毎回、神回の、清水友邦さんのフェイスブック記事
マルパクリです。清水さんごめんなさい。
私が普段気になるのが、牛の食肉ですね。つい、食べてしまう機会がどうしてもあって、そうすると、時々ですが、夢にみるんです。牛が暴れているんですね。私は怖い思いをしてしまうんです。きっと牛が死ぬ間際に感じる思いが肉の細胞に残っていて、それを食した私が夢で見るのだろうと。これは現代病だと清水先生の記事を読んで思いました。かつて縄文人は敬意を持って動物を殺し、その魂が迷うことなくきちんと天に帰るように祈ったのだろう。だから、殺された動物も、自分が死んだとて、誰かの命をつなぐ役目を果たしたと悟るだろう。
私の長女が不登校で家に閉じこもっていたから、運動しないでいたせいだろう。むずむず病を煩っていた。あまりしられていないが、娘が寝ようとすると、体中むずむずしはじめて、寝られなくなってつらいのだ。中には自殺する人まで居るらしい。なので、パソコンでネットで調べました。
病院にいっても直せないこの病。わたし、治しました。
肉を絶ったのです。およそ三年間は我が家に肉は食卓にでませんでした。野菜生活です。結果、当時下宿していた姪っ子のひどいアトピーが治りました。花粉症も軽減されました。そして娘のむずむず病が発症しなくなりました。
そして肉を絶って2年ほどしてから、牛の夢をみたのです。広い草原に一頭の大きい牛が寝ていました。とっても幸せそうだったの。
この時、私は牛に感謝されたのだと理解しました。
でも現在は、再婚した夫は肉食べるし、下の娘らにも、肉が食卓に出ていない!と気付かれてからは、出さないと、文句を言われるから、肉料理をだして、私も食べちゃっています。でも極力牛肉は食べないようにしてました。たまに食べるとおなかが痛くなるので、やっぱり体が合わないのだろうと思います。あくまで私個人のことであります。
⇓⇓⇓
清水 友邦さんが写真17件を追加しました。
11月17日 6:08 ·
「動物性食品は波動が低く植物性食品は波動が高い」という話を聞くことがあります。
マクロビオテックを広めた久司道夫氏はつぎのように言っています。
「獣肉(略)をとると、それらの荒々しい波動は肉体だけでなく精神の波動にもなり、多くの場合、闘争心となって敵対的な他者との競争を望むようになるのです」
もっと過激に「肉を食べる人は霊性が曇っていて、魂の透明度が低い」とまで言っている人もいます。
「肉や砂糖を食べると低級霊に憑依されやすい」と信じている人もいました。
この肉食の話は昔からあってニューエイジの元祖、神智学協会のアニーベサントも「肉を食べると魂は下等生物のからだで作られた家に住むことになる。そうすると人間のからだは野卑な動物本能と呼応してしまう」と講義でいっています。
神智学協会の会員が多いスリランカではカースト意識が強く、仏陀や神々には菜食料理が,悪霊には肉食料理が与えられます。
二千年前のマヌの法典には「肉食は多くの生き物の犠牲の上になりたつものであるから肉食を断つことは人間のもつ動物的本能が制御され、人間性を高めることができる」と書かれています。
ですから、何千年も継続しているインドのヒンドゥー教社会の高位カーストのブラーミンのジュータハー(穢れ)へのこだわりは尋常ではありません。
いかに不浄な物に触れずに生活していくか、清浄さを保つ努力を日夜続けています。土の中で育つ野菜は太陽の光がとどかない所で育つので浄化されていないと考えるので根菜類も食べません。
不浄なものに触れたものも不浄とされるので、皿やコップなどの食器類を一緒にされるのを嫌います。
牛や牛の糞は神聖なのに牛の肉は不浄とされるのだから矛盾していますね。
かれらは仕事上などやむをえない場合意外はノン・ベジタリアンとは食事をともにしません。
実は文献によると遥か昔のベーダの時代は肉を食べていたブラーミンもいたようです。
高位カーストのブラーミンは肉を食べませんがカースト制度の最下層(アウトカースト)は肉を食べます。
いや食べるというより肉を食べるように強いられていると言った方がよいかもしれません。
