聖書と翻訳 ア・レ・コレト

聖書の誤訳について書きます。 ヘブライ語 ヘブル語 ギリシャ語 コイネー・ギリシャ語 翻訳 通訳 誤訳

(000)神の子と人の娘がご乱行? 創世記6章1節

2018年04月23日 | 創世記






新改訳第三版 創世記6:1~2
1 さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、
2 神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。

新改訳聖書は『地上の人口が増えた。神の子は地上の女と結婚した』こういう解釈をしていますが、全く意味が違います。創世記6章は、大洪水のお話しが書かれていて、1~6節は、大洪水が起こされた『原因』が書かれているのですが、従来の聖書はここがきちんと翻訳されていません。ヘブライ語が語る『意味』は、次のようになります。

私訳 創世記6:1~2
1~2 その後、世の中はひどく不道徳になった。男たちは、女性が魅力的だったので、欲情の赴(おもむ)くまま振舞い、全ての女性を凌辱(りょうじょく)した。こうして多くの子どもが生まれた。


なぜ、こういう訳文ができたのか、説明させていただきます。

この記事の目次
・ヘブライ語の記述形式
・生めよ。ふえよ。地に満ちよ
・出産4点セット
・創世記6:1 ヘブライ語
・キー・ヘッヘルの解釈
・ハアダマーの解釈
・並行表現(対句)
・性別の明示
・新改訳2017はどうなの?



~ヘブライ語の記述形式~

『聖書は直訳で翻訳するのが良い』『直訳が正しい翻訳方法である』こういう理念で聖書は翻訳されてきました。これは全くのデタラメです。プロがおこなう通訳翻訳において、単語から単語に直訳するようなことはしません。言語というのは、直訳できない仕組みになっているからです。原語と目的言語の間には、根本的な違いがあります。言語構造の違い、コンテクストの違い、文化の違い、コロケーション(定型表現)の違いなどです。文の意味というのは、単に、一つひとつの単語に分散しているのではなく、表現形式も意味を担っています。創世記6:1~2を原文解釈する場合、聖書ヘブライ語の定型表現の知識がないと理解できません。従来の日本語訳聖書、英訳聖書は、どれも、創世記6章を誤訳しています。翻訳する人物が、単語から単語に直訳することしか知らず、定型表現(コロケーション)に関する知識がないからです。ここ1~2節を解釈するのに必要な三つの表現形式、『記述形式』『人口増を祝福する時に使われる定型表現』『出産4点セット』について説明させていただきます。

先ず『記述形式』から説明させていただきます。聖書ヘブライ語は、始めに『主題』を書き、そのあと『内容』を書く。始めに『結果』を書き、そのあと『理由』を書く。こうした書き方を好みます。

ヘブライ語聖書の記述形式


自分が翻訳してるテキストが『主題』を語っているのか、又は『内容』を語っているのか、どちらなのか理解できれば、原文解釈が大きく逸れることはありません。創世記6章1節は『結果:子どもがたくさん生まれた』、2節『その理由は~』こういう記述形式になっています。



~生めよ。ふえよ。地に満ちよ~

神さまは人間を祝福し『生めよ。ふえよ。地に満ちよ』と言われました。この言い回しが所々出てきます。

創世記1:28 新改訳第三版
・・・神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。・・・

創世記9:1 新改訳第三版
それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。

出エジプト1:7 新改訳第三版
イスラエル人は多産だったので、おびただしくふえ、すこぶる強くなり、その地は彼らで満ちた。



以上の文に共通して使われることばがあります。『生む パラ―(6509)、増える ラバー(7235)、広がる マレー(4390)』これら三つの動詞と、『エレツ(地)』です。この四つのことばが、ワンセットになっています。



創世記6:1を見ると、動詞『ラローブ 増える』は使われていますが『生む パラ―、広がる マレー』がありません。また、エレツの代わりに『アダマー』が使われています。ここは、祝福の定型表現になっていないので、創世記6:1の人口増加は、神さまが祝福するものではないということが分かります。



~出産4点セット~

聖書の中で『子どもが生まれた』ことをいう場合、正式な夫婦の間に生まれたこどもか、そうでないかの区別があります。以下の文は、正式な夫婦の間に子どもが生まれたことを表しています。

