新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

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平和の少女像について 「恨」とDon’t feel

2019年10月01日 | アート/ミュージアム
 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で中止となった企画展「表現の不自由展・その後」をめぐり、芸術祭実行委員会と「不自由展」実行委が30日、展示再開で合意したという。再開時期は10月6~8日の方向だと伝えられた。

 いまの仕事が3連休までに片付けば、行ってみたい気もしてきた。名古屋は子ども時代に過ごした街でもある。たまにはスガキヤのラーメンも食べたいからね。

 『平和の少女像』が、「反日」であるというなら、日韓関係はもっとこじれて、破綻すればよろしかろう。「北」の金スターリニズムの世襲的専制支配体制を否定する立場に立たない限りは、「南」の文政権も、「北」の金一族もろとも、労働者大衆によって打倒されるべき対象にすぎない。「南」の左翼や労働者には、「北」を乗り越えるためにマルクスを読み直し、トロツキーやスターリン主義批判の思想や理論も批判的に学んでほしいと願う。

 しかし、そういう政治的文脈からは外れて、『平和の少女像』に、一つの芸術作品として向き合ってみたい。

 「芸術」も、「政治」や「経済」の下僕になってはいけないと思う。芸術も人間も、プロパガンダやメッセージの道具ではない。優れた芸術作品には、政治とか倫理とか道徳とか既成の価値観の軛から人間を解放して自由にする、根源的な力がある。

 私はこの『平和の少女像』には、朝鮮民族の「恨」(ハン)の思想が具現化されているのだろうと最初思った。 ここでいう「恨」とは、たんなる「恨み」ではない。古代からの中華帝国と、近代の日本帝国主義による植民地支配に翻弄されてきた、無念さや悲哀や無常観なども含めての感情である。もっとも、この感想は、茶器の名品を見て、「わびさび」「日本のこころ」を感じるといった、知ったかぶった、ごくごく平凡で紋切り型の感想にすぎまい。

 少女はただ黙って座っている。彼女は、観る者の人びとの心を映し出す、「鏡」のような存在だ。ただの人形だと思う人、性暴力や戦争の悲惨さに思いを馳せ心を痛める人、「日本人の心」とやらを踏みにじられたと怒りに駆られるもの、この作品の「解釈」は、観る人一人ひとりに委ねられている。

 私には、この少女像がニュートラルな「ただの人形」であるという点に、政治プロパガンダ人形になってしまった限界を感じる。しかし、それだけではない。

 少女は、一切の感情を露わにしていない。だから最初、これは「恨」だと思ったのだが、朝鮮の近代史や民族性だけに解消できない現代の普遍的なテーマも、この表情のうちにはあるように感じられた。私はこの表情に、かつて大ヒットした「Let It Go」の歌詞を思い出した。

 Don’t let them in (とまどい)
 Don’t let them see (傷つき)
 Be the good girl you always have to be (誰にも打ち明けずに)
 Conceal Don’t feel (悩んでた)
 Don’t let them know  (それももう)
 Well, now they know! (やめよう)

 この歌詞の「Don’t feel」は、妹のアナを危険な目に遭わせたエルサに、氷の魔法の力を封印するように教え諭す、父国王の言葉でもある。この事故と、このことばは、エルサのトラウマになっている。

 吹き替え版では、このセリフは、「感情を抑えて」だったかと思う。字幕番を見たとき、元セリフが「Don’t feel」だったことを知り、私はいささかショックだった。

 オリジナルの「Don’t feel」というフレーズには、既視感があった。児童性虐待の被害者が、虐待中に「お人形さん」になっていたとか、意識を遮断して上空から虐待される自分を眺めていたと語る体験談の中に出てきた言葉だったからだ。彼女たちは人としての感情を殺し、そして、この少女像のように沈黙した。

 ピカソの『ゲルニカ』には、この作品がスペイン内戦中に行われた無差別爆撃を描いたものということを知らなくても、人間の魂を根底的に揺さぶる力がある。しかし、この『平和の少女像』を何の予備知識なしに見たとしたら、その人の心は「平和」なままだろう。慰安婦を描いた作品であるということがわかって初めて、女性や人間の尊厳について思いを馳せたり、「反日」プロパガンダと怒りに駆られたりするわけだ。この少女像そのものを観ているのではなく、作者の「制作意図」を読み上げているにすぎない。

