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慰安婦問題に関する一視座 「日本人」とはだれか

2019年10月02日 | 反戦・平和・反差別・さまざまな運動

 先日、「慰安婦はやはり『性奴隷』だといわねばならない」という記事を書いた。

 この記事は、 「文化庁は「あいちトリエンナーレ」に補助金を交付せよの続きである。

 少しこの問題について続けてみる。

 右派が「慰安婦が性奴隷でない」証拠とした、「貯金をしていた慰安婦」とは、文玉珠(ムン オクチュ)さん(1924~96)のことである。

 以下は、朝日新聞の「(慰安婦問題を考える)慰安所の生活たどる 韓国の故文玉珠さんの場合」を参照した。ぜひご一読を薦めたい。無料で全文が読める。

 文さんは日本語が話せて日本の歌も歌えたため、将校らの宴会で歌や踊りを披露して、軍票(占領地で軍隊が通貨の代用として使用する手形)をチップとしてもらうことができた。この軍票を手元に置いておくわけにもいかないので、文さんは野戦郵便局の軍事郵便貯金口座に預けた。預入額合計は2万6145円であり、戦後に利息が加算され、日韓条約締結時の1965年現在で残高は5万108円になっていた。

 この金額は、現代史家の秦郁彦氏もいうように、「今なら1億円前後の大金」だろう。

 しかし『主戦場』にも出てくる吉見義明・中央大教授は、元金の8割にあたる2万560円分が、1945年4~5月の預け入れであることに注目する。ビルマは戦況悪化でインフレが進み、物価が45年に東京の1200倍と急激に悪化したことを踏まえ、「貯金の大半は、日本がビルマ撤退を決めて軍票がほぼ無価値になった時期にもらったもの」と解説する。

 この文さんは、日本語に不自由がないから重宝された、例外的な存在だった。元慰安婦の多くが、「お金をもらったことはない」と語っており、もらっても全部親方が取り上げてしまったと証言している。この文さんの貯金も、宴会でもらったチップであり、慰安所で「行為」の代償としてもらったものではない。これは慰安婦が、「対価」を得て「売春」を行うセックスワーカーだったのではなく、無償で性行為を強制されるセックススレイブ (sex slave)、すなわち「性奴隷」だったことの証拠である。

 チップをもらい、貯金ができた文さんも、「逃げられなかった。外出は許可制」だったと証言している。慰安婦には性の相手を拒否する自由、廃業の自由、外出の自由はなかった。これを「性奴隷」と呼ばなくてどうするのだ。「奴隷」という言葉については、昨日のエントリを参照にしていただきたい。

 この論文にも多くのことを教えられた。木村幹「日本における慰安婦認識:一九七〇年代以前の状況を中心に」(PDFにリンク)

 慰安婦の中には、日本人女性もいた。この論文に出てくる重村元中佐の回想によると、日本人慰安婦は「大和なでしこ軍」と呼ばれていたらしい。慰安婦の中心は、朝鮮半島や中国大陸出身者であり、日本人慰安婦と彼女らの間では待遇の違いや、相手にする男性の階級等にも大きな違いがあった。日本人慰安婦は主として高級将校を相手にし、朝鮮人や中国人の慰安婦の相手は、 下士官以下の兵士や徴用者であったとされている。兵士も「自由」に相手を選べたわけではない。これも、慰安所が、軍の管理下と規律下に置かれていたことを示す証拠だといえるだろう。

 重村元中佐の回想によれば、日本人慰安婦も、大きく区別すると「あばずれ型」と「純情型」に分かれるという。「あばずれ型」には、「気のよい女達」が多く、それに芸達者な人たちも多かったが、身体を酷使している結果、 麻薬中毒の人も少なくなかったと回想している。純情型にも、「好きな人が出征したから私も」という椰子の葉陰での再会を夢みる夢女子タイプ、純真な気持ちで国策に従う愛国少女タイプ、そして募集者の甘言にだまされた詐欺被害者たちなどいろいろなタイプがいた。

