日本書紀 巻第四
大日本根子彦国牽尊天皇
(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと)
孝元天皇
(こうげんてんのう)
大日本根子彦国牽尊天皇は、
大日本根子彦太瓊天皇
(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと・孝霊)
の嫡子です。
母は細媛命といいます。
磯城の県主大目(おおめ)の娘です。
天皇は、
大日本根子彦太瓊天皇の
三十六年の春・正月に、
皇太子となりました。
年は十九歳。
七十六年の春・二月、
大日本根子彦太瓊天皇が崩御されました。
元年、春・正月十四日、
皇太子が天皇に即位されました。
(孝霊)皇后を尊び皇太后としました。
この年、太歳は丁亥(ひのとい)。
四年、春・三月十一日、
都を軽の地に遷しました。
これを境原(さかいはら)の宮といいます。
六年、秋・九月六日、
大日本根子彦太瓊天皇を、
片丘の馬坂の陵に葬りました。
七年、春・二月二日、
欝色謎命(うつしこめ)を皇后としました。
后は二男一女を生みました。
第一子は、
大彦命(おおひこのみこと)といいます。
第二子は、
稚日本根子彦大日日天皇
(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと)
といいます。
第三子は、
倭迹迹姫命(やまとととひめのみこと)といいます。
一書では、
天皇の弟に
少彦男心命(すくなひこおこころのみこと)
であると伝えています。
妃の伊香色謎命(いかがしこめのみこと)は、
彦太忍信命(ひこふとおしまことのみこと)を
生みました。
つぎの妃、
河内青玉繁(こうちあおたまかけ)の娘
、埴安媛(はにやすひめ)は、
武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)を
生みました。
これは
阿部臣、
膳臣(かしわでのおみ)、
阿閉臣(あへ)、
狭狭城山君(ささきのやまのきみ)、
筑紫国造(つくしのくにのみやつこ)、
越国造(こしの)、
伊賀臣、
あわせて七氏の始祖です。
彦太忍信命は、
武内宿禰(たけしうちのすくね)の祖父です。
二十二年、春・正月十四日、
稚日本根子彦大日日尊を皇太子としました。
年は十六歳。
五十七年、秋・九月二日、
大日本根子彦国牽尊天皇が崩御されました。