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消滅した音戸町

2021-06-12 07:30:00 | ドライブ&ウォーク

音戸町(おんど)は、呉市の南方に浮かぶ倉橋島の北側約3分の1を占める街

だったが2005年に呉市に編入されて消滅したそうです

合併の話は小耳にはさんでましたが、詳細は知らなくて・・ちょっと寂しい

中1~約10年間住み暮らした呉市、確かに音戸は身近すぎるくらい身近だったけど・・

久しぶりと言うほどでもないけど、音戸大橋が見たくなり出かけた

 

 

6/7のウォーク&ドライブ

江戸時代からこの海峡を渡る手段として、「音戸渡船(今もある)」と

呼ばれ、片道運航距離120mの日本で最も短い有料渡し船

市内へ通勤・通学するために渡峡を繰り返し、その渡船はピーク時で

1日250往復していた記録もあるらしい

ところが1932年に、「渡船」が沈没し、死者・行方不明者29人を

出す海難事故が発生、原因は、定員23人の小型船に6倍近くの137人が

乗ったことによるものであったそうだ

ずいぶん経ったがこうした状況も踏まえて、1961年に瀬戸内海初の

離島架橋事例として「音戸大橋」が架けられた

その後50年が経過した2013年、交通量増大とそれに伴う慢性的な

交通渋滞に対応するため、道路も整備され「第二音戸大橋」が架けられた

2橋間の距離は約350m

橋長は 172m 倉橋島側は用地が少ないことで考えられたのが、

倉橋島側を螺旋状の高架橋、写真のようなループになった

呉側にある公園はサツキの時期になると見事にサツキ色に染まり

多くの人出がある

こちらが【第二音戸大橋(第一から望む)】橋長 492m   

こちらへは二度訪れた

呉から音戸へ第二音戸大橋を渡ると展望台が作られていて

休憩場所や軽食などもあり、何しろ絶景かな、絶景かな・・なのだ

又道路の反対側に渡るには、この【第三音戸大橋】擬きの歩道橋を渡る

橋長14m  以前訪れた時は建設中だったので、何時か訪れたい♡

いよいよ、橋を渡って倉橋島・音戸へ

今回目指したのは、元音戸町の【大浦崎】到着 静・・・

水がきれい

海を眺めていると目の前を漁船が通過

はるか先に見えるのはどうやら【仁方から下蒲刈島】に架かる

【安芸灘大橋】のようだ

岬の先に興味をそそる半島発見

古くなった牡蠣筏を焼却処分中 沢山有るから大変だぁ~

半島へ上陸 ワクワク

岩の間に溜まった海水の中に【岩ガキ】が・・

先端の岩場へ

この岩場の途中まで登ってみた、もっと若かったらテッペンまで

登ったのになぁ~老いが悲しい

でも、久しぶりにちょっと昔が取り戻せてリフレッシュ

 

振り向くともっと老いを感じている人が・・・

こちらの半島は運動公園になってて、施設も完備されてて、キャンプも

できるようになっていて、シャワーやトイレも完備、夏はキャンプに

海水浴にと楽しめそうだなぁ~コロナよ早よ退散しろ~

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4 コメント

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音戸 (愚石)
2021-06-12 08:48:19
学生時代、松山沖の島の水が綺麗と感動していたら、クラブの先輩(女性)が自分の出身地、音戸の海は
もっと綺麗!と申された。
以来、一度はその美しい水を見てみたいと思いつつ未だ叶わずです。
もう、半世紀も経って水も変わっただろうと思ってました。
そうですか、今も綺麗ですか!
ちょっと嬉しくなりました。(^^)
返信する
愚石様へ (キャサリン)
2021-06-12 09:40:46
へぇぇ~音戸出身の先輩ですか・・
思わぬつながりが・・・
やはり人口の多い少いの結果でしょうか・・・?
市内の周りだとこうはいきませんね・・・
綺麗な砂浜を見てると、泳ぎたくなります
ずいぶん海水浴してないですけど、今年は
久方ぶりに泳ぎたくなってます
愚石さんは海水浴されるのですか?
返信する
Unknown ()
2021-06-13 16:50:29
赤い色の橋が印象的ですね
サツキのまあるい玉もかわいいですね
満開になったらきれいでしょうね
半島という場所に行ったことがないので憧れます
とても素敵な場所で過ごされたんですね
海もきれいね
返信する
花さまへ (キャサリン)
2021-06-13 22:15:50
ここは【音戸の瀬戸】と呼ばれていて、
潮の流れが速いのと、行き交う船の多さで
知られています
この瀬戸を開削したのが【平清盛】と
伝えられてて、伝説によれば、西に沈みかけた
太陽を清盛が扇で招き返し、一日で
開削工事を終わらせることができたという
伝説が残っています
又橋の側に清盛の像が祭られています
そんなベースがあり、朱塗りのアーチ橋も
ここいらでは有名なんですよ
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