手垢のついたメモ帳

ヤクザが出家して、障害者福祉に従事。必死に歩いた過去の懺悔帳?

また独り鬼籍へ

2010年02月26日 | Weblog
親会社のタクシー部門の乗務員が、また一人亡くなった。

57歳という若さだ。

出身は鹿児島県だった。

俺とは結構よく喋っていたが、そんなに体調が悪いようには見えなかった。

むしろ、人よりも頑丈に見えた。

ところが、入院していくらもしないうちに亡くなったという。

多臓器不全だったらしいから、要するに手の施しようがなかったという事だろう。

原因はガンだ。

ガンに限らず、タクシー乗務員はかなり過酷な仕事だから、

持病をもっていると悪化させるケースが多い。

時間が不規則で睡眠時間も不規則。

しかも、タクシー乗務員にはギャンブル好きや酒好きが多い。

ギャンブルや酒に使う金は惜しまないが、

健康管理や食事に使う金は惜しむのだ。

無論、預貯金なんて無縁の生活を送っている者がほとんどと言っていい。

だから、多少の体調の異変に気づいても病院代がなかったり、

あるいは最初から治療や療養など考えていないのだ。

「なるようになる」「なるようにしかならない」

そんなスタンスだから、病状が進んでしまい、

どうしても痛みや苦痛に耐えられないくらいになってから病院にいくことになる。

その時はもう手遅れにまでなってしまっているのだ。

俺がこの会社に入って、まだ6年だがこれまでに何人が亡くなったろうか?

多分、10人は数えると思う。

むろん高齢者の乗務員が多いせいもあるが、

やはり根本的にタクシー乗務員を取り巻く業務環境が苛酷なのだと思う。

東京は、すでにかなりの数のタクシーを減らしている。

限られた数の利用者よりも、圧倒的に多かったタクシーの絶対数を減らしているのだが

不景気の煽りを受けて低迷してしまった業界に、

浮揚の兆しはまだまったく見えてこないようだ。

先日鬼籍に入った彼の亡くなった原因が仕事にあるとは思っていないが、

まったく関係なくはなかっただろう・・・。

ともあれ、合掌・・・・。

美子というオンナ

2010年02月22日 | Weblog
前に書いた記事に登場したオンナの事を再び書く。

http://blog.goo.ne.jp/kurara_77/e/f13ddb11d3ecd47ddb2af0ef65ded8de

名前は美子 実名だ。

当時は18歳位だったと記憶しているが、

俺の逃亡生活について来て、俺が北海道警察に逮捕されて以後、

消息が知れなかった。

その後、俺が出所後数年を経て山梨に行ったとき、

美子の父親を偶然道端で見かけ、

声を掛けて話したことがある。

美子の安否を訊いたが、結婚はしてなくて療養中だと言っていた。

病名を訊かなかったが、「函館の療養所に入っているらしい」程度の話だった。

なんとなく、状態は良くない雰囲気を感じ取ったので、深くは訊かなかった。

そもそも、「療養」と表現したところから窺がうと、

長期の入院生活だと思うし、そのときの俺は「結核か精神病だろう」と受け取った。

病名はともあれ、長期療養を必要とするような病になっても、

彼女は故郷の山梨には戻ろうとしなかったのは、

やはり故郷にある思い出が嫌だったのだろう。

父親が美子の病気療養を知ったのも、函館の市役所からの連絡だったらしい。

「いずれ所在をと安否を調べて、何かしてやれる事があればしてやろう」

その時はそう思ったのだが、結局はそのままになってしまった。

彼女は無事に快癒してまだ存命なのだろうか?

