この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

話しは変わるが、床屋さんのこと

2021-01-08 15:48:48 | つれづれ記
話しは変わるが(というのは、先のブログと一緒に投稿しようと思ったのだが、何かテイストが違う気がして分けたのだ)

わたしは9月の10日頃に床屋に行って以来、行く機会を失って今に至っている。
11月20日に一銀堂の告別式に出るために床屋へ行ったら休みだった。水曜日が休みなのにその日が木曜日にも関わらず休んでいた。
そうこうしているうちに沖縄に感染者が増えてきて、散髪をする機会を失った。
今では、すっかり音楽の教科書に載っているベートーベンのようになっている。
来週どうしても人と会う約束があったので、意を決して床屋さんへ行ったら、もぬけの殻になっていた。やめてしまったのだ。
わたしのような自粛者がたくさんいたんだね。経営が成り立たず、やむを得なかったのだろう。
少し立ち竦んだ後帰ったが、今後どうしようかと途方に暮れた。
床屋さんなんて馴染みのところにずっと通うものだ。

小学校の時大阪式理容館という床屋に通っていた。きっと最新式の床屋さんだったのだ。
あるときから、そこにいた理容師が独立して開業したところに通うようになっていた。よく経緯は憶えていないがきっとわたしの担当だったのだろう。中学、高校。一時期の東京時代を除いて通った。

沖縄戻ってきてからも、結婚式当日もそこに行った。「今日結婚式なんですよ」と言ったのが運の尽き、コテコテに髪を固められて往生した。わたしは油を付けるのが嫌いなのだ。
空手をやっているという太ったご主人で、昼メシは抜いているという話だったが、そんなわけはないやろ!というほど、尋常な太り方ではなかった。
そのうち散髪の途中でトイレに立つことが多くなった。しっこが近くなっているのだ。それはいいのだが、「ジョボ、ジョボ、ジョボ」という小便の音の後に手を洗う音がしない。
自分のイチモツを握った後でわたしの髪を触っているのだ。気になり始めたらもうたまらない。床屋を替えようと思っても、当の床屋が自宅と実家の間にあってよく顔を合わせるからなかなか浮気できない。
そのうちご主人が脳梗塞で倒れて店は閉まった。
ほっとした半面、床屋の漂流が始まった。

わたしの理念として散髪に大金をかけられない。安くて、いろいろ話しかけてこなくて、毎回どんな風にしますかと問わない床屋が理想だった。なかなか無いんだよね。
沖縄だけかもしれないが、「こうのいけ」という800円のカットという床屋の各店を回ったこともある。
そうこうしてようやく見つけた床屋さん(ブームとか言ったかな?)だったのに。
こうしてコロナのために廃業を余儀なくされる事業がどんどん出てくるんだろうと思うと居たたまれない。

政府は一日も早く感染を抑えることを真剣に考えて欲しい。
そう真剣にという言葉はとても重たい。
文字通り真剣というのは、簡単に振り回したら足を切ることがあると剣道の先生が強く語ったことがある。取扱いに細心の注意が必要だと、扱わせてくれたことはないが、口上だけは耳にタコができるくらい聞かされた。
だから、総理はじめ政府関係者は決して真剣とか覚悟とかという言葉を気安く吐かないでいただきたい。こうして本当に死んでいく人も、事業で死んでいく人もいることを深く胸に留めて真剣に対策を取ってもらいたい。

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