月明かりの下の独り言

こちらに舞い戻って参りました。
こちらで、ちょっくら暑苦しく真面目な話題に、取り組んでいきたいと思います。

加害者としての被害体験

2008-01-31 | 平和について
戦争がもたらす、加害体験と被害体験について、しつこいようですが、今日も書いてみたいと思います。

昨日は、被害者の心の傷、について考えてみたが、戦争で加害者となった人たちに、その体験はどんな影響を与えるんだろう。

こんなことを考えたのは、以前NHK-BSでみたドキュメンタリー。録画保存していないのでうろ覚えだけど、内容を大まかにまとめると、次のような番組だった。

イラクに大量に兵を送っているアメリカでは、派兵が長期化するにつれ、兵力不足に悩まされた。そこで、それぞれの州が擁する軍隊の兵、州兵までイラクに派遣されることになった。国軍に比べ、実戦のための訓練を十分には受けていない彼らが、短い訓練機関の後にイラクに派遣されていく様子が記録されていた。

その中で、特に印象に残った、というよりも、やりきれない気持ちになった場面があった。
それは、イラクでテロリストが潜んでいるという報告を受けて入った村で、州兵の一人が突然犬に向けて発砲した場面だった。

そこでは戦闘が行われていたわけでもなく、村人に話を聞いているような状況だったと思う。犬も、ただ、そこにいただけだった。

犬の飼い主は悪態をついていたが、発砲した州兵も、パニックに陥っていた。

どこから攻撃を受けるか分からない緊張感。仲間の戦死。なぜ、州兵は、なにもしていない犬にまで銃を向けるという行為をしてしまったのか。戦争で人を殺す、というのは、こんなパニック状態の中で行われるものなのかもしれない。

元来、人はそれほど簡単に人を殺せない。

こんな本がある。

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)
デーヴ グロスマン,Dave Grossman,安原 和見
筑摩書房

このアイテムの詳細を見る


戦場での銃撃戦で、弾の命中率は二次大戦まで非常に低かった。人は、敵に相対した時、無意識に銃口を上に向けてしまうらしい。相手を見据えて、確実に銃弾を当てるためには、かなり特異な精神構造が必要であり、アメリカ軍はベトナム戦争時に特殊な訓練を行い、その命中率を飛躍的に向上させた。さらに、ゲリラ戦に悩まされた米軍は、女性子どもにも迷うことなく銃口を向けるための訓練も行っている。ある意味で、洗脳、したわけだ。

しかし、その結果、帰還した兵隊たちにPTSD(外傷後ストレス障害)の症状が多く見られるようになり、社会問題化している。

「相手を殺さなければ、自分が殺される。」

相手が兵隊なら、それもよく分かるが、女性はまだしも、子どもや老人にまでその矛先が向いてしまう、戦場での心理状態。正常な判断力を失わせてしまうのか、または正常な判断力でもってそんなことまで行えるような、悲惨な状況。日本兵による南京虐殺も、ベトナム戦争も、現在のイラク戦争も、ゲリラと戦わなくてはいけない状況だった。そんなときには、容易にこんな状況に陥るんじゃないかと思う。

こんな体験が、加害者の側にも、なにも残さないはずはない。

旧日本兵の中にも、復員後、戦場での体験を黙して語らなかった人が多かっただろう。自分のやってきたことに対する、深い後悔や嫌悪感、罪の意識。それを話してしまうことは、そんなことをした自分を認めてしまうことにもなったかもしれない。

さらに、それらの行為が、正当防衛だったとか、戦争状態だったため仕方なかったんだ、さらにそれ以上に自分の勇敢さをひけらかすように雄弁に語った人もいただろう。その裏側には、自分の行為を正当化することで、精神の均衡を保とうとする意識が働いていたのかもしれない。

加害者として、戦争を体験した人たちも、もうすこし大きな視点で見ると、戦争の被害者ではないのかと、最近は考えるようになった。

そして、それを送り出した側の問題。これについては、また書いてみたいと思う。


暑苦し~いブログ主とナイショ話がしたい方はkuutamo@mail.goo.ne.jpにどうぞ。
拍手してくれたら、こっそりメッセージも送れますよ。うふっ
拍手してみる?

(音が出るので、注意してね

最新の画像もっと見る