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【読書メモ】辻真先『焼跡の二十面相』(光文社)

2022年08月24日 | 読書

『焼跡の二十面相』。本作は江戸川乱歩『少年探偵団シリーズ』をもとに、作家・辻真先氏によって創作されたオリジナル・ストーリー。要するにパスティーシュ(またはファンアート)ではあるけれど、戦時下で推理小説が禁止され、戦後に復活するまでの間の明智探偵・少年探偵団シリーズものの空白期を埋める作品でもある(乱歩のミステリ作品には、1940年連載終了の『大金塊』『幽鬼の塔』から1949年の『青銅の魔人』まで、10年近いブランクがある。戦前の作品で二十面相が登場したのは、1938年の『妖怪博士』がラスト)。


本作の舞台はいわゆる玉音放送の直後の焼跡の東京。輪タク(人力車を改良した自転車タクシー)に乗って逃走する容疑者を追跡中の中村警部と、小林少年が鉢合わせるところから、物語はスタート。しかし、輪タクを追い詰めると、追っていた隠匿物資のブローカーは、何者かに刺されて死んでいた。輪タクは一度も停まることがなく、誰も幌をつけた客車に近づかなかったのに? 白昼の密室殺人事件。逃走する輪タクの運転手。追跡する小林少年の行く手を阻んだのは……。

敗戦直後の日本の混乱を描いたこの導入がよかった。
「彼(二十面相)が隠れたマンホールは、鉄の蓋を軍に供出させられて木製となり、戦火に焼け爛れた今では、ぽっかり黒い穴が開いているだけです」
という冒頭の焼跡の描写は、ハリボテに過ぎなかったウルトラ軍事天皇主義が瓦解した、戦後日本の空虚そのものである。


明智探偵は軍の委嘱で日本を離れ、文子夫人は軽井沢の別荘に疎開中。小林くんは空襲に際しても焼失を免れた龍土町の明智邸の留守を守り、小さな畑でせっせと作物を育てている。水っぽくて不味い南瓜、芋より茎を煮て食べることの多い薩摩芋。ある夜のメニューは隣のおばさんにもらった玉ねぎだけを具にした塩っぱいだけの汁だし、お弁当はご飯粒をまぶした梅干しに沢庵漬だけである。
「我慢しろって。空襲がなくなっただけでも、マシじゃないか」
と、空腹でグウとなる自分のおなかに向かって苦笑いする小林少年のせりふには、作者も体験した当時の貧しい食事事情が反映されているのだろう。
東急電鉄の満員車中で、もうじきマッカーサーが日本へ来るというのに、満員電車の中で四つか五つの男の子が「出てこい、ニミッツ、マッカーサー」と軍歌を歌い出し、「やめてよ!アメリカ軍に殺されるわよ」とおろおろするばかりの母親に出会うシーンも印象的である。「坊や、その元気だ!日本は勝つ、必ずや勝つ!」と、バクダンでも飲んだのか昼から酔っ払っている老人が無責任に褒め上げる。と、思うと、老人はいきなり国民服のズボンを下ろし始め、そのまま酔いつぶれ、仰向けになったまま放尿を始める。手品みたいに老人の周囲がドドッと空く。小林くんは呆れるよりも感心する。
「あんなに詰まっていた車内も、いざとなれば空くじゃないか」
勇ましいことをいいながら自分が真っ先に酔い潰れる老人が支配者とその狗ども、いざとなるまで文句もいわず満員電車に揺られ続ける乗客は民衆のカリカチュアだろう。小林少年の目を通して、敗戦後の混乱した世相が、リアルに描かれる。
描写の端々に、戦争体験を将来に伝えようとする意志が感じられた。

「えっ。金持ちはみんな隠匿物資を抱えていたんですか。(中略)『日本中が足並み揃えば、太平洋も大陸も平和に晴れて、青空には日の丸が上がる』と声を合わせて歌わされたんだ、ぼくたちは!」

日本放送協会の『少国民奉祝の歌』を引用して大憤慨する小林少年の義憤も、作者自身のものなのなのだと思われる。

「りんごのような赤い頬も少し痩せましたが、まだ元気いっぱいの少年です。溜息ばかりつく周囲の大人を見て、これではいけないと思いました。
こんな有様では日本が滅びてしまいます。戦争に負けただけでなく、自分にまで負けたのでは、ここまで生きて頑張った時間が残らず無駄になるではありませんか」

