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五十路ミセスのオカリナ・ユニット‘笑む~’笑顔と癒しの音色を、お届けするボランティア活動をライフワークに「日々是好日」

リハーサル(少年吟士)・・・那珂川町吟詠大会

2008-10-01 22:41:53 | 詩吟
来る、10/5(日)那珂川町ミリカローデンで開催される『創立15周年・那珂川町吟剣詩舞連盟・吟詠大会』のリハーサルが、ありました。

今回のハイライトは、『日中・夢のかけ橋』のタイトルで、「阿倍仲麻呂」の生涯を詠い繋いだ‘構成吟’です。

奈良時代に「遣唐使」として中国に渡った仲麻呂が、10代後半に詠んだとされる『無題』を、同じ歳の頃の高校生が朗々と詠いあげます。
少年吟士は、西日本吟詠会・小松扇陽教室少年部に通う高校2年生です。
私が出会った小学生の頃は、まだボーイソプラノの可愛いらしい少年でしたが、時を経て、すっかり大人びた逞しい青年に成長して、見事に仲麻呂の想いを詠いあげました。

背景に映し出される仲麻呂の肖像画とのオーバーラップが、なかなか粋な演出で、一瞬タイムスリップしたような感覚にさえなりました。

類(たぐい)稀なる才能で文名を高め、玄宗皇帝始め3人の皇帝に仕え、とうとう帰国を果たせぬまま望郷の思いで唐土に骨を埋めるまでの72年間の生涯が描かれてます。
仲麻呂と親交の深かった、李白・王惟・白居易などの漢詩を交えながら、次々とベテランの吟詠者にバトンが渡されストーリーが展開されていきます。

最後は、『天の原ふりさけみれば春日なる・三笠の山に出し月かも』・・・百人一首や万葉集でも有名な和歌ですが、何度か試みた帰国に際して船上で詠んだとされてます。
無情にも、この時の船は暴風に遭い安南(今のベトナム)に漂着しながらも仲麻呂と、他の幾人かだけが九死に一生を得て奇跡的に長安に辿りつきます。

この詩は揚子江を望む、中国・鎮江郊外に望郷・望日の詩として今もなお歌碑が残されてるそうです。

   ▼『無題 』   (阿倍 仲麻呂)

「慕義名空在」  義を慕う 名空(むな)しく在 り

「輸忠孝不全」  忠を輸(いた) すも孝(こう) 全(まつ) たからず

「報恩無幾日」  恩に報ゆる幾日 も無し

「歸國定何年」  国に帰るは定めて何れの年ぞ

<大意>
『人のふみ行うべき道である 「義」 を求めて励んできたが、空しい名声だけがあるばかり。
故郷を離れ、唐土に来ているのは、君に忠を尽くすことになるが、親に孝を尽くすことが出来なくなってしまっている。
私も歳を重ね、この先、親の恩に報いたくてもその日が何日もなくなってしまった。
果たして日本へ帰国できるのはいつであろうか』