新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

どちらかといえば京都タワーに近い

2021年05月21日 | 読書
最近、米澤穂信作品を読み返している。『さよなら妖精』では高校生だった太刀洗万智(たちあらい まち)が、元新聞記者のフリー記者として活躍する『真実の10メートル手前』を読み終えて、いまは続編の『王とサーカス』に取りかかっているところだ。

『王とサーカス』の舞台はネパール。ホテルで出会ったアメリカ人のバックパッカー青年に「日本で行くべき場所」を問われた万智の回答が面白い。

 「そうね。なぜだか自分でもわからないんだけれど、最初に京都タワーを思いついた」
 「京都は知ってる。タワーがあるんだ」
 「ええ」
 「楽しみだ」

なぜ、京都タワー?  

このアメリカ人青年が将来日本に行く機会があったとして、京都タワーを見てどう思っただろうか? 私、気になります。もちろん、万智はふざけたり、皮肉でいっているのでない。

『さよなら妖精』は1991年4月時点からスタートしている。太刀洗万智は高校3年生で、誕生日は7月5日。だから1973年生まれ……と書いたけれど、『さよなら妖精』を読み直したら、彼女は中学浪人している。つまりこの年19歳で、1972年生まれだ。

現役で大学に入学した彼女の学生時代には、1997年完成の京都駅ビルはまだなかった。修学旅行などで彼女が見た、京都駅もこんな風だったろう。新快速の屋外広告に見覚えがあるから、1980年代から90年代にかけての撮影ではないかと思われる。


この時代に京都で新幹線を降りて、まず目に飛び込んでくるのが、京都タワーだった。昔はまだ高さ制限も厳しく(京都タワーは「建築物」ではなく「工作物」とすることで規制を免れたようだ)、他に目立つ高層建築もなかった。「ダサいなあ。なんだこれ?」というのが、京都タワーを初めて見た当時小学生の私の第一印象だった。

私は長い間、京都はお寺が多いから、京都タワーは蝋燭を模したデザインになったのだと思い込んでいた。親にそう聞いたような気がする。しかしこれは俗説で、市内の町家の瓦葺きを波に見立て、海のない京都の街を照らす燈台をイメージしたものなのだそうだ。海の燈台と寺の灯台が、どこかで取り違えられてしまったのだろう。

まあ、燈台であれ蝋燭であれ、あのキッチュさは、1970年代に乱立したラブホテルや、大阪ミナミの立体看板に通じるものがある。しかしラブホのような実用性(?)があるわけでも、大阪のユーモア(本人はそのつもり)があるわけでもなく、真面目くさったところが、なんだかなあと昔は思っていた。

今の修学旅行は、行きたい場所に自由に行動できるようだが、私の頃はバスに乗って集団で移動するお仕着せのコースだった。清水寺に行ったことはかろうじて覚えているが、後は夜の枕投げ合戦しか記憶にない。修学旅行の京都の思い出は、枕投げ、まずい食事、そして「なんだかなあ」の京都タワーである。ま、修学旅行なんて、そんなものかもしれないね。

しかし考えてみると、私も京都らしい風景を一箇所選べといわれたら、先斗町とか川床とかなんとか寺とか、それらしい場所を挙げてみたいけれど、真っ先に思い浮かぶのは京都タワーと鴨川デルタである。京都タワーのあのインパクトは絶大である。

いまは京都の高さ規制も緩和され、高層建築も増えた。1959年4月11日創立の京都タワーもすでに築62年の立派な近代建築遺産である。

関西に移り四半世紀以上が過ぎて、いまでは京都タワーにも初めて見たときの違和感や拒否感はない。あのキッチュさが歴史景観と新景観を中和する役割を果たしているような気もしてきた。

建設当初は反対意見が多かったようだが、今では京都市民も京都タワーに好感を抱く人が多いという。永年見てきて、顔なじみになったようなものだろうか。

私は、年に1、2回京都を訪ねるに過ぎない。そんな私に心境の変化が起きたのも、京都タワーも自分と同じ昭和生まれだという、同世代感覚のような気がする。登場したときは高校生だった万智も、去年4回めの年女で、もうアラフィフだ。われわれは、今年の新入社員よりも、京都タワーの方に年齢が近い。昭和世代は今や、自分たちが若い頃にはまだ現役だった明治生まれ、大正生まれと同じように、生ける歴史存在になっていることに気づかされる。

そんなことを考えていたところへ、こんなニュースが流れてきた。

京都タワー大浴場、6月30日で閉店 夜行バス利用者にも打撃


理由はコロナ禍による利用客減少である。結局、私は京都タワー浴場を利用することなく終わりそうだ。

まだ鉄道が蒸気機関車だった頃、顔や体にこびりついた煤を洗い清めるためにも、ターミナル駅に大浴場は欠かせなかっただろう。松本清張の小説で、駅の浴場を利用する場面があったように思うのだが、記憶がはっきりしない。

汽車がトンネルに入る前には、夏場であっても窓を閉めないといけない、さもなければ煙が車内に逆流して流れ込んできて悲惨なことになると父親に聞かされたことがある。芥川龍之介の『蜜柑』でも、トンネルの直前だというのに、少女が汽車の窓を開けたがために、「煤を溶したようなどす黒い空気」が車内にみなぎり、主人公は煙を顔面に浴びて息もつけないほど咳こんでしまう。ラストはなぜ少女が窓を開けたのかの謎が明らかにされ、ハッピーエンドだが、目的地に着いたら、主人公はまずは一風呂浴びねばならなかったろう。

SLが引退しても、ターミナル駅に浴場施設は残った。しかし東京駅にあった浴場は、いまはホテルの宿泊客や施設利用者限定になった。名古屋駅構内の浴場は1991年11月に閉鎖した。新大阪駅の浴場は、カプセルホテルに模様替えして今世紀に入っても営業を続いていたが、これもいつの間にかなくなってしまった。

京都タワー浴場の利用者は高速バスの客によく利用されていたようだ。夜行バスが到着するのは朝の5時か6時ごろ。お店もまだ開いておらず、仕事の約束の時間も9時とか10時だろうから、すきま時間にちょうどいい。

東京にいた頃、京都に夜行バスで来たことがある。いつもなら新幹線なのだが、早朝のアポイントだったのだと思う。約束の時間まで、京都駅周辺をぶらぶら歩いて時間を潰した。東本願寺の堀で鯉を見たことを今もなぜか覚えている。京都タワー大浴場を知らなくて損をした。

最近は閉店のニュースによって初めてお店の名前を知ることが増えた。コロナ禍で似たようなケースはまだまだ増えそうである。

いつか見かけたきみは、京都タワーのゆるキャラだったのか。たわわちゃん。


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