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リートリンの覚書

東京史跡巡り 一里塚跡・亀有


東京史跡巡り

一里塚跡
(いちりづかあと)
亀有



慶長9年(1604)2月、徳川家康は江戸日本橋を起点として全国の主要街道の一里毎に、榎を植えた塚を築かせ、街道の道程の目安としました。



一里塚跡

所在地 
葛飾区亀有三丁目12番地先
葛飾区亀有一丁目28番地先

 一里塚は、江戸日本橋を起点に、一里(約4㎞)ごとに設けられました。塚は道路の両側に設置され、榎などが植えられました。榎は根を深く広げることから、塚の崩壊を防ぐ役割があったようです。
 一里塚の起源については諸説ありますが、現在では一里塚といえば、慶長9年(1604)に設置が命じられた江戸時代のものをさします。
 亀有の一里塚は、千住宿から一里、江戸日本橋からは三里のところに位置します。現在ではその様子を伺うことはできませんが、明治の末頃までは塚の跡が残っていたようです。
 塚の位置は、ここから東へおよそ10m先にありました。
葛飾区教育委員会


所在地

東京都葛飾区亀有1丁目28-7


最後に


いや〜、何度見ても、顔だけのご老公一向は不気味です。

像がインパクト強すぎて、説明書きが印象に残らない。

他のデザインはなかったのでしょうか?




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