植えられ、江戸の花見の場所として有名でした。作品でも花見を楽しむ人々が描かれています。

右側には、内藤新宿の妓楼・茶屋・旅籠屋の家々が描かれ、妓楼の二階から赤い着物を着た女性と客が花見をしている姿もみられます。

左側には武家屋敷が描かれています。
 

玉川上水



玉川上水は、多摩川の羽村堰で取水し、四谷大木戸までは開渠で、四谷大木戸から江戸市中へは石樋・木樋といった水道管を地下に埋設して通水した。
水番所には、水番人一名が置かれ、水門を調節して水量を管理したほか、ごみの除去を行い水質を保持した。当時、水番所構内には次のような高札が立っていた。
玉川上水水番所跡掲示板より一部抜粋
 

内藤新宿


内藤新宿(ないとうしんじゅく)は、江戸時代に設けられた宿場の一つです。

江戸秘本橋から数えて最初の宿場で、新宿追分から甲州街道と分岐している成木街道の起点でもありました。

現在の東京都新宿区新宿一丁目から新宿二丁目。三丁目の一帯にあたります。

地名から四谷新宿とも呼ばれることもありました。
 

内藤新宿開設三百年記念碑
元禄十一年(一六九八)六月、浅草阿部川町の名主・高松喜兵衞(後の喜六)らの願いにより、ここから新宿三丁目交差点付近までの約一kmに、新たな宿場として「内藤新宿」が開設された。
この宿場は、享保三年(一七一八)に一旦廃止されたが、五十四年後に再興されて以降、甲州・青梅両街道が交差する、交通の要衝として、また文化と娯楽の町として繁栄をつづけ、平成十年(一九九八)、開設三百年を迎えることとなった。
新都心・新宿の出発点となった内藤新宿の歴史と先人の歩みを記念し、ここに記念碑を建立する。
平成十年十一月
東京都新宿区



描かれた場所は
現在どのようになっているのでしょうか?
訪ねてみました。




新宿区内藤町で撮影してみました。



最後に

玉川上水ですが、現在はかつての流れに沿って「玉川上水・内藤新宿分水散歩道」が整備されています。



玉川上水の新しい分水路の誕生
新宿区では、「まちの記憶」として次世代に受け継ぐべき財産である「玉川上水」の流れを偲ぶため、環境省をはじめとした多くの関係者の協力のもと、新宿御苑内に玉川上水・内藤新宿分水散歩道を整備いたしました。
分水散歩道の延長は約540m「旧新宿門」「大銀杏」「大木戸」の3区間から成り、水源には、国道20号新宿御苑トンネル内の共同溝に湧出した地下水を利用しています。水路底には、粘土を使用し、自然な流れを再現しました。また、既存の樹木を生かしながら林床には、武蔵野の雑林で生育する草本類を中心に植栽しています。新宿御苑の雄大な自然と四季折々の変化とあわせて散策をお楽しみください。
新宿区
 
その玉川上水・内藤新宿分水散歩道でも撮影してみました。



ちょっと、方向が違いますが、作品の構図にだいぶ近いのではないかと思っています。

江戸時代には、桜が植栽されていたようですが、現在は、武蔵野の雑林で生育する植物を植栽しています。


私が、玉川上水・内藤新宿分水散歩道を訪れたのは、紅葉がこれから始まろうという季節でした。美しい紅葉で心癒されました。

しかし、武蔵野の雑林の緑もいいですが、江戸時代の人々が愛した桜も見てみたかった、と思うのは、私だけでしょうか?





参考
Wikipedia
太陽の地図帖 広重「名所江戸百景」の旅


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