 もちろん、『ゲルニカ』のような作品は、天才のピカソにも一生に一作あったかどうかだ。少女像の作者のキム夫妻には、政治プロパガンダの道具にもなってしまう「物言わぬ人形」づくりではなく、もっと芸術の可能性を感じさせる作品に挑んでほしいと思う。

 しかし、この『平和の少女像』が、「表現の不自由」というテーマでもなければ、美術館に出展できず、それさえも許さないという政治や社会は、明らかに間違っている。作品が政治的なテーマを扱ったり、作者がデモに参加したという時点で、「政治的中立」を標榜する公共空間に存在が許されないという、事実上の「検閲」と「弾圧」が行われている。

 ヒロヒトの写真を燃やしたという作品も、私のような「極左」は、「いいぞ、ジャンジャン燃やしてやれ(グレタちゃんには叱られるけどな)」と思っただけのことだ。しかし美術館に一度は収蔵された作品が売却されたばかりか、図録まで焼却処分されたことへの抗議だったようだ。天皇を燃やしたのは彼らであって、作者さんではない。

 サイトで出展作を見て驚いたのは、「アルバイト先の香港式中華料理屋の社長から『オレ、中国のもの食わないから。』と言われて頂いた、厨房で働く香港出身のKさんからのお土産のお菓子」だった。

 作者の身に起きたことは、タイトルそのままである。実際のお菓子は食品衛生上展示できないので、包装紙を展示したという。

 これが美大展で拒否されたというのは、由々しき問題だと思った。一体この作品の何が問題だというのか。どこに表現の自由や学問の自由があるのか。写真でいえば、本人の技量と関わりなく、偶然撮れたワンショットかもしれないが、いまの日本の現代社会の一面を、確実に切り出しているのは間違いない。金賞は無理かもしれかないが、充分に入選作の水準ではあるだろう。ロバート・フランクが『The American』で、黒人も含めたアメリカの庶民の生活をとらえた1950年代より、明らかに表現状況は後退しており、人権感覚も劣化している。

 「政治的偏向があるのではないか」という批判については、在米韓国系の市民団体から「旭日旗」を思わせると抗議された横尾忠則氏の作品も出展させることで、「バランス」を取ったようである。

 ニューヨーク近代美術館の展覧会で使用されたポスター『暗黒舞踏派ガルメラ商会』には、旧日本軍の「旭日旗」を思わせる表現もある。大漁旗といえば、そのようにも見える。仏様の後光なのかも知れない。日章旗であれ大漁旗であれ後光であれ、私の目にはこの作品は、記号的表現に終始した、凡庸なものにしか見えなかった。「大家」として崇め奉られるうちに、生命力もオリジナリティも失い、時代からも取り残された老残の芸術家の姿しか、そこにはない。

 JRに採用を拒否された、加古川線のラッピング電車の写真なども展示されているらしい。ときどき利用した加古川線には、西脇市出身の横尾氏のラッピング列車が走っていたのが、いつの間にか消えていた。第5号案の「ターザン」が、「尼崎JR脱線事故の被害者を連想させる」としてJR西日本から採用を拒否されたのが最後だったようだ。

 このラッピング列車は、沿線住民の評判は今一つだった。私もこのラッピング列車が来ると、「ハズレ」と思ったりしたものだ(ちなみに「アタリ」は千葉都民時代によく利用した常磐線と同じグリーンの103系だった)。

 「表現の自由」は、「不快なものを見せられる不自由」でもある。私は不快なものを見せるなといいたいわけではない。この、表現者と鑑賞者の非対称性に、「アーティスト」はどれだけ自覚的だったのかということだ。

 芸術関係者にも、スポンサーも、ジャーナリストも、横尾氏が「国際的なアーティスト」というだけで、凡庸でつまらない作品まで、無闇にありがたがっていたのではないか。そこには表現者と鑑賞者がぶつかり合う、緊張関係はどこにもない。「福知山線事故」は、結局、JR西日本にとっても、断りの口実にすぎなかっただろう。横尾氏の作品自身が、「表現」であることも「自由」であることもやめていたのだ。自由を求めて闘う魂を失ったとき、「芸術」は「道具」に堕落し、政治や経済の都合のいい従順な人形として利用されてしまう。

 アーティストたちは、この表現の不自由展が攻撃され、弾圧されても、なお自分のアートが「政治的中立」であり、自分だけが延命できると、まだ思うのだろうか。しかしもうこの社会には、そんなゆとりはどこにもないのだ。

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