愛の種

 
 猫がいる限り アセンションが止まらない
  

不登校中の3女について

2015-09-02 01:55:56 | 不登校
よく親が口にしているのを聞いたりします。

「子供は学校にいくのが義務」

ほうほう。義務ですか。義務ってなんだろうね。

それって大人の解釈にしかすぎないよね。

私は子供が小学生のころまでは、動物だと思っていました。それも野生動物。衝動的な行動をしてしまう動物だと思って、育ててきました。でもそのなかでも人間が人間らしく生きる本能もありますね。
人間は集団で生きる動物です。集団で、同級生たちが、こぞって小学校に入学する。だから自分もそうするのが普通。みんなが小学校に行って勉強する。だから自分もそれがあたりまえだと思ってそうする。集団生活を営む人間の本能は、みんなとおんなじ行動をすることで安心したり、それが常識になります。

ですが、それに背いて、みんなが通う学校に、自分ひとり足が向かない。やすみが続く。どんどん孤独になる。本能と違う方向にいくのは、実はとってもどえらいこと。すんごく異常な事態がすでにその子に起こっているということです。
そして、不登校にならない子供は、本能の赴くまま、常識に沿って生きているということ。そこに「義務」などない。義務を感じて学校に行くというのはすでに、苦痛だから義務感を感じさせて鼓舞して学校に行こうとしているだけ。

形にとらわれてばかりだと、心が養えなくなるから、私はもう形は放棄です。心に栄養を与えることが私の務め。決して義務でないわ。義務で子供を育てられないもの。義務なんてくそくらえ。義務うんぬん語るくらいの愛情のない親なんてくそくらえ。子供を、あの乳飲み子から大人になるまで、育てるのって、実は大変だよ。実はお金もすんごくかかる。実はめんどう。実は飽きたりもする。放棄したくもなる。でも、それでも育てているのは、子供がかわいいから。子供が大好きだから。それだけ。子供が生まれた瞬間てのは不思議な瞬間。自分の命より大事な存在が、いきなり現れちゃうんだからね。おなかにいるころからもそう。妊娠してるときも、至福のひと時を感じて生活していた。

わたしは義務で育てられない。愛情で育ててるだけ。私の母性本能がそうしているだけ。本能がそうさせているだけ。この本能は、きっと私の親から貰ったもの。
3女の本能が良い方向に向くようにできるだけのサポートをしようと思う。
3女の行きつくところは、大人になって家庭をもって、子供を産んで、その子供を本能のまま愛し育てること。自分の子供をかわいがって大事に育てられる、そんな女性になるよう、今、今、ハートを大事に育てているところ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 不登校中につき | トップ | 中年の恋愛事情 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