風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

描き水彩画「名古屋城最大の巨石『清正(きよまさ)石』を描く」

 先に名古屋城であった教室のスケッチ会では、城そのものより石垣や樹木などに的を絞ってカメラに収めてきました。

まず描いたのは、天守閣近くにある「清正石」。10号です。
濃尾地震や天守閣が焼け落ちた大戦末期の大空襲にも崩れなかった、と言われる名古屋城の石垣の中では最も大きく、表面の実面積は10畳敷と言われています。
回りの石とは全く違った色の種類のようで、存在感をより大きくしています。

「清正石」の名前は、石垣普請の陣頭指揮をとった熊本藩主・加藤清正が運んだからとも言われていますが、天守一帯の工事に当たったのは福岡藩主の黒田長政。このため、説明板や名古屋城の公式ウエブサイトなどには清正石について、以下のような説明があります。

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天守閣の石塁の構築を命じられた加藤清正は、巨石の運搬に際し、自ら音頭をとって、木遣(きやり)を歌わせ民衆の老若を問わず綱をとって運んだと伝えられていますが、この石垣の施工大名は黒田長政なので単なる説話と思われます。

名古屋城内にある加藤清正の像



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