敗戦を知り戦後の再出発を誓う小林少年の決意も、またしかりである。私は「テレビまんが」といわれた初期のアニメーションに大きな足跡を残した作者の原点をそこにみる。私達は愛や平和やヒューマニズムを、辻真先氏らが手がけた「テレビまんが」で学んだ。私にとっては戦後民主主義とは、手塚治虫であり、藤子不二雄であり、石森章太郎であり、赤塚不二夫であり、辻真先氏らが制作を手がけたアニメーション作品なのである。

辻真先氏は1932年生まれ。今年もう90歳になられることに驚く。私がその名に初めて触れたのはアニメ『デビルマン』の脚本家としてだった。2017年にはコミケで売り子を務め、2022年現在も、ミステリやライトノベル・漫画、視聴したアニメの感想をTwitter上で発信しておられることを今回初めて知った。
2019年7月18日に起きた京都アニメーション放火殺人事件においては、中日新聞に寄稿し、『氷菓』や『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を絶賛し、事件の被害者を悼むとともに京都アニメーションにエールを送ったともいう。 自由民主党の議員を父に持つが、日本共産党を支持されており、推薦人名簿に名を連ねているのだとか。


さて、再会した小林少年と中村警部の二人の話題は、輪タク殺人事件の密室の謎を解きつつ、消息不明の怪人二十面相に及ぶ。1938年の『妖怪博士』で手下たちと一緒に一網打尽にされた二十面相は、一年も経たずに脱獄したと戦後の『青銅の魔人』では明かされている。
小林くんは語る。あの怪人が空襲で焼け死ぬわけがない。爆弾や焼夷弾に追われる二十面相なんて想像できない。東京に限らず全国の町が空襲を受けたが、田舎にだって二十面相のほしがる美術品はきっとある。
小林少年の予想どおり、二十面相は健在だった。二十面相が狙うのは、隠匿物資のブローカーの総元締めの大財閥の四谷家が「空襲で焼失した」と偽って隠し持つ「乾陀羅の女帝像」。乾陀羅はガンダーラですね。

ここから先は読んでのお楽しみ。ラストで明かされる、本所深川を焼き払った東京大空襲の悲劇は、ある国民的ヒロインの出生物語、そしてあの男との馴れ初めにつながっている。

以下は雑談。『少年探偵団』の小林団長は一種の名跡で、実は複数人いたのではないだろうか? 


本作の小林少年は、1936年作品の『怪人二十面相』で二十面相と対決した小林少年と同一人物であり、現在は中学生とされている。

物語の舞台はマッカーサー来日前の敗戦直後の1945年8月だけれど、当時の旧制中学は5年から4年に短縮されていた(戦後再び5年間に戻された)。

ということは、中学4年生として15歳、『怪人二十面相』当時は6歳(当時は数え年だから満年齢では5歳)だったということになる。もっというと、小林少年が初登場したのは、「満州」侵略戦争のさなかの1931年の『吸血鬼』なのだから、このときはまだ生まれたばかりになってしまう。

作中で小林少年は11~13歳の少年として設定されているが、活躍する時代は、「満州」侵略戦争(1931年~)のころの『吸血鬼』から、東京タワー落成(1958年)以降まで実に27年以上にわたっている。

そこで、作中では歳を取らない明智探偵にも小林少年にも、また怪人二十面相にも複数人間説がついてまわる。二十面相も戦前はアルセーヌ・ルパン風の正統派怪盗だったのが、戦後は着ぐるみマニアの愉快犯になってしまったことから、戦前と戦後では別人だという説があるようだ。私も思わず推理考察班に加わりたくなってしまった。

稚児趣味のあった作家・乱歩自身によると、少年探偵団シリーズは、小林少年をめぐる明智探偵と二十面相の三角関係物語でもあるという。いわゆるボーイズラブ的な視点では、本作は、明智の不在のすきを突いて二十面相が小林少年を寝取ってしまう、いわゆるNTR物(!)なのかもしれない。ネタバレになるので詳述は控えるが、乱歩の稚児趣味が、実によく再現されているように思った。

辻真先氏には『沖縄軽便鉄道は死せず』という作品もあり、鉄道ミステリーの名手でもあるらしい。私は本書のあるエピソードに、「キング・オブ・テツ」がモデルになった人物が登場するある作品を思い出した。鉄オタ的にも楽しめる作品になっているのではないだろうか。


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