名所江戸百景を訪ねて
名所江戸百景を訪ねて
第45景 「鎧の渡し小網町」
小網町に立ち並ぶ蔵を描いています。
右側の茅場河岸には傘を差した若い女性が描かれています。
川面には何種もの舟が描かれています。
鎧の渡し
鎧の渡し跡所在地 中央区日本橋小網町八・九番地日本橋茅場町一丁目一番・日本橋兜町一番鎧の渡しは、日本橋川に通されていた小網町と茅場町との間の船渡しです。古くは延宝七年(一六七九)の絵図にその名が見られ、その後の絵図や他誌類にも多く記されています。伝説によると、かつてこの付近には大河があり、平安時代の永承年間(一〇四六~五三)に源義家が奥州平定の途中、ここで暴風・逆浪に会い、その船が沈まんとしたため、鎧一領を海中に投じて龍神に祈りを奉げたところ、無事に渡ることができたため、以来ここを「鎧が淵」と呼んだと言われています。また、平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています。この渡しは、明治五年(一八七二)に鎧橋がかけられたことによりなくなりますが、江戸時代に通されていた渡しの風景は『江戸名所図会』などに描かれており、また俳句や狂歌等にも詠まれています。縁日に買うてぞ帰るおもだかも逆さにうつる鎧のわたし和朝亭 国盛平成二十年三月中央区教育委員会
小網町
(こあみちょう)
日本橋川沿いに面した土地柄、水上交通の面で重要な場所として発展しました。
江戸に入ってくる米を扱う商店や問屋があったほか、行徳で生産する塩が多く扱われていました。
小網河岸
(こあみがし)
日本橋川沿いには白壁の土蔵が立ち並んでいました。
描かれた場所は
現在どのようになっているのでしょうか?
訪ねてみました。
鎧橋のたもとより撮影してみました。
立ち並ぶ蔵の代わりに高速道路がど〜ん。
しかし、川の流れは昔と変わりないようです。
最後に
鎧橋のたもとより数枚、撮影してみましたが。
鎧橋
納得のいくものが撮れませんでした。
これも、高速道路のせい。
現代の生活になくてはならないものですが、絵図ら的には本当に要らない。
まぁ、仕方なないのですが。
最後に、傘を差した若い女性の代わりに、3人の乙女像と鎧橋で締めたいと思います。
参考
Wikipedia
太陽の地図帖 広重「名所江戸百景」の旅