名所江戸百景を訪ねて
名所江戸百景を訪ねて
第109景 「芝うらの風景」
浜御殿の海岸を北側から望んだ作品です。
近景に描かれている鳥は、冬の渡り鳥ゆりかもめの群れ。
左近景に描かれているのは船の航行安全を助ける水路標識の澪標(みおつくし)です。
沖の向こうには複数の御台場が描かれています。
高輪、品川、羽田に至る海岸線が延びています。
芝浦
芝浦(しばうら)は、東京都港区の地名です。
現在の芝浦一帯は、かつては東京湾の海底でした。
江戸時代には芝の雑魚馬と呼ばれ栄えていました。
浜御殿
江戸時代から明治時代にかけての、浜離宮の別称です。
元々は将軍家の鷹狩りの場所でしたが、甲府藩下屋敷の庭園として造成され、徳川将軍家の別荘浜御殿となりました。
現在は、宮内省管理の離宮を経て、東京都に下賜され都立公園として解放。浜離宮恩賜庭園(はまりきゅうおんしていえん)となっています。
澪標
(みおつくし)
澪標は、川の河口などに港が開かれている場合、土砂の堆積により浅くて舟の航行が不可能なが場所が多く、座礁の危険性があるため、比較的水深が深く航行可能な場所である澪(みお)との境界に並べて設置され、航行を示しました。
お台場
1853年(嘉永6年)、ペリー艦隊が来航して幕府に開港を要求しました。これに脅威を感じた幕府は、老中首座の阿倍正弘の命で品川台場(お台場)を築造しました。埋め立てに用いた土は高輪の八ツ山や御殿山を切り崩して調達しました。
ゆりかもめ
チドリ目カモメ科に分類される鳥類の一種です。
ユーラシア大陸北部やイギリス、アイスランドなどで繁殖し、ヨーロッパ、アフリカ、インド、東南アジアへ渡りを行い越冬します。
冬鳥として、北海道から南西諸島まで広く渡来します。
描かれた場所は
現在どのようになっているのでしょうか?
訪ねてみました。
浜離宮の側よりお台場方面を撮影してみました。
最後に
江戸時代の東京湾。
お台場がポツリポツリと点在するだけだったのですが、
埋め立てが進み、ビルが建ち並ぶ景色と変わりました。
当時と変わらないのは、青空と水面だけでしょうか?
参考
Wikipedia
太陽の地図帖 広重「名所江戸百景」の旅