人は、隣町で起こった大火より、目の前のボヤの方に眼が向いてしまうものだ。


ふと思い出した過去のオンナのことを書いた・・・。

いちご狩り

2010年02月09日 | Weblog
先日の日曜日に、いちご狩りに行ってきた。

山梨県塩山にあるいちご園だが、

http://www.shimamurafarm.com/

中規模ながら充実した品種揃えで、色々な品種のいちごを喰ってきた。

時節柄、ハウスに入るとまず手の消毒。

あとは長い棚に植えられたいちごを自由にもいで喰う。

ところが、最近のいちごは甘いので、思ったほどには喰えないものだ。

しかも、粒が大きくて立派なものが多かった。

昨日の仕事帰りの車の中でラジオを聴いていたら、

この数年、ミツバチが激減して果実農家が痛手を受けているという内容の番組が流れていた。

そういえば、前述のいちご農園のハウスに入ったとき、

一匹のミツバチが出入り口近くを翔んでいたが、

「外に逃げ出すタイミングを狙っている」とのことで、

「一匹500円なんです」と、農園の主人が話していた。

日本ミツバチが少なくて、外国ミツバチを買ってハウスに放し、

受粉させているのだ。

受粉がなければイチゴも出来ないので、500円でも買うしかなくて

しかも一匹や二匹ではないので、バカにならない金額の出費らしい。

日本の工業、日本の農業、日本の経済、日本の「裏社会」、ミツバチまでも外国に侵食されている。

いったいこの先どうなるんだろう?

もっとも、すべての事象に淘汰は自然の理ではあるが、

淘汰の渦を生き残ることが良いかどうかは又別の話だとおもう。


いちご狩りを終えて、笛吹市の「桔梗屋 アウトレット」へ向かう。

http://www.kikyouya.co.jp/


これまでに何度も訪れた所だし、特に信玄餅がたくさん欲しい訳でもないが

やはり「詰め放題」に挑戦するとムキになって、一個でも多くと詰め込む。

辛うじて袋の口を指定された結び方で結んでゲット!

戦果は信玄餅10個ともみじ饅頭が3個の計13個。

歴代最高は信玄餅16個らしい。

たくさん詰め込むコツは、ビニール袋を最初に延ばすのは当然だが、

信玄餅に付属している「楊枝」を外して詰めるのがベスト。

理由は、楊枝が袋を突き破るからだ。

機会があれば、読んでくれている方も、是非チャレンジを!

最初の贈り物

2010年02月05日 | Weblog
この所、俺の周りでは「おめでた」が続いている。

出産予定が近い知り合いが数人控えているのだ。

先日、ある夫婦の旦那にあたる男と少し話す機会があった。

嫁さんにあたる彼女も、彼等が夫婦になる前からの知り合いで、

つまりその嫁さんの腹を膨らませた張本人と話した訳だが、

子供の名前について話題が及んだ。

その会話の中で、俺は俺自身の名前についてふと考えた。

俺は

  http://blog.goo.ne.jp/kurara_77/m/200806

にあるように、祝福されて産まれでた訳ではない。

しかし、かなり前に俺は自分の名前は俺の祖父にあたる人が命名してくれた事を聞いていた。

そして、ある時に島津藩の殿様の名前をとって付けた事も聞いていたので、

その名前を検索してみたことがある。

結果は島津藩の初代藩主の名前だった事がわかった。

俺の祖父に当たる人が、どんな思いを込めて初代島津藩主の名前を俺に付けたのかは判らないが、

でも多分、「あやかりたい」という気持ちがあったのは間違いないと思う。

祝福されない出生であっても、祖父は孫に当たる俺に、そのような名前を付けてくれたのは

せめてもの血の繋がりが為せる結果だったのではなかろうか。

さらに、終戦直後の時代背景を考慮してみれば、

俺の祖父に当たる人は、学識に富んだ人ではなかったろうか?

そう考える根拠は、初代島津藩主の名前などあまり知られていないからだ。

後世の幕末・維新の頃の島津藩(薩摩藩)は色々と歴史舞台に出てくるが、

初代に触れた記述は文献に乏しい。

ついでに書けば初代島津藩主の誕生は、母親の局が旅の途中に出産の兆しに見舞われ、

道中の旅籠に宿を頼むが断られたので、近くの社の石に寄りかかってまどろむうちに産気づき、

やがてそこで産まれたのが初代島津公との寓話があるが、

なんとなく俺の出生と近いような感じを受ける。

だからその名前を貰ったのかも知れない。

ちなみに、初代嶋津公は越前若狭・信濃・甲斐などの地を治めた時期も有るようだが、

それらの地は、すべて俺が暮らしたり馴染んだ地でもある。

いや、だからといって特に意味はないのだが・・・。

いづれにしても、俺が祝福されない出生で有ったとしても、

生まれて最初の贈り物たる名前については、祖父に当たる人が真剣に考えてくれたであろうことが推して測れる。

弁当を喰ったらアカンのか!

