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リートリンの覚書

東京史跡巡り 新吉原


東京史跡巡り

新吉原
(しんよしわら)


吉原遊廓(よしわらゆうかく)は、江戸幕府によって公認された遊郭です。

現在の東京都台東区千束四丁目、および三丁目の一部にありました。

はじめは江戸日本橋近くにありましたが、明暦の大火の後、浅草寺の裏の日本堤に移転しました。

江戸日本橋近くにあった物を元吉原、浅草寺裏日本堤にあった物を新吉原と呼びました。



新吉原

 明暦の大火(1657年)後に、日本橋にあった元吉原から浅草北部の農村部に移転してきたことにより、新吉原と呼ばれた遊郭。最盛期には3000人の遊女が在籍していた。遊郭の周囲には堀がめぐらされ、出入口は吉原大門の一箇所のみだった。
 新吉原の中央にあった大通りでは、春には桜、秋には紅葉を一時的に移植し、特別な空間を演出していた。浮世絵を見てみると、遊客が名残を惜しんで振り返った位置にあったとされる「見返り柳」や、大門と桜並木と艶やかな遊女の様子が描かれ、当時の賑わいを見ることができる。
山谷堀公園内看板より引用


見返り柳




見返り柳(みかえりやなぎ)は、遊郭の入り口付近に生えた柳の名称で、遊廓で遊んだ男が、帰り道に柳のあるあたりで、名残を惜しんで後ろを振り返ったことからこの名がつきました。



見返り柳
台東区千束四ー一〇ー八
 旧吉原遊郭の名所のひとつで、京都の島原遊郭の門口の柳を模したという。遊び帰りの客が、後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳のあたりで遊郭を振り返ったということから、「見返りの柳」の名があり、

きぬぎぬのうしろ髪ひく柳かな
見返れば意見か柳顔をうち

など、多くの川柳の題材となっている。
 かつては山谷堀脇の土手にあったが、道路や区画整理に伴い現在地に移され、また、震災・戦災による焼失などによって、数代にわたり植え替えられている。
平成八年七月
台東区教育委員会




所在地
台東区千束4丁目10-8


よし原大門




吉原遊廓の正面玄関だった吉原大門。その大門の跡地の場所には、街路灯が建てられ、その街路灯には「よし原大門」と記されています。

所在地
東京都台東区千束4丁目6



最後に

名所江戸百景に描かれた場所を巡る際、訪れたかつて「新吉原」があった場所、千住4丁目。

現在は、近代的なビルが建ち並ぶ街となっていました。



当時の名残は、ほとんどありませんが、辺りを見渡すと風俗店が点々と…

正直、申し訳ないが、夜には訪れたくないと思ってしまいました。




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