創世記4:1 新改訳第三版
人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み・・・

出エジプト記2:21~22 新改訳第三版
21 ・・・そこでその人は娘のチッポラをモーセに与えた。
22 彼女は男の子を産んだ。彼はその子をゲルショムと名づけた。・・・

ルツ記4:13 新改訳第三版
こうしてボアズはルツをめとり、彼女は彼の妻となった。彼が彼女のところに入ったとき、主は彼女をみごもらせたので、彼女はひとりの男の子を産んだ。

サムエル記上1:19~20 新改訳第三版
19 ・・・エルカナは自分の妻ハンナを知った。・・・
20 ・・・ハンナはみごもり、男の子を産んだ。・・・その名をサムエルと呼んだ。

イザヤ書8:3 私訳
その後、私は妻と枕をともにした。主の霊を受けた妻は、のちに男の子を産んだ。・・・


上の文は、定型表現(コロケーション)になっていて、次の4つのことばが使われています。
出産4点セット
①男性(夫)
②めとる、体の関係を持つ(動詞 yada laqach qarab bowなど)

③女性(妻)
④妊娠し、出産する



出エジプト記だけ、形が崩れていますが、敢えてこれを載せました。定型表現が崩れた理由は、モーセとチッポラの結婚が、ユダヤ教の正式な手続きを経ておらず、正式な夫婦として認められていなかったからでしょう。モーセは血統上イスラエル民族ですが、エジプト人の文化や価値観を身に付けて育ちました。チッポラは外国人(ミデヤン人)です。モーセ夫妻がイスラエル民族の一員になるには、チッポラの改宗が必要になります。この時はまだ律法が与えられる前ですが、『モーセは外国人を妻にしている』と、ミリヤムが非難していることから分かります(民数記12章)。また、モーセ夫妻は、生まれた男の子に割礼を施していなかった(出エジ4章)ということですから、イスラエルの慣習に背(そむ)いていることが分かります。出エジプト記だけ、表現形式が崩れているのは、こうした背景があるように思います。モーセをヒーローの様に持ち上げる方がいますが、ヘブライ語聖書を見ると、イスラエルの『リーダーとして不適切な人物』として描かれています。では、創世記6:1~2が『出産4点セット』になっているかどうか、調べてみます。

出産4点セットの確認


創世記6:1~2は『4点セット』になっていないので、祝福された結婚や出産ではないことが分かります。新改訳は、次のように翻訳しています。

新改訳第三版 創世記6:1~2
1 さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、
2 神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。

『妻とした(結婚した)』この様に書かれていると、読者は『これはおめでたいことだ』と理解しますよね。しかし、ヘブライ語の表現形式から分かるのは、その男女関係が『不道徳な関係、喜べない出産』であるということです。トランスペアレント訳は必ず誤訳になります。

以上、検討した内容をまとめると、原文の輪郭は、次のようになります。
・1節、結果。2節、理由。
・出産4点セットになっていないので、神さまが認めない悪い男女関係があった。
・1節、沢山の子どもたちが生まれた。2節、不適切な男女関係が原因で。

ヘブライ語の表現形式を理解していれば、この様に原文の輪郭を把握できます。



~創世記6:1 ヘブライ語~

創世記6:1
Biblehub.com
発音 aoal.org

וַֽיְהִי֙ כִּֽי־הֵחֵ֣ל הָֽאָדָ֔ם לָרֹ֖ב עַל־פְּנֵ֣י הָֽאֲדָמָ֑ה וּבָנֹ֖ות יֻלְּד֥וּ לָהֶֽם׃
バイヒー キー ヘッヘル ハアダム ラローブ アルペネ ハアダマー ユバノート ユラドゥー ラヘム



解釈文 創世記6:1
その後、世の中はひどく不道徳になった。不適切な男女関係により、多くの男児、女児が生まれた。


創世記6:2
וַיִּרְא֤וּ בְנֵי־הָֽאֱלֹהִים֙ אֶת־בְּנֹ֣ות הָֽאָדָ֔ם כִּ֥י טֹבֹ֖ת הֵ֑נָּה וַיִּקְח֤וּ לָהֶם֙ נָשִׁ֔ים מִכֹּ֖ל אֲשֶׁ֥ר בָּחָֽרוּ׃
バイイルウー ベネー ハエロヒム エト ベノート ハアダム キー トボート ヘンナー バイイクフー ラヘム ナシーム ミコール アシェール バハールー



