不忍池辯天堂

概要
上野公園南側にある不忍池の弁天島(中之島)に、天海が竹生島の宝厳寺の弁財天を勧請して建立しました。
御本尊
辯才天
創建
寛永年間
略縁起
江戸初期の寛永年間に、天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正(1536~1643)によって建立されました。
天海は寛永2年(1625年)に、二代将軍徳川秀忠公から寄進された上野の山に、江戸城の鬼門の守りとして、「東叡山寛永寺」を開きました。そして、比叡山や京都の寺院になぞらえた堂舎を次々と建立しました。
天然の池だった不忍池を琵琶湖に見立てて、もともとあった小さな島を弁天島(中之島)に見立てて、天海が竹生島の宝厳寺の弁財天を勧請して建立しました。
島は常陸下館主水谷勝隆が築いたもので、当初は橋がなく、船で参詣していましたが、江戸時代に参拝客が増えると、橋が架けられました。
昭和20年(1945年)三月十日の東京大空襲で焼失しましたが、昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリート造りの八角堂として再建されました。
境内
本堂
(正面)

八角堂裏側と不忍池

手水舎

大黒天堂

住所
東京都台東区上野公園2-1
アクセス
JR・京成・東京メトロ
上野駅
徒歩3~10分
参考
Wikipedia
不忍池辯天堂HP