「私たちのつとめは、動物の死体の片付けでした。仕事への報酬はなかったので、その動物の肉を食料にしなければなりませんでした。高位カーストの食べ残したのや、よごれたり腐ったパンを動物の死体の肉とまぜてたべるのです」アウトカースト(不可触民)の証言
高位カーストのブラーミンはたしかに菜食ですが尊敬に値しないブラーミンも大勢います。
インドでは花嫁の持参金をダウリーといいます。
結婚する花嫁の親は高額の持参金ダウリーを要求されます。
インドではダウリーが少ないからといって事故を装って妻を殺すダウリー殺人が後を絶ちませんでした。
ブラーミンも例外ではなく、ブラーミンの姑や夫に台所で灯油をかけられて嫁が焼かれる話は珍しくありません。
菜食のブラーミンが波動が高く肉食が波動が低い話は空虚に聞こえるでしょう。
ヒトラーは1931年から、ワーグナーの影響を受けた菜食主義者でした。ユダヤ人大殺戮の責任者だったナンバー2のヒムラーも朝に温野菜を食べる菜食主義者でした。ドイツ第三帝国は肉食と糖分、脂肪の取り過ぎに注意するよう国民に呼び掛けていました。
アルコールと喫煙の禁止、動物愛護、軍事目的以外の動物の化学実験の禁止などもありました。
「私は人が死んでも悲しまないが、動物が死んだら悲しむ」
ヒトラーにとってユダヤ人は動物以下でした。
チベット人は肉食です。
チベット仏教のダライラマ法王もチベットの高僧も肉食でした。
菜食している人が霊性が高く、肉食している人は霊性が低いと食事で霊性にランクをつけるのは外から植え付けられた考えです。
それは心と物質の次元の混同でありカテゴリーのエラーです。
マインドは優劣を比べてランクをつける癖があります。
菜食を信仰している人の陥りやすい問題点は頭で食べてしまうことです。
すべての問題を食べ物に還元してしまいがちになることです。
心の問題も食べ物の陰陽に置き換えてしまうと物質と精神のレべルを取り違えるエラーを起こしてしまいます。
そして頭で食べてしまうと体の欲求を抑圧して心と身体が分離してしまいます。
ところでオックスフォード大学の研究でベジタリアンは脳卒中を患いやすくなるという研究報告があります。
ベジタリアンの脳卒中が20%増加していますから極端な菜食は血管が破れる脳出血が起きやすくなるリスクがあります。
その為にベジタリアンは短命だと結論づける人がいますが同じオックスフォード大学の研究でベジタリアンの虚血性心疾患の発生率は22%低下しています。
そのほかにもベジタリアンは、肥満、狭心症や心筋梗塞、糖尿病、高血圧になりにくいデータがあります。
一般化と個別化を混同して、人間の健康と寿命を単純に何何が悪いと短絡的に決めつけることはできないのです。
そして肉を食べないベジタリアンにも次のような種類があります。
ヴィーガン
肉や魚はもとより乳製品や卵も食べない植物性の食品のみを食べる完全菜食主義者。
ラクトベジタリアン
肉、魚や卵は食べないが、牛乳やチーズ、ヨーグルトなどの乳製品は食べる
オボ・ベジタリアン
肉、魚、乳製品は食べないが、卵は食べる
ラクト・オボ・ベジタリアン
肉や魚は食べないが、卵・乳製品は食べる
ペスコ・ベジタリアン
鳥獣の肉や養殖魚は食べないが、自然の魚や卵・乳製品は食べる。
日本の伝統的な食生活はペスコベジタリアンに近いです。
肉を食べない日本の棡原の老人たちは健康で長寿でした。
逆に肉を食べる西洋化した食生活に変わった戦後は短命化してしまったのです。
「長寿村・短命化の教訓」
肉を食べる狩猟民族の祖先霊は植物より動物が多く敬われます。
アイヌ民族にはヒグマが若者の姿をしてアイヌの女性と結婚をして出来た子供が祖先だという神話があります。
祖先が熊なのでその家系は熊とは親戚です。ラコタ族の偉大なる精霊ワカンタンカは熊の姿に化身して姿を現します。
クマの夢を見たものは偉大なメディスンマン(呪医)になるといわれています。
先住民のシャーマンは変成意識状態の中で動物の霊に会い知識と力を得て部族を助けます。動物のシンボルや儀式が多くの先住民の文化に見られます。