 日本人慰安婦が、「大和なでしこ軍」と「軍」と呼んでいるのも、慰安婦らが軍規上も風紀上も衛生上も軍により厳格に統制されていたことを物語っている。

 1980年代に首相だった中曽根康弘は、1978年に、自らの海軍将校時代の経験について、「三千人からの大部隊だ。やがて原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために私は慰安所を作ってやったこともある」と、回顧している。

この中曽根証言が示すとおり、慰安所には軍により直接手配されたものと、業者が自ら進出したものの二つがあり、前者が戦場の奥深くまで配置されていたのに対し、後者は戦線後方の大都市を中心として営業を行っていた。

 しかし、右派が「強制ではなかった」「性奴隷ではない」という詭弁やペテンに必死になり、デマやフェイクがまかり通るのはなぜなのだろう。

 右派も慰安婦の存在そのものを否定しているわけではない。

 ここで、「男性中心的視点やそれ故の限界が存在した」という木村さんの指摘は重要だと思う。

 多くの慰安婦が朝鮮半島から動員されたこと、 さらにその動員が何らかの意味で彼女らの「意に反する」ものであった事自体は、兵士たちの間でも事実として当然視されていた。しかし、この問題を、植民地をめぐる問題と関連づけて理解しようとする動きは、極めて弱かった。

 「共に理不尽な支配に置かれた兵士」の視点から語られる「慰安婦」は、同情の対象ではあっても、兵士等自身も日本人として彼女等を慰安婦へと追い込んだ「加害者」の立場にもあるかも知れない、という視点が決定的に欠落していたのである。

 もちろん、慰安婦をめぐる問題を、日本帝国主義による植民地支配の問題に一面化することは、かつての「血債主義」の誤りに陥る可能性がある。

 血債主義について一言書いておけば、「当事者の意向を無視し、自らの反体制運動の草刈場としてきた新左翼もまたアジア人民に対する抑圧者である」という華僑青年闘争委員会(華青闘跪)の批判は今も有効である。そして新左翼各派が自己批判(いわゆる七・七自己批判)したことも正しい。しかし新左翼各派は、「アジア人民」を偶像化して拝跪する、人間解放からはほど遠い迷妄に陥っていった。これが「血債主義」である。

 慰安婦問題を、「反日」問題に一面化する右派の主張は、かつての新左翼各派の「血債主義」の裏返しの表現といわなくてはならない。どちらも、一人の人間、一人の女性としての慰安婦の声や生き様は捨象され、たんなる「かわいそうな人たち」としか見ようとしない点では一致している。

 慰安婦問題をめぐる右派の詭弁も、左派の迷妄も、「日本人慰安婦」の存在を突きつけられることで破綻する。彼女は「日本人」であるが故に支配者側にあると同時に、「慰安婦として被支配者側にある」という両義的な存在である。植民地の朝鮮人や台湾人には日本名が強制され、国籍上は「日本人」であったにもかかわらず、である。この矛盾は、蓮舫参議院議員のいわゆる「二重国籍問題」、大坂なおみさんに対する差別問題に通じる、「日本人とはだれか」という問題を突きつけてくる。

 当たり前のことだが、慰安婦問題とは、男性による女性に対する性の収奪の問題であり、植民地や占領地の人民に対する抑圧であり、将校たち支配層と兵士・慰安婦たち被支配層の階級対立の問題であり、戦争による人権侵侵害の問題であり、そのどの視点も欠かすことはできないのである。日本と南朝鮮両国の「政治問題」「外交問題」一般に解消されてはなるまい。


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1 コメント

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Unknown (くろまっく)
2019-10-04 06:51:48
新左翼セクト幹部の女性差別問題、広河某や鳥越某の問題も、女性を「慰安婦」がわりにするホモソーシャルという、ひと繋がりの問題だなと思う。
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