解釈文 創世記6:2
アダムとエバは、本来、正しく振る舞えるよう神に創られたではないか。それが今では、男たちは女性をつかまえて凌辱するようになった。女性は魅力的であったので、皆が被害にあった。

私訳 創世記6:1~2
1~2 その後、世の中はひどく不道徳になった。男たちは、女性が魅力的だったので、欲情の赴(おもむ)くまま振舞い、全ての女性を凌辱(りょうじょく)した。こうして多くの子どもが生まれた。



創世記6:1~2 ヘブライ語が語るイメージ




~キー・ヘッヘルの解釈~

1節を解釈する上で、重要なことばが二つあります。『キー・ヘッヘル』と『ハアダマー』です。これは、とても悪い印象を持つことばですが、従来の翻訳聖書は、このキーワードを誤解しているので、間違った翻訳になっています。

キー・ヘッヘルとハアダマー


一つ目のキーワードは『キー・ヘッヘル』で、これは『実にけがれてる、実に不道徳だ』という意味です。創世記1章、天地創造の場面で『キー・トーブ 実に良かった』が繰り返し使われていますが、『キー・トーブ 実に良い』の対義語が『キー・ヘッヘル 実にけがれてる』になります。『キー』は、強調、強意で『実に、全く、とても』という意味です。

כִּי キー(3588) 辞書に間違いあり
強調、強意、実に、全く、とても

『ヘッヘル』は『けがれる、不道徳をおこなう』という意味です。

חָלַל ハラール、ヘッヘル(2490) 辞書に間違いあり
けがす、悪事に染まる、辱める、侮辱する、名声を落とす

『キー・ヘッヘル』は『(世の中は)実に不道徳に(なった)』という意味です。ところが英訳は『when~began to』と誤訳し、新改訳は『始め~したとき』と誤訳しています。全然意味が違います。ヘブ-英辞書が間違った定義を載せていることが原因です。

英訳、日本語訳聖書 ヘッヘルの誤訳


ヘッヘルがどの様な意味を持つのか、実際に使われた文を見てみます。
エゼキエル20:9 ヘッヘル


私訳 エゼキエル20:9
もし、あの時、イスラエルを見捨てていたら、私の名声は地に落ちたことであろう。しかし、約束通りイスラエルをエジプトから救い出すことで、私が万物の主であることを諸国の王に示したのだ。


『ヘッヘル』は『主の名が侮辱される、主の名声が地に落ちる』という意味で使われています。そもそも、ヘッヘルに『begin 始め』という意味は存在しません。長い間、神学者や聖書学者が、間違った定義を辞書に載せ、間違った翻訳をおこなって来たのです。『キー・ヘッヘル』は『実にけがれてる、実に不道徳だ』という意味です。



~ハアダマーの解釈~

二つ目のキーワードは『ハアダマー』です。ヘブライ語で『土、土地、国土・・・』を意味することばに『エレツ』と『アダマー』があります。『エレツ』と『アダマー』は異なるニュアンスがあって、文脈によって使い分けられています。使用頻度からすると、エレツを使うことが圧倒的に多いのですが、たまにアダマーが使われます。『アダマー』が出てきたら、要注意。『アダマーは、あらまあ!』覚えやすいでしょ。

アダマーとエレツの使い分け


創世記6:1は、アダマー(ハアダマー)が使われているので、人間の不道徳や罪について書かれていることが分かるのです。



~並行表現(対句)~

1節後半は、同じような表現が繰り返されています。『ハアダム ラローブ アルペネ ハアダマー』と『ユバノート ユラドゥー ラヘム』です。これは並行表現で、同じような意味を、違うことばに置き換え表現されています。