2010年02月02日 | Weblog
ネットニュースを見ていたら


http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/business/retail/351189/

があった。

何でもかんでも「暴力団」と決め付けて、

弁当を注文してもこの有様だ。

バカバカしいけど腹立たしい。

弁当代を踏み倒したわけでもなく、脅して作らせた訳でもないのに警察がとやかく言うのはおかしい。

弁当を注文して、それを注文された側が受注し、

注文者に納品したことは、純然たる「商行為」であり、警察が介入するような事ではない。

民事不介入の原則に触れる可能性もある。


  県警は「弁当を組員が一緒に食べることで結束が強まることが考えられ、今回のような  
  ケースも条例の禁止行為に該当する可能性はある」としている


とあるが、こじつけもいい所だ。

こんなコメントを出した警察の知能を疑う。

何でもかんでも「暴力団排除」のキャッチフレーズを唱えれば、

一般市民が同調するとでも思っているのか?

注文を受けた百貨店側には、営業権がある。

馬鹿役人の貧弱な発想丸出しのコメントで、ニュースになって出てきたのも警察のリークだろうな。

そんな、どうでも良いことをいかにも正義面して語る暇があるなら、

日本中にはびこり、根を張っている外国人ギャング達と対決しろ!

日本人ヤクザ・暴力団と比べものにならないくらい悪質で凶暴なやつ等と対決することこそ

国民を守るということだ。

「暴対法」のお陰で、日本の組織は外国人組織を締め出すことに枷をはめられ、

その結果、日本の繁華街に奴らが蔓延り、或いは潜伏し、日本人を食いものにする構図が出来上がった。

しっかりせえよ! 日本警察!!

狭量と狭窄

2010年02月01日 | Weblog
俺が関わっている障害者施設の職員について書く。

これまでも何度か感じたことだが、「福祉現場の職員」には常識が通じない者が少なくない。

長年、決まった枠の中で、障害者相手の「優位的立場」に居るうちに感覚がおかしくなるのか、

或いは「してあげてる」的発想が強くなるのか、その点は分からないがとにかく変な人間が少なくない。

世間一般的に見ておかしな点を指摘して教えても、「あんたに言われる筋合いはない」とか、

或いは露骨に不快感を表す者もいる。

自分が障害者と呼ばれる人達のお世話をしている事は間違いないが、

同時に、お世話をしている、させて頂いている人達から貰っている報酬が、

自分達の生活費になっている事を忘れては居ないだろうか?

そして、その「お世話」も、多くの人達の協力やサポートの上に成り立っている事を失念していないか?

福祉事業は「事業」である以上、無償の奉仕でないことは自明の理であり、

事業でなければ長続きはしない。

余程の財産を所有し、それらをすべて福祉に注ぎ込むなら「誰にも世話にならない奉仕」が可能だろうが、

現実には国や各地方の援助を受けて運営されている。

自分達の生活の根幹が、多くの眼に見えない人々の税金で支えられている自覚が乏しい気がする。

その自覚があれば、「自分達は特別な職業をしている」といった勘違いはしないだろう。

世の中・社会という御輿を、色々な場所で、色々な人達が、それぞれの形で担いでいる。

自分達だけが担いでいるという思い込みは大間違いだろう。

眼に見える担ぎ方もあれば、担いでいなくとも担ぎ手を支える役目の人間も居るのだ。

むしろ、見えぬ形で支える人達こそが役割が大きいのかもしれない。

謙虚さを無くし狭量・狭窄に閉じ篭ってしまえば、人の向上はそこで停まってしまう。

せっかく飛び込んだ福祉の世界なら、福祉の根本理念が「思い遣り」という事を思い出して、

より深い慈悲の精神を培う気持ちを持ち続け、大慈大悲を自らに課して欲しいものだ。


閑話休題

この前は「読売新聞東京本社」からの取材を受けたが、

今度は「NHKラジオ」の取材を受けることになった。

最近、NHKでは自殺や孤独死などを取り上げた番組が目に付くが、

昨日も「無縁死」というテーマでテレビ番組が流れていた。

結構、考えさせられる内容だったが俺が取材を受けるのはラジオ番組で、

テーマは「独りじゃない」というものらしい。

都会は群集の中だからこそ孤立感が深まる事が少なくない。

人は、独りで産まれ、独りで死に行くからこそ、生きている時間くらいは独りで在りたくないのかも・・・。