手垢のついたメモ帳

ヤクザが出家して、障害者福祉に従事。必死に歩いた過去の懺悔帳?

脳動静脈奇形

2010年08月29日 | Weblog
北陸に来た。

知り合いの娘が先日倒れ、重篤な状態なので急遽きた訳だ。

その娘は5歳位から知っており、子供の頃からよく懐いてくれていた。

会社の事務所で倒れている所を発見され、救急搬送された結果が「脳出血」の診断。

原因はタイトルに書いた「脳動静脈奇形」という、先天的な脳血管の奇形だった。

この病気は、医学者の中ではそれほど珍しい病気・奇形でもないらしいが、

一般的にはそれほど知られた病気ではないそうだ。

この奇形の為に脳内の血管が切れて出血したり、

あるいは梗塞を引き起こしたりするわけだ。

しかも、その予兆がないために、突然に倒れてしまう事が大部分らしい。

そうなってから、脳のMRIを撮って奇形が判明するのだ。

さらに、生涯なんの異常もないままに終わる人も多いので、

この病気が知られていない一因になっている。

さて、問題はその娘だが、ICUに横たわった彼女を見たとき、さすがに辛かった。

40歳を目前にした彼女の姿は、子供の頃から俺に纏わり付いていた姿や、

あるいは高校・大学時代に俺に様々な悩みを語り、愚痴をこぼし、満面の笑顔を見せた姿と重なり

眼が熱くなった。

彼女の家族と数十年の付き合いがあり、

俺の倅達が生まれる前からの付き合いなだけに、

俺の感情の奥深くに芽生えた思いは、複雑で重いものが有った。

できれば、少しだけなら俺の健康の一部と引き換えにしてでも、

彼女の健康を回復してほしいと願う気持ちだ。

幸いにして、この病気の症状を5段階に分けると、一番軽い第一ステージの判定らしいので、

そこはまだ救いに思える。

不幸中の幸いというか、彼女の意識障害も日毎に、いわゆる「薄紙をはがす」ように回復しているらしいから、

それがせめてもの、明るい兆しと言えなくもない。

しかし、彼女のこれからは「リハビリ」「手術(奇形部位の切除)」など、

道のりは長いのだ・・・。

周囲のサポートと頑張りはもちろんだが、何よりも本人の気力を期待して応援するしかない。

頑張っている彼女に、影ながらのエールを送るしかない・・・。

仙台 笹かま

2010年08月25日 | Weblog
前にも何度かこのブログに登場した「酒屋の夫婦」から、

仙台土産の笹かまを貰った。

わざわざ俺に買って来てくれたらしい。

この土地で生まれ育って暮らしている人が、よそ者の俺に気配りしてくれた事が嬉しい。

仙台に夫婦の息子と孫が居るそうで、先日行ってきたそうだが「遠かった」との感想。

仙台といえば、俺が少年刑務所を出所していくらもしない時期に、

仙台市内からさほど遠くない「作並」のホテルで働いていた事がある。

さとう宗幸の「青葉城恋歌」が流行る随分前の話で、

俺が22歳頃でなかったか・・・。

「いちご白書」という映画がヒットした時で、仙台の町まで観に行ったことを覚えている。

「青葉城恋歌」の歌詞に、「広瀬川 流れる岸辺 想い出はかえらず・・・」

という一節があるが、その「広瀬川」の横に建つホテルだった。

「ホテル奥仙台」という名前だったが、

12月の半ばに、そのホテルの常務を池に放り込んでクビになった。

なぜ常務を池に突き落としたのか理由は覚えていないが、

覚えていない位だからたいした理由ではなかったのだろう。

いわば、若気の至りだったのかもしれない。

俺は振り返ると結構頭に血が上りやすいタイプだと思う。

激昂すると見境がなくなり、思考が極端に走る傾向が強かった。

それは今でも時折頭を持ち上げるが、年齢と経験を重ねた結果なのか、

かなり先を考えて抑えることが出来るようになったと思う。


話しを笹かまに戻すが、先述のホテルで板前をしていた頃、

宿泊者の朝食は俺が一人で作っていた。

温泉卵とイナゴの佃煮、そして笹かまは必ず朝食に添えていた。

生卵を温泉卵にするのに、何度か失敗した記憶がある。

お湯の温度をしっかり調節しないとゆで卵になるのだ。

一定の温度で卵を茹でると、まず黄身が先に固まり、

次に白身が固まり始めることをこの時知った。

白身が固まり始めたところで茹でるのをやめると温泉卵の出来上がりだ。

この茹でるのを止めるタイミングを間違うと、茹で卵になったり全体が中途半端なナマになるのだ。

半熟タマゴは結構みんな作れるが、温泉卵は作り方を知らない人は少なくないと思う。

俺は湯沸しの温度を65度位にして、ボールに数十個の卵を入れて、

お湯を30分位流しっぱなしで作っていたが・・・。

ともあれ、今でこそ仙台名物といえば牛タンだが、当時は仙台と言えば「笹かま」だったのだ。

朝から揉めた!