始めに『ユバノート ユラドゥー ラヘム 女児も同じように生まれた』に着目します。ユバノートは『複数形、娘、女性、女児』などの意味があります。この文脈における意味は『女児、女の子』という意味です。なぜそういう解釈になるかというと『ユラドゥー 生まれた』という動詞が使われているからです。普通、生まれてくるのは、大人じゃありませんよね。『こども、赤ちゃん』です。従って『ユバノート ユラドゥー ラヘム』は『女児も同じように生まれた』となります。同じ解釈を『ハアダム ラローブ アルペネ ハアダマー』に当てはめると『沢山の男児が地上に生まれた』こういう解釈になります。

動詞の解釈に注意が必要です。『ラローブ 数が増えた』と『ユラドゥー 生まれた』は、似ている意味のことばが使われています。二つの動詞は、別々の事柄を説明しているのではなく、同じ事柄を別のことばで言い換えているのです(忌避の規則、代用語の使用)。『沢山の男児が地上に生まれた。同様に、多くの女児も生まれた』こういう意味になります。



~性別の明示~

ヘブライ語は『男児が生まれた~』『女児が生まれた~』と、わざわざ男と女を分けて表現しますが、日本語は、そうした区別はしません。言語によって、表現方法が違うのです。



実務的な話しになりますが、翻訳は文字数との戦いでもあります。限られた文字数の中に、原文の意味を凝縮させなければならないからです。『性別の明示』で表現された文を、日本語に翻訳する場合、文字数を確実に減らすことができます。これは、使わなければならないテクニックです。従来の日本語訳聖書で、こういう翻訳手法が使われていないのは、基礎的な知識もスキルもない人物が翻訳をおこなっているからです。

ここまで検討した内容をまとめます。
・キー・ヘッヘルは『(世の中は)実に、不道徳に(なった)』という意味。
・ハアダマーが使われてるので、1節は、人間の不道徳や罪について書かれている。
・1節後半『ハアダム ラローブ アルペネ ハアダマー ユバノート ユラドゥー ラヘム』は『多くの男児、多くの女児が生まれた』という意味。
・ヘブライ語では性別を明示する表現になっているが、これを直訳してはいけない。

解釈文 創世記6:1
その後、世の中はひどく不道徳になった。不適切な男女関係により、多くの子どもが生まれた。

私訳 創世記6:1~2
1~2 その後、世の中はひどく不道徳になった。男たちは、女性が魅力的だったので、欲情の赴(おもむ)くまま振舞い、全ての女性を凌辱(りょうじょく)した。こうして多くの子どもが生まれた。




~新改訳2017はどうなの?~

2017年秋、新改訳2017が出版されました。『新改訳2017 特徴』が、次のように謳(うた)われています。

3.原典に忠実
ヘブル語及びギリシャ語本文への安易な修正を避け、原典に忠実な翻訳をする。

1.翻訳理念の継承による改訂
従来の日本語の聖書翻訳においては、それまで使用されていた翻訳聖書の翻訳理念が受け継がれずに、全く新しい形で翻訳がスタートする、という形が常でした。そのため、大正改訳 → 口語訳のように、翻訳原則そのものが変更されるということも起こっていました。新改訳2017はこの反省に立ち、一つ前の第三版までの大きな翻訳理念を継承し、その上であらたな時代に相応しい訳として大改訂を行う、という方針を執っています。今回の大改訂では、聖書全体33,000節のうち、9割の節に何らかの修正や変更が加えられています。

2.第三版から継承した特徴
原文が透けて見える(トランスパレントな)訳
新改訳が目指しているトランスパレント(transparent)な訳は、日本語と文章の読みやすさを犠牲にすると考えられがちです。確かにそのような側面もないわけではありません。しかし、トランスパレントであるがゆえに、原文の意味が日本語文にも鮮明に浮き上がるようにすることが可能であると考えています。原文に忠実であり、かつ日本語として自然な文章が可能である、という立場に立って、日本語の面からの検討が進められています。

3.今回の大改訂での変更
文脈の流れを重視
従来の新改訳では、それぞれの節は正しい訳になっていても、節と節の間の関係が分かりにくいケースがありました。一般に、節ごとに文法的な修飾関係のみに基づいて訳出すると、節間のつながりが分からなくなる場合が多くあります。今回の改訂では、複数節にまたがる情報の流れに注目し、原文における情報の提示順序を意識しながら、訳文の検討を行っています。


