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この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

わたしたちはどんどん地獄へ向かっているのでしょうか

2010-07-31 18:24:45 | つれづれ記
3歳の長女と1歳の長男を遺棄死させた23歳の女性のニュースが流れた。
首の一部が白骨化しており、胃の中には消化すべきものが何もなかったとニュースでは言っている。痛ましい話である。こんないたいけな子どもが痛ましい目に会っているのを聞くのは辛い。その分怒りも倍増してしまう。
良し悪しの話は当たり前過ぎるから言わないが、何故このようなことが起こるのか考えてみたい。

「育児が嫌になった」、「子どもがいると何もできない」、「子どもが邪魔になった」。
おおよそそんなことを母親は言っているようだ。そして祖父という人が「こんなにまで追い詰められているとは知らなかった。ひとこと言ってくれればよかった」というようなコメントをテレビ局にしているが、この23歳の母親は決して追い詰められてなどいない。ぎりぎりのところで子どもを遺棄したという気配がまったく見られない。
飽きたオモチャか何かを捨てるかのように扱って、子どもたちが死んでしまうまで逃げ回っていただけである。

近所の人の話では「一時期夜泣きが酷かった。ほかに人がいる気配があった」と言い、「そのうち1、2カ月ぐらいしたら声が聞こえなくなった」と言っている。3歳の子は帰ってこない母親の替わりに何かと1歳の長男のオムツを替えたり食べものを与えようと頑張ったのかもしれない。そのうちしてあげられることもなくなってお互いに衰弱して死んでいったのだろう。母親をうらむこともわからず。
情けない。本当に情けない母親である。

23歳で風俗店に勤めているというのはやっぱり易きについた生き方をしてきたと思うが、この母親を育ててきた親に大きな責任があるのではないかと思う。
誰でも育児の途中で泣きやまないわが子を憎く思うことが一度くらいあるはずだ。抱き上げるその瞬間投げ捨ててしまいたいと思ったことがあるはずだ。しかし、やらない。
人間は立って歩くようになって以来、それまでの産み月より早く未熟児として生まれくるようになった。生まれてすぐ立つ馬や鹿などとは違って、三ヶ月から一年立つまで母親しか頼れない。そう思うから捨ててしまうわけにはいかないと思いなおすのだ。

それをゴミ屑のように捨ててしまうとは。親から子へ、人間として伝えるモラルというものをこの母親はまったく知らずに育てられてきたとしか思えない。
それは彼女が自力で学びとれるものは思えないからだ。もちろん友だちとの交流の中や、近所の大人たちとの交流の中で学べる機会はあったと思うが、わたしの知る昭和80年代以降の日本で、近隣の人との交流はほとんどなくなってきた。彼女を育む環境は究めて貧しいものだったと思う。
それだけ親の役割は重いと思うのだが、一体この母親の親はどのようにこの子を育ててきたのだろうかと想像すると薄ら寒くなる。こんな恐ろしい子どもたちが全国にゴマンと育っているのかと思うと恐ろしいというより、ただ、ただ、呆然とするばかりである。

進化・進歩思想は採らないが、これでは逆に、エントロピーの増大のまま、わたしたちはどんどん悪くなっていくだけなのだろうか。
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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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 (ふたりの冥福を祈ります)
2010-08-01 22:12:59
はじめまして。
同じ3歳の娘と1歳の息子を持つ者として、この母親のことを単に「情けない母親」として理解したつもりになるのだけは、どうかおやめ下さい。
「この23歳の母親は決して追い詰められてなどいない。ぎりぎりのところで子どもを遺棄したという気配がまったく見られない。」と断じる前に、下記URLにお目通しいただきたいと存じます。

ttp://ameblo.jp/sakurakomaman/entry-10062893325.html
ttp://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100801
ttp://2009.itainews.com/archives/2010/08/post-2970.html
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