2010年08月18日 | Weblog
久しぶりに会社の近くのジョナサンに朝食を摂りに入った。

いくつか離れた席に、俺と変わらない年代のオッサンが5人陣取り、

酔っ払って大声で会話していた。

すぐ近くのタクシー会社の運転手だと、すぐにわかった。

しばらくは我慢していたが、声の大きさが耳障りで、

俺は立ち上がって彼等の席に行き

 「おい、声が大きいぞ。お前らだけの店と違う。他の客が迷惑だ」

と言った。

すると一人が「すみません」と謝ったのだが、別のオッサンが

 「お前ってなんだ!」と喰い付いて来た。

俺は文句があるなら外で話そう、と店の入り口に向かった。

全員がぞろぞろと出てきたが、とにかく喰いついてきたオッサンと話す。

 「なんの文句があるんや」と俺。

 「お前と言われる筋合いはない」と、オッサン。

 「お前と言われたくないなら、始めから大声を出すな」と俺。

 「出したのは悪かった。仕事明けで呑んでたからつい声が大きくなったけど、

  だからと言ってお前と言われるのは気分が悪い」と、オッサン。
 
 「気分が悪いから、どないすんねん?自分が注意されるような事をしておいて、

  注意されたら言葉尻を捕まえてケンカ売ってくるんか?それなら買うぞ」と、俺。

 「男のケンカは命のやりとりと腹をくくって返事せえよ」と俺。

結局、向こうから俺の手を握ってきて話しは片付いたが、

本来は店の人間が注意すべき事案だ。

店内に戻って、周囲のほかの客に「お騒がせしました」と声を掛け、

俺は自分の席に戻ったが、オッサンは同席の人間に「俺が話しはつけた」と、言っているのが聞こえた。

思わず苦笑いがこぼれたが、まぁそんなモノなのかもしれない。

酒の勢いで能書きを言う輩は珍しくないが、

そんなのを相手にムカついた俺も、似たようなレベルかも・・・。

桃の里

2010年08月17日 | Weblog
今の時期、桃が季節の果物となるが、

日本一の生産地(今は違うのかな?)といえる山梨県一宮町の生産農園に頼んで、

付き合いが深い何ヶ所かに桃の箱詰めの発送を依頼した。

それはどうでもいい事で、その農園のオーナーが心臓疾患で体調不良だと聞いた。

彼は俺より年上の人で、すごい働き者で若い頃から働きづめに来た人だ。

もう、10年以上前に俺がその農園の近くのパチンコ店の支配人をしていた時に知り合い、

以後、俺がその店を去ってからも付き合いは続いた。

付き合いというより、年に何回か俺が顔を出す程度だったが・・・。

しかし彼はたまにしか顔を出さない俺に、大変よくしてくれた。

彼は俺も付き合いがあった「永峰」という男に騙されて、

持っている桃畑や葡萄畑を担保提供し、危うく総てを失いそうになった事がある。

そのとき俺は、彼に頼まれて「永峰」を探し、

何とか担保物権の差し押さえをされないように動いた事がある。

その時は俺の動きとは別の形で収まったが、

とにかく彼はそんな危機も経験して、乗り越えた人だ。

詳細は聞いていないが、多分、「永峰」の作った借金を清算したのではなかろうか。

今、彼が未だにその農園を所有しているということは、

多分そういう事なのだろう。

その彼が心臓疾患(心筋梗塞)で、あまり出歩けないなんて、

なんとも言えない気分だ。

真面目で正直な人がそんな現実に直面し、

「永峰」はどこかでのうのうと生きている世の中の不公正・・・。

ちなみに、「永峰」が半ば夫婦同然にしていた女性が居たが、

彼女も桃園をすべて差し押さえられ、結局は失ったと聞いている。

彼女は寡婦で、亡夫が残した桃園を守っていたのだが「永峰」と知り合い、

どういった経緯だったのかは知らないが、その農園を担保提供したらしい。

では「永峰」はその金を何に使ったのかだが、それはすべてギャンブルだった。

