手垢のついたメモ帳

ヤクザが出家して、障害者福祉に従事。必死に歩いた過去の懺悔帳?

クルクルさんへ

2015年04月10日 | Weblog

コメントの書き込みには、

本来はコメント返しで有るべきなのですが、敢えてこちらに書きます。

 

先ずはご母堂の癌発覚、心痛の事と拝察いたします。

ともあれ、冷静になってください。

当事者はもちろん、遺される者にとっても晴天の霹靂である事は充分に承知した上で、

「冷静に」と申し上げます。

生者必滅会者定離は生きとし生ける者の避け難い条理です。

早いか、遅いかの違いだけです。

むしろ、不慮の事故などで逝かれるよりもまだゴールが見える分だけマシだと思いませんか?

小生はそう思っています。

これまでにお世話になった方、恩義のある方、或いは迷惑を掛けた方への

お礼や謝罪、挨拶をする時間が有るのですから・・・。

ある意味では、「向こうの世界の偉い方」からの、

優遇された時間を与えられたのかも知れません。

 

ご母堂は余命を知らないとの事ですが、

ご母堂の性格に鑑みた上で知らせるかどうかの判断でしょう。

ただ、これだけは言えるのは、ご母堂の人生はご母堂のものです。

従って、遺される者としてはご母堂のやりたいようにさせる、

協力するのが一番だと思います。

その方が、ご母堂が旅立たれた後に遺された者の後悔が少ないと思います。

 

仮に余命を知らせなくても、口実をつけてご母堂の好きな事に連れ出すとか、

色々と工夫は有るのではないでしょうか?

遺される者の気持ちとしては、どんな形であれ一日でも永く・・・と考えるのは判ります。

でも、それは若しかしたら遺される者のエゴかも知れません。

延命治療で苦しむのはご母堂です。

苦しむ姿を一日でも永く見ていたいですか?

それは、周りのこころも壊れる情景になり得るのではないでしょうか?

回復の余地が有ればトライする価値も有るでしょうが、

それがないなら、ご母堂の好きにさせて苦痛を緩和する治療もアリだと小生は考えます。

 

最後にもう一度書きますが、ご母堂の人間的な強さや性格を充分に見極めて、

逃れられない事実と向き合ってください。

 

僭越ながらコメント返しに変えます・・・。

 

 

 


北陸に戻って

2015年04月07日 | Weblog

北陸に戻って三週間が過ぎた。

何とか新しい部屋も片付いて、落ち着いてきた。

昨日、こっちの病院に行ったが腫瘍マーカーの値が高く、

測定不能と表示されていた。

医者は「こんなに高い値なのに、そんなに元気なのが分からない」

との言。

俺自身も、数値と自覚症状に乖離がある気がする。

「俺は一年後生存率9,5%に入るつもりだから・・・」というと、

あっさりと「それは無理です」と却下されてしまった・・。

「おい、簡単に突き放すなよ・・・」と、俺。

 

もちろん、どちらも笑顔での応酬だ。

 

まぁ、案外突然にポッキリと逝くのかも知れないが、

それはそれでヨシとする。

 

こちらでの知り合いの誰もが、

「とても余命数ヶ月には見えない。」

そう言うけれど、俺が凹んでいないだけにそう見えるのだろう。

もちろん、いきがってもいない。

いつもの俺であるだけなのだが・・・。

 

北陸はこの時期特有のどんよりとした空の色だが、

時に快晴だと桜がきれいに映える。

東京のくすんだ桜でなく、桜らしい桜色の花がきれいだ。

そして、走る車の速度も違うし時間の流れ方も違う気がする。

改めて東京のギスギス感が思い出される。

東京は仕事をする街ではあるが、暮らす街ではなかったな・・・。

 

北陸新幹線も、華々しく開業したが平日はガラガラの車両で走っている

らしい。

 

北陸に喧騒は相応しくないとおもう。