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大阪城の謎

2019年08月27日 | 大阪

 入院中、病室からは大阪城を眺めることができた。ある日、昼食をとっていたら、担当の看護師さんが聞いてきた。

 「大阪城って、織田信長が死んだ場所でしたっけ?」

 いつも面白いことをいう人なのである。このまま、お利口さんにはならないでほしいと思う。しかし、あまりにものを知らなすぎると、恥ずかしい思いをすることもあるだろう。「信長が死んだのは、京都の本能寺だよ」と教えると、本能寺の名は聞いたことがあったようで、

 「せや、本能寺。本能寺というくらいだから、お寺ですよね。わたし、あほやわ。ほな、あの城作ったの、信長ちゃいますの?」

 「その家来だった豊臣秀吉ということになっているね」

 正確にいえば、縄張りを担当したのは、そのまた家来の黒田孝高(よしたか・官兵衛)である。そして、現在の大阪城のベースになっているのは、豊臣氏滅亡の後、家康の命で秀忠の代に再建された徳川大坂城だ。しかし、説明がややこしくなるので、そこは割愛した。

  「えー、サルですかー? めっちゃイメージ悪い。信長がええわ。かっこいいし」

 私は笑った。秀吉のあだ名も知っていたらしい。それなのに、なぜ間違えてしまうのか。

 まあ、私も知ったかぶりをしているだけで、大阪城のことは良くわからない。

 ある年、姫路城を訪ねた。天守閣に登り、千姫ゆかりの化粧櫓も歩いたが、未加工の自然石を積みあげた「野面積み」(のづらぐみ)の石垣が印象に残った。これは秀吉や官兵衛時代のものらしい。石の形も大きさも不揃いで、隙間に小石を詰めている。野積みは、最も古い石垣の作り方だといわれる。これはこれで野趣にあふれているが、大阪城の石垣を見慣れたものの目には、あまりにも「雑」であるように見えて仕方なかった。

 「白鷺城」と呼ばれるだけあって、見事な白亜の城だが……

 

近づいてみると、野積みの石垣のラフさが目立つ。

「石垣だけなら、大阪城のほうが立派ですね」

姫路城の石垣を見ながら、同行の人たちと語り合ったが、石垣だけなら江戸城よりも美麗かもしれない。近世大坂は、「天下の台所」「「町人の都」といわれ、「大坂には武士がほとんどいなかった」という俗説もまことしやかにまかり通ってきた。それならなおのこと、「町民の都」には不釣り合いな、大阪城のスケールの壮大さや堅牢さが際立つのである。

 最近、この永年の疑問に、一つの答えが見つかった。(明日に続く)

大阪城 千貫櫓(左 重要文化財)と天守閣(右 昭和再建・平成改修)

 


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