競輪、競艇が主で、特に競艇は熱心だったようだ。

考えてみれば、確かに競輪や競馬に比べると競艇は6艇の組み合わせだから、

確率が良いのかも知れない。

話しが逸れたが、桃農園の主の体調回復を、心から願う今日だ・・・。

顔面麻痺 その後

2010年08月12日 | Weblog
発症からちょうど一ヶ月が経とうとしている。

経過はすこぶる順調で、すでに外見的には治っているように見えるが、

まだ若干、左目の目蓋がおかしい感じは残っている。

点滴と一ヶ月の投薬が効果的に作用したのだろう。

なんにせよ、人間はちょっとした不具合でも気分は滅入り、

活動も鈍るものだと、改めて感じた一ヶ月だった。

それにしても、顔面の筋肉なんて普段は意識していないけれど、

結構、頑張って顔を支えているんだな。

麻痺で垂れ下がった顔面は見るからに間が抜けている。

自分の間抜け面が侘びしかった・・・。

因みに、顔面麻痺が発症してすぐに、色々な人間に「顔をマッサージするように」と言われたが、

医学的には発症直後は触らない方が良いそうだ。

下手に触ると、垂れ下がった筋肉が変な戻り方になって顔が変形したり、

戻らない筋肉ができたりするらしい。

発症後10日程して、はじめて顔面の筋肉を動かす訓練と言うか、リハビリを始め、

そこでやっとマッサージも行うのが正しい対処らしい。

俺はマッサージの変わりに、「低周波治療器」のパットを顔の二箇所に貼り、

電流を流して顔面筋肉を強制的に動かして、リハビリの変わりにした。

その効果もあって、回復が早かったと信じている。

これも経験だな。

とはいえ、あえてするほどの事でもないが。

着信 アリ

2010年08月01日 | Weblog
携帯電話の着信履歴に気づいて、見ると「千石ぺけ子」からだった。

もちろん、本名はちゃんと有るのだが俺が勝手に「ぺけ子」と呼んでいる。

彼女は今23か24歳だったと思うが、年齢も俺には興味も関心も無いからとにかく「若い子」だ。

実は彼女は以前、俺の住んでた所の近くの飲食店「千石」に夫婦で働いていたのだ。

若いのによく気が付いて、客商売には絶対に欠かせない「目配り」が出来る子だった。

俺はすっかり気に入って、彼女を贔屓にして可愛がったがこの6月に実家の那須に帰った。

大きな腹を突き出して、汗を滲ませた額を拭っているのが最後に会った姿だった。

亭主は28だったか、いい奴だが口下手で世渡りが下手そうな奴だ。

いまどきの小僧のように上に媚びてうまく立ち回るような小賢しさが無いところが俺の気に入った。

調理師なのだが、将来は夫婦で居酒屋か小料理屋をやりたいらしい。

そんなぺけ子からの着信だったが、その着信の前日、俺から電話を掛けていた。

ぺけ子は出なかったが、おれは「お~い、まだかい・・・」と、メッセージを入れておいたのだ。

7月25日が出産予定日だったので、そろそろかなと、メッセージを入れたのだがなんとなく

「今、分娩室で頑張ってる最中かな・・・」と、思いながら切ったのだ。

掛けなおした電話に出たのは亭主だった。

亭主の話によると、ぺけ子は分娩中にかなり危険な状態になり、

分娩直後に痙攣をおこし、泡を吹いて意識をなくし緊張した場面になったらしい。

ICU に入って無事に回復したらしいが、取りあえずは大変だったらしい。

今は母子共に落ち着いていると言う事を聞き、安心した。

亭主は分娩に立会い、全てを眼にしたので「あいつは凄いです」と言っていた。

うん、ぺけ子ならそうだと思う、あいつは若いけど根性があるし、気遣いも目配りも出来て、

そのくせでしゃばりでもないし、いい奴だ・・^^v

早速病院に駆けつけて「ご苦労さん、お疲れさん」と頭を撫でてやりたいが、

まぁ、退院して落ち着くまで待つことにする。


 ぺけ! お疲れさん! よく頑張ったな、無事でよかった。