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新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃん姉妹とお父さんの日々。

中国の女たちあるいは永久革命のために

2012年10月06日 | 革命のディスクール・断章
 諸事せわしなく、また7年前に書いたメモを再録する。最後の一文は、現情勢を受けて、きょう追記したもの。  1976年10月6日、 王洪文、張春橋、江青、姚文元ら「四人組」逮捕。  9月9日に毛沢東は亡くなった。いわゆる四人組は、「江青党主席、張首相」実現計画を進めていたといわれる。江青は自分こそが毛の後継者であってしかるべきだと考えていたのだ。後継も皇位継承も実際の違いはなく、毛を漢王朝の初 . . . 本文を読む

「納骨党」「似反体制」ってどんなやねん。

2012年10月01日 | 革命のディスクール・断章
「納骨塔」「2班体制」のことな。もうATOKたら、おちゃめなんだから。 な、わけはない。 「納骨党」は、なんだか日本共産党(行動派)のようである。初めて闘争に参加した三里塚でもらった「アカハタ」は、革命英雄記念塔の記事ばかりで、「死後裁きを受ける」という例の看板を思いだしたものだ。あれからもう何年がたつのだろう。きょうから10月。 . . . 本文を読む

〈革命の尊厳死〉に関する覚書

2012年09月22日 | 革命のディスクール・断章
 差別と暴力に関するメモの断片。  古き中核派(「良き」とはいわない)なら、差別も「共同性の対立的表現」あるいは「他者への対立を媒介として表現されたところの共同性」であり、「それゆえ、その止揚はその人間史的分裂の止揚を意識的に推進する過程をとおして実現されねばならない」というところだろう。  『暴力の復権のために』の「暴力」を「差別」と言い換えてみると、華青闘告発の七・七自己批判以降、中核派が . . . 本文を読む

三里塚 不可視の革命

2012年09月20日 | 革命のディスクール・断章
1993年のこの日、成田空港問題円卓会議が開始される。 空港開港から13年がたった91年5月、村岡運輸大臣は、これまでの政府のやり方のまちがいを農民に謝罪し、「あらゆる意味で強制的手段が用いられてはならず、あくまで話し合いにより解決する。「いかなる状況においても、強制的手段はとらない」と農民にたいして確約した。また、騒音問題、移転問題、落下物問題、環境問題、電波障害などの問題について、「合意事項」 . . . 本文を読む

アラブ人民と連帯して今こそ〈本土決戦〉を

2012年09月14日 | 革命のディスクール・断章
対米抗議デモ、イスラム圏全域へと拡大の様相  【カイロ=貞広貴志、ワシントン=山口香子】リビアやエジプトで発生したイスラム教の預言者をからかう米映画に対する民衆の抗議デモは12日夜(日本時間13日未明)、チュニジアなど周辺国に飛び火し、イスラム圏全域へと拡大する様相を見せ始めた。  まずはアメリカの駐リビア大使殲滅戦闘の勝利を喜びたい。戦争の犬どもは一匹でも多く地獄に叩き込んだほうがよい。 . . . 本文を読む

毛沢東の死

2012年09月09日 | 革命のディスクール・断章
 1976年9月9日、毛沢東没。あと3ヶ月で83歳の誕生日だった。  この日、中国共産党の指導者、毛沢東が死去した。毛沢東の死によって後ろだてを失った張春橋・江青・姚文元・王洪文のいわゆる「四人組」(=文革左派)が逮捕され、打倒される北京政変が起きる。文化大革命は完全に終了した。  毛沢東が最後に世界中から注目されたのは、1972年2月18日北京における毛沢東=ニクソン会談だった。この日、すで . . . 本文を読む

大日本帝国の降伏

2012年09月02日 | 革命のディスクール・断章
 1945年9月2日、日本は降伏文書に調印。日本の敗戦が確定した。  この日、横浜沖に停泊した米戦艦ミズーリ上で、二人の日本政府代表が降伏文書にサインした。帝国政府を代表する重光葵外相と、帝国軍部を代表する梅津美治郎参謀総長である。  ミズーリは、アイオワ級戦艦で、第2次世界大戦におけるアメリカ太平洋艦隊の旗艦。太平洋戦争中に竣工され1955年にいったん退役するが、86年にトマホーク巡航ミサイ . . . 本文を読む

日本人民と南朝鮮人民の連帯は可能か、可能とすればいかにして実現されるのか

2012年08月31日 | 革命のディスクール・断章
 質問に答える。もちろん、可能だ。いまのきみには無理だが。以上。  数年前だったと思うが、ある労組の委員長が、南朝鮮における国際連帯労働者集会で、「独島は韓国のものです!」と発言して、拍手喝采を受けたという。  いま、南朝鮮人民のファッショ的な排外主義扇動は、過去は日本帝国主義によって、現在はグローバリズムによって抑圧され誇りを奪われた、人民の血叫びであり、その階級的覚醒の疎外態であるのにほか . . . 本文を読む

マッカーサー元帥への手紙

2012年08月30日 | 革命のディスクール・断章
 1945年8月30日午後2時、ダグラス・マッカーサーがC54輸送機で厚木基地に到着。レーバンのサングラスにコーンパイプ。  マッカーサー(1880~1964)はこの年65歳である。昭和天皇(1901年)とほぼ同年ではないかと思っていたが、マッカーサーのほうが21歳、2回り年長である。  マッカーサーは1903年、ウェストポイント陸軍士官学校を首席で卒業し、フィリピンに配属された。13年参謀本 . . . 本文を読む

シオニズムに関する覚書

2012年08月29日 | 革命のディスクール・断章
 パレスチナ難民の若者が、レバノン大使時代の天木直人氏に、「もし核兵器があればイスラエルに迷わず撃ち込む」と語ったという(『さらば日米同盟』)。 いま、イスラエルの隣国シリアでは、政府軍が武装勢力と非武装の市民を区別せず、無差別に爆殺している。山本美香さんが死んだシリア内戦 「政府軍が町ごと破壊している」(安田純平氏)http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a . . . 本文を読む