ハッピー星人にはアンハッピー星人の気持ちは分からないし、
アンハッピー星人にはハッピー星人の気持ちが分からないものだ。
だけど
ハッピー星人がある日突然アンハッピー星人になる時が来るかもしれない。
アンハッピー星人がある日ハッピー星人になる時が来るかもしれない。
自信がある人間は自信のない人間を愚かに感じ、自信がない人間は自信のある人間を鬱陶しく感じる。
だけど
本当に自信がある人間はそもそも人を愚かに感じることもないし、
本当に自信がない人間はそもそも人を気にする余裕がない。
みんな、自分は正しいかのように立っていても逆側から見れば滑稽な時もある。
1番タチが悪いのは"あなたはコレを言って欲しいんでしょ?"という斜めからの見下し。
さも相手を褒めているかに見えて、自分が相手を転がしてる優越感に浸るタイプ。
褒めることも
叱ることも
愛がなければただの嫌味だ。
いつかその日が来たとき
分からなかったものが初めて見えたとき
"ぁあ、あの人が見ていた世界はコレだったのかぁ"と、妙な気持ちになったりして、想像力から経験値がupして、思いやりバロメーターが上昇する。
と、同時に、
"あの時は知らずに傷つけてしまったなぁ、、ぁあ無知だったなぁ。恥ずかしい。情けない"と、ちょっとした反省が生まれたりする。
今見てるものの全て、今あるもの全て
今当たり前だと思ってることの全ては
如何様にも転んでしまうし動かすことができる。"感じる力"は自分にしかない最大の武器である。でも感じた気持ちに素直に生きるのはすごく難しい。
今日の自分と明日の自分が違うのは当たり前。天気ですら毎日違うし。
昨日咲いてた花が枯れてるかもしれない、昨日蕾だった花が咲いているかもしれない。
超絶微妙なバランスで命は成り立っていると思う。
【幹が太くなれば揺れなくなる】
というのが成長において最も必要な軸ですが、幹を太くするために、どれだけの自信をつければいいんだ、、、っていう難しさ。笑
大半が、幹を太く成長させるのではなく、細い小枝に、沢山の重たい油粘土をくっつけてくっつけてくっつけて太く誤魔化す達人である。
達人たちは、誤魔化しのプロであるがゆえ、まわりに大きな影響を与えることができるし、さも本物かのように自らを大きく見せて諭すプロなのだ。
しかし、本物と偽物は全くの別もの。
ちなみに。
ワタシ、ネンド、ヤダ。
ワタシ、ミキ、フトクシタイ。
ワタシ、ニセモノデ、カッコツケルノイヤダ。
ダッテ、ダサイヤン。デモ、ホンモノデカッコツケルノモ、ダサイヨネ(笑)
ここまでの話は人生に当てはまる話だけど、これは音楽でも同じことなんだ。
偽物か本物かは明らかに違う。
だけど、残念なことに本物を見極める力を持つ本物もまた少ない。
むずいねぇ、全く。
であるならば、やはり自分が自分に嘘をつかなければ、それは紛れもない真実であり、その真実の己に対して起きた喜びは、より一層の幸せになる。
だけど、やっぱり
むずいのよねぇ、生きるって。
ヾ(๑╹◡╹)ノ"