シャーマンはパワーアニマルを得ずしてエネルギーのセンターを開くのは智慧を伴わない力を得ることになるので危険だと忠告をします。
先住民の人々は人間と動物をわけませんでした。
部族社会では人間と動物は親戚、兄弟の間柄でした。
人間と動物、植物は同じ地球生命圏に属する一員でした。
神話の世界で人と動物と大地は深い絆で結ばれていました。
動物を尊重し敬意をはらっていました。
クマを殺した狩人はクマに敬意を払い羽で美しく着飾って歌を歌い太鼓を叩き、クマに贈り物をして感謝の儀礼を執り行いました。
先住民族は動物を殺してはいましたが現代人のように下等と見なしてはいませんでした。
動物は自ら喜んで殺されに来る自発的な犠牲者でした。
それには動物が敬意と感謝を持って殺されること
またこの世に戻って来れるように、母なる大地に戻してよみがえらす儀式が行なわれること、
祈りを捧げられること、
これらのことが行なわれることを了解して動物は喜んで供されるのでした。
動物と人間の間には自然を尊ぶという契約が交わされていました。
生きるということは他の生物を殺して食べる事によって成り立っています。
そこには殺す側と殺されて食べられてしまう側の、二つの側面があります。
どちらも大いなる命の一部なのです。
狩猟民族は動物に感謝しその生命エネルギーを根源に返して、この世に再び戻る事を願って儀式をしました。
東南アジアの農村で豚は広い所で放し飼いで飼われています。
ところが日本では集団で飼った方が能率が良いからといって、ひどい所ではぎゅうぎゅうづめにして飼っています。
効率を最優先させるには、ただただ早く太らせて出荷するのが現代社会です。
狭いコンクリートの上では運動もできません。お日様にもあたれません。食べ物は合成肥料、当然、豚はストレスで不健康になります。
そのような水っぽい不健康な肉はムレ肉やふけ肉といって食肉加工にまわされます。
そのような豚や鶏は病気に弱く、死なれると出荷できなくなるので抗菌薬を餌に混ぜる業者もいます。
アメリカでは1万5400トンもの抗生物質が家畜に使われていました。
人に使われる量の4倍になります。
狂牛病になるような合成飼料で育てられて工業化された肉は石油パックの袋につめられ肉が黒くならないように食品添加物までいれられてスーパーマーケットの陳列棚にならべられます。
そして、現代人は食肉にされる動物たちがどのような殺され方をしているのか知りません。
恐怖と苦痛を与えてした肉と敬意を持ってされた肉の違いは無視されます。
の現場を見てから肉が食べられなくなった人もいます。
アイヌのフチ(お婆さん)は野生の物を得る時に、生きているものに申し訳ないといって泣きながら得たそうです。
石油パックにはいった切り身の肉を買って食べる感覚とはほど遠い世界です。
大自然への畏怖と感謝を忘れた現代人はあとでまとめて大泣きするはめになるかもしれません。
「白人たちは、大地や鹿や熊たちのことを、いつも馬鹿にしています。
私たちインディアンは、獲物を射止めたときには、 その身体を残さずに全部食べます。
根っこを引き抜いたり、家を立てたりするときにも、小さな穴を掘るだけです。
イナゴを退治するために、野焼きをするときにも、 私たちは全部を焼き払ったりは、けっしてしないのです。
どんぐりや松ぼっくりを落とすために、私たちは、枝を揺するだけです。 木を伐ることもしません。
枯れ木を使うだけです。
ところが、白人たちは、地面を耕し、木々を伐り、ありとあらゆるものを殺すのです。
木が叫んでいます。
「やめておくれ。痛いよ、私を傷つけないでおくれ」と、
それなのに、白人たちは、木を伐り到しては、バラバラに解体します。
大地の霊は、そのことを憎んでいるのですよ。
白人たちは木々を引き抜いては、大地の霊を、心底からおびえさせているのですよ。
大地の霊が、白人を愛するなどということはないでしょう。
白人が手を触れた場所のいたるところで、大地の霊は、深く傷ついてきたのですから」
(アメリカ先住民ウィント族の老婆の言葉)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます