
9月30日、土曜日も、摩耶山に登りに来ました…!
今日は雲が出てぃます…。

上野道の観音さま、今日もよろしくぉ願いします…!

ぃつものように、展望所やベンチで休み休み登って行きます…
近くの木の切り株のなかに、白い粘菌がたくさん棲み着いてぃました…。
こうして切り株は土に還って行くんですね…。

峠茶屋のぉ地蔵さま、今日も休ませてください…。


彼岸花が今週も咲いてぃます…。
峠茶屋は20℃…麓より、9℃も涼しいです…。
「行動食」のバナナとゆで玉子を食べて、少し休んで、山頂をめざしました…。
仁王門に着いて…

摩耶の大杉さん、ごきげんよう…。
ぉ山も、すっかり秋めいてきましたね…。
旧天上寺に着きました…。
まだ歩いたことのない道がぁるね…。


山頂に着きました…!


掬星台です…。

雲が出てきましたね…。
夜には、雨の予報です…。
摩耶ケーブル・ロープウェイ復旧記念植樹の石碑が建っていました…。
へいせい13年3月…? 2001年ですね…。
でも、記念植樹の近くにぁるこの木は、ケーブルやロープウェイ、掬星台ができる前から、この場所に生えてぃたんじゃないかなぁ…。

先週はきのこの大群落でしたが、今日はこの子ひとりです…。

ぉ父さん、ぉ昼にしよ…。
はぃ、コカ・コーラ ノンシュガー。ふつうのコーラは今週も売り切れだったよ…。
私はリプトンの温かいミルクティーにしました…。
虫よけスプレー、どうしたの…? スズメバチさんが近くに来てぃたのか…。
秋はスズメバチさんの活動がいちばん盛んになるから、注意しないとだね…。
なんだかあやしい雲行きになってきました…。
予報では雨は夜ですが、早めに下山したほうがよさそうです…。

天上寺まで降りてきました…。
天気は麓まで持ちそうです…。

百度石です…。
摩耶山に百回登ったら、私たちの願いも届くでしょうか…。

「じゃ、久しぶりに青谷道で帰ろう。2ヵ月ぶりだ」
と、父が言いました…。
私たちは黙って、蕪村さんや子規さん、修験者や多くの参詣客が登った原生林の参道を降りて行きました…。
日没にはまだ時間がぁりますが、登ってくる人も、降りてくる人も、もうぃません…。
父は「ほっ、ほっ」とぃいながら、テンポよく石段を駆け下りて行きました…。
と、思うと、はたと立ち止まり、
「ふむ。これ、降りるのはいいけれど、結構、高さあるぞ。登るとき、きつくないか?」
と、父は呟いたかと思うと、降りてきた石段を、また登って戻ってきました…。私たちは青谷道で降りて下山したことはぁりますが、まだ上ったことがないのです…。
「どうだった…?」
戻ってきた父と、一緒に降りながら訊きました…。
「そうでもなかったね。上野道の序盤や、天狗道に比べたら楽かな。でも、この道で上るのは老後の楽しみに取っておこう」
「老後だって…。60歳や70歳になっても、ぉ父さん今より元気で、毎週六甲山のロックガーデンに通ってぃるよ…。ふふ…」
「ようやく笑ったね」
「……」
私たちはまた黙って、山道を下って行きました…。
先々週まで鳴いてぃたせみさんの声はもう聴こえず、風の音が聞こえるだけです…。
「ねぇ、ぉ父さん…」
「ん?」
「先週、登りでしりとりゲームして遊んだのも、下りは青谷道で帰ろうとしたのも、私にあの子を見せたくなかったから…?」
葉をかじられ、ぼろぼろになったあの子を見た父は、「もう長くない」とぃってぃました…。
「そんなことはない。忘れてしまっていただけだよ。あのひこばえは、れんちゃんの友だちなのにね」
「…泣いちゃって、ごめんなさい…」
「いいってことよ。赤ちゃんのころを思い出して、かわいかったよ」
「…ばか」
「ずっと我慢していたんだね。栗園のことだけでも、今年はきみにとってショックな、理不尽で不条理なことが続いたのだろう。お父さんだって、かなり凹んでいるんだぞ?」
「がまん…?」
たしかに父のぃうとおりでした…。
6月、幼いころ、父と一緒に植えた栗の木のぁる栗園が、地権者さまのご事情で人手に渡ることになったこと…。
7月、昨年、父たちが新たに造った栗園の苗木たちも、鹿さんに芽を食べられて、枯れてしまったこと…。
8月、生き残った昨年植えた苗木たちも、今年植えた苗木たちも、ほとんど枯れてしまったこと…。
栗園以外にも、父も知ってぃていわないこと、父も知らないはずのことが、今年はたくさんぁりました…。
あのひこばえは、私には、あの苗木たちの生まれ変わりのように感じられたのです…。
「そうかもしれない…。ぅうん、ぉ父さんのぃうのとおりだよ…」
去年の1月に植えた苗木は、秋にはもう、小さな赤ちゃんイガをつけていました…。
ぁの赤ちゃんイガを、私が今も大事にしてぃることを、父も知ってぃるはずです…。
「お金を出したのは、私だけれど、あの栗園と苗木たちは、きみのものだ。文字どおりの株主であり、社長だね。きみには私たちの管理不行き届きを怒り、糾弾する権利がある」
「私はみんなの農園の一員で、株主でも社長でもないよ…。それに、あの鹿さんの食害は、誰にも予想できなかったと思う…」
「そうでもないんだ。いくら農業は素人だからといって、私は自分の読みの甘さを反省しているよ」

ご神木さまのところまで、降りてきました…。
やがて青谷川のせせらぎが聴こえてくるはずです…。
「ぉ父さん…」
「ん?」
「私には、色えんぴつと、キーボードとマウスがぁるよ…」
「すばらしい。三種の詩器だ。それで?」
「ぅん…! 悲しいことは、美しいことで上書きできるんだって…。私、まだまだ絵も文章も下手っぴだけれど、がんばってみるね…」
それは父にプレゼントされた画集の画家さんがぉっしゃっていた言葉です…。
「早速あの画集が役立ったようだね。私もうれしい」

不動の滝の渓流のところまで降りてきました…。

父がぉ不動さまの修験場の橋を渡りながらぃいました…。
「この橋、昔からあったのかなあ。蕪村の時代は、修験者も大勢いて、このあたり、沢登り、岩登りのような感じで、進んだのかもしれないねえ……。摩耶詣のときの蕪村、むかしの58歳なのに、私よりタフガイだぞ」
「五月山でも、昔は獣道を歩いたって、Fさんもおっしゃっていたもんね…」
私たちはさらに下って行きます…。
ちょうど清水を汲めるスポットの近くまで来たところでした…。
「五月山のFさんとはあれきりだけれど」
と、父が笑顔になってぃいました。
「ほら、ごらん。なつかしい人に再会できた」
向こうから歩いてきたのは、6月10日に青谷道登山口でぉ目にかかった、ベテランハイカーの方でした…!
7月12日にもぉ目にかかり、「こんにちは」とご挨拶したのですが、そのときはすぐにあの方だと気づかず、ぉ話しそびれてしまったのです…。
「やあやあ、お元気そうで! お嬢ちゃんも! お父さんのお守り、大変だね!」
「ごぶさたしています! ええ、娘に尻を叩かれて、あれからも毎週登っています!」
「むぅ…。ぉ父さんが、ぉ酒飲んでばかりだからでしょ…! すみません、またぉ目にかかれて、うれしいです…!」
短い挨拶を交わし、大先輩はぉ不動さんへ、私たちは登山口をめざします…。

つくばね登山会の本部まで降りて来ました…。
父は鉄棒で懸垂にトライです…。まだ体がなかなか上がらないようですが…。
「ねぇ、ぉ父さん…? ぁの方のぉ名前も連絡先も知らなくて、ぃいの…?」
「いーち。にー。…ごぉ…じゅう…じゅうご…。れんちゃん、ぉ父さんはもうだめだよ」
「私の大学卒業までは、がんばって…」
「ふー。峠茶屋のマヤーさんみたいなもんさ」
「猫さんと、いっしょ…?」
「この時間に青谷に降りてきたら、運がよければ会える。あの方もそう思っているよ。組織からせっかく自由になったのに、登山会とかもういいっておっしゃってたの、覚えてる? 山では地位も身分も名前も関係なく、自由なただの人になれるところがいいね」

青龍寺に無事到着です…。


帰りは、以前はぉ休みだったぉそば屋の「二滝」さんで、親子丼セットをぃただいて帰りました…。ぉいしかった…!
朝夕はすっかり冷えるようになりました…。父も久しぶりの熱燗を楽しんでぃました…。
となりの席の人に、私の帽子のオニヤンマフィギュアが、かわぃいって、ほめてもらいましたよ…!

ぉ父さん、どうしたの…?
『ゴジラの逆襲』で市民が逃げ惑うシーンの石垣、やっぱり神戸海星女子学院かもって…?
ぅーん、そういえば似てぃるかも…。これは摩耶山推しの私たちとしては、「検証」がひつようだね…!

それでは、帰ります…。
来週は、父は仕事が修羅場のようですが、それでも1日は完全オフで、摩耶山に登るんだそうです…。
来週は、どんな出会い…ぁるいは、別れがあるのでしょうか…?
日が落ちるのが早くなりましたね…。青谷道登山口に着いたときは、夕暮れの時間帯でした…。暮れなずんだ空と海を見た私は、若いころの父が初めて登った六甲山で、夕暮れの魚屋道を下山しながら口ずさんだとぃう、「あゝ、けふまでのわしの一生が、そつくり欺されてゐたとしても/この夕映えのうつくしさ」という金子光晴さんの詩を思い浮かべてぃたのでした…。