手垢のついたメモ帳

ヤクザが出家して、障害者福祉に従事。必死に歩いた過去の懺悔帳?

優しさって何だ?

2010年11月29日 | Weblog

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若い頃の事だが、俺の知り合いのオンナ(彼女)に、男に誘われるとすぐに身体を開く子が居た。

 

知り合いの男も、結構いい加減な奴で、金が無くなるとそのオンナを誰かに抱かせ、

 

金を取るような事をしていた。

 

俺はそのオンナの事を「バカ」と思っていたのだが、

 

ある時、皆で酒を呑んでいる場で、そのオンナの考えを知る機会があった。

 

曰く、その子に言わせると男に求められると、求めて来た男が可哀相に思えて、

 

つい、身体を開いてしまうのだと言った。

 

玩具にされて棄てられる、あるいは「その場限りの本能のはけ口」にされていると判っていても、

 

男が懇願するのを見ると、「自分が我慢すれば・・・」と思ってしまうとも言っていた。

 

俺はそのとき、「何を都合のいい事を言っている!自分が軽いだけやんけ」と思った。

 

でも、この歳になってくるとそのオンナが言っていた言葉は、

 

案外本心だったのかも知れないと思い始めた。

 

優しいがゆえに受け入れてしまう哀しみとでも言おうか・・・。

 

見方を変えれば、性的にだらしないとも見えるが、

 

反面、そういった「優しさ」も存在しうるのかも知れないのだ。

 

本当の優しさって、どういったものなのだろう?

 

 

ところで、先日仙台地裁で少年事件の判決で死刑判決が出た。

 

裁判員裁判で初めての死刑判決だが、

 

被告の育った家庭環境などが「同情に値するが、

 

刑の軽減にまで結びつくとは言えないとの結論だったという。

 

俺もそう思う。

 

所詮は自分の物差しで手を下した犯罪だし、

 

何人もの命を奪って自分は生き永らえるのは不公平だ。

 

人生は貸借対照表どおりでないといけない。

 

最後は「プラス・マイナス零」であるべきだ。


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