新改訳2017は、本当に原文に忠実に翻訳されているのか、見てみましょう。
新改訳2017 創世記6:1~2
1 さて、人が大地の面に増え始め、娘たちが彼らに生まれたとき、
2 神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、それぞれ自分が選んだ者を妻とした。

私訳 創世記6:1~2
1~2 その後、世の中はひどく不道徳になった。男たちは、女性が魅力的だったので、欲情の赴(おもむ)くまま振舞い、全ての女性を凌辱(りょうじょく)した。こうして多くの子どもが生まれた。


2017の訳文は、誤訳されているので、原文に不忠実な翻訳です。2017が、第三版からどのように変更されてるか見てみましょう。

新改訳第三版と2017の比較


上の図から分かる通り、『2017』はどうでもいいようなところを、訂正したに過ぎません。2017は『聖書全体の9割を変更した大改訂』だと自慢していますが、重箱の隅をつつくような訂正をおこなったところで、間違った意味で翻訳されていたら、何の意味がありますか?創世記6:1~2は誤訳されたままではありませんか。新改訳は『原文に忠実に翻訳』されていません。『原文が透けて見える』とか『原文の意味が日本語に鮮明に浮き上がる』というのもウソです。翻訳理念がデタラメなんです。新改訳の訳文を読んで、どこに『キー・ヘッヘル』が使われてるか透けて見えるでしょうか?『アダマーとエレツ』の違いが透けて見えますか?透けて見えないですよね。『トランスパレントは、原文の意味を変えてしまう』『トランスパレントは、原文に不忠実で、かつ、おかしな日本語になる』。『トランスパレントは、原文が透けて見えない』これが実態です。

2017が誤訳になった原因は、次の通りです。
・新改訳の翻訳者は、ヘブライ語の定型表現を理解していない。『結果⇒理由』『人口増を祝福する時の定型表現』『出産4点セット』。表現形式を理解せず、直訳したため1節、2節の文脈につながりがなくなっている。
・訳語の選択を間違っている。『キー・ヘッヘル』は『(世の中は)実に不道徳に(なった)』という意味ですが、新改訳は『始め~したとき』と誤訳している。
・『ハアダマー』は、人間の不道徳や罪を指摘する文で使われる。こうしたことが理解されていない。
・『ラヘム』は『同じように、同じく』という意味だが、新改訳は『彼らに(生まれた)』と誤訳している。
・新改訳は、1節後半が『並行表現(対句)』になっていることを理解していない。これを理解していれば『沢山の男児が地上に生まれた。同様に、多くの女児も生まれた』こういう解釈になる。
・ヘブライ語は『男児が生まれた~』『女児が生まれた~』と、男と女を分けて表現することを好む。ヘブライ語は『性別の明示』をするが、日本語はしない。新改訳が『人が~増え、娘たちが~生まれた』と直訳したのは、言語によって表現形式が異なることを理解していないから。

2017を翻訳した人物は、翻訳のイロハも知らない素人です。プロの翻訳者として基礎的な知識がない。訓練もされてない。プライドが高いので、謙虚に人から学ぶくことができない。誤訳悪訳をおこなっておいて、自分たちを正当化するため、デタラメな翻訳理念を吹聴しているに過ぎません。組織が大きくなり経済力を持つと、組織にこびる提灯(ちょうちん)持ちが現れます。『原子力発電所は安全です!重大事故が起きる確率なんて百万分の一に過ぎません!プルトニウムが含まれる水を飲んでも健康被害はありません!』福島の事故が起こる前、こう言い放ったのは、原子力村の御用(ごよう)学者さんでした。『聖書翻訳村』の中にも『トランスパレントは、原文に忠実な翻訳方法です。日本語として自然な文章が可能です。新改訳は原文に忠実です』とデタラメを語る、提灯学者がいるのではありませんか?翻訳をおこなう委員会は、お金と『聖書翻訳者』という肩書を手に入れることしか頭にないんじゃないですか。これじゃ『ホラッチョ神学者』が作った『ホラッチョ聖書2017』です。

もし、正しい翻訳作業をおこないたいのであれば、トランスパレントという『間違った翻訳理念を継承』してはいけません。『原文放棄』という翻訳に変えるべきです。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。