手垢のついたメモ帳

ヤクザが出家して、障害者福祉に従事。必死に歩いた過去の懺悔帳?

唯我独尊 3

2008年11月28日 | Weblog
基本的に俺は親子の情とか、家族愛とかが実感できない。

それは俺自身が家族の温もりや団欒をよく知らずに育ったからだと思う。

女房と一緒になって、情愛は知ったが子供が小さい時分は

重要指名手配犯のお墨付きで全国を逃げ回っていたし、

札幌で逮捕されて富山で服役し、

出所してきたら倅は5年生と4年生になっていた。

だから、子供に一番甘く接する時期を経験していない。

そういった流れで、俺は子供には厳しかった。

「俺はお前達の為に何かを我慢したり、頑張ったりする気はない。

 お前達も親のために我慢したり、頑張ったりするな。

 俺の人生は俺の物だし、お前達の人生はお前達の物だ。

 俺は親だから、必要な場面では助けるが当てにはするな。

 自分のやったケツは自分で拭くのが鉄則だ。

 拭けないときは、製造責任があるから俺が拭く。

 たまたま俺が先に産まれて、

 お前達が後から産まれたから俺が親父だが、

 もしかしたら、順番が逆だったかも知れない。

 俺はお前達より偉いとは思っていないが、

 先に産まれて、先に色々な経験をしてきた分だけ物を知っている。

 そこはお前達が俺に勝てない部分だから尊敬しろ」

そう、教えてきた。

そして更に、

 「俺はお前達と一緒になったわけではない。

  俺が一緒になったのはお母さんだ。

  お母さんとは一緒になりたくて、一緒になったがお前達は違う。

  お母さんと一緒になって、たまたまお前達が出来たから一緒に家族してる。

  だから、お前達は(ついで)だ。

  ついででも、出来たからには責任は持つが

  育てて貰って当たり前と思うな。

  そして、俺はやりたいように、生きたいように生きてる。

  その為にお母さんはとても苦労してきた。

  だから、俺はどうせどこかで野垂れ死にするだろうが、

  そんなのは放っておけば良い。

  しかし、お母さんは絶対に大事にしろ。

  お母さんを粗末にしたら、俺が許さん。

  お母さんの恩を忘れるな。

  恩返しとは、受けた恩に利息を付けて返してこそ恩返しだ。

  受けた分だけの恩返しは、借りを返しただけなんだ。」


そう言い聞かせてきた。

受け取りようによれば、随分と身勝手な言い分に見えるだろう。

だが、「人はどれだけ(誰かのために)何かをやれるか」の教育のつもりなのだ。

人の為に自分を投げ出す・・・。

根本的なマゾかも知れないが、出来ることをするのは誰でも出来る。

「人の出来ないことをやってこそ、本当にやったことになる」と俺は思う。

それが善であれ、悪であれ・・・。




唯我独尊 2

2008年11月26日 | Weblog
家に入ると女房が待っていた。

俺は横になり、天井を見つめて考えていた所に電話が鳴った。

出ると、共犯の一人の親からだった。

一人だけ親が不在で、祖母の人に帰ったら電話が欲しいと伝言をしたので掛けてきたのだ。

俺は電話口で正座し、事情を説明して受話器を持ったまま何度も頭を下げて謝罪した。

電話を切ると、「バシッ」と頬を張る音。

女房が泣きながら「あんた、お父さんのあんな姿を見たことがあるか!」

そう言いながら倅に正座させてビンタを喰らわせていた。

俺が住んだ街では、俺はそれなりに胸を反らせて歩いていた。

道で出会えば向こうから頭を下げてくれていた。

ふんぞり返って「おう、元気でやってるか・・・」と返すような俺が、

人様の前で土下座して、さらに見えない電話口でさえ正座して頭を下げる姿が

女房には辛かったらしい。

俺だって、普段は偉そうにして歩いてるし、

誰にも頭なんて下げないのに、正座の土下座は恥ずかしかったが、

しかし「親としてのケジメ」と、俺の生き様とは別だ。

俺の稼業は稼業、親父の役目と責任は責任だ。

なにより俺には倅を造った「製造責任」があると考えたのだ。

ところが、親の一人に自転車屋が居て、

   「いや、気にしなくて良いです。

    毎年この時期にはこういった事件はあるから・・・」

   「この時期は学校でエンジンについて教わるらしく、

    毎年、1回、2回はバイクドロはあるから」と笑っていた。

おいおい、笑ってる場合じゃないだろう?人の物は盗ったらアカンやろ!

しかも、「生きるためにやむなく」ならともかく、

遊び半分で盗むなんて・・・。

結局、倅は家庭裁判所に書類を送られて、何度か俺も調査官と話した。

そして処分決定が出た。

「不処分」だ。

処分しない処分・・・。

調査官は「お父さんが付いていれば、この子は大丈夫だと思います。」

そう言ってくれた。

俺が現役のヤクザで、前科も自分では覚えていないくらい有るのに、

俺の「親力」を信じてくれたのだ。

まぁ、俺の生き様と親としてのスタンスは別だから、

親として当たり前の対処をしたに過ぎないが、

普通はヤクザが堅気さんに土下座はなかなか出来ないらしい。

間違ってれば、ヤクザも堅気も無いはずなのだが。

ちなみに、30を過ぎた倅はその土下座の話が出るといまだに

   「お父さんの土下座を見て、僕は大変な事をしたんだ」と思ったし

あの時は辛かったと言う。


唯我独尊

2008年11月25日 | Weblog
倅が子供の頃、俺は「この世の中で一番偉いのは誰か知っているか?」

そう尋ねた事がある。

「天皇陛下」「総理大臣」 子供は思いつく限りを並べた。

「違う・・・」 「? だれ?」と、子供達。

「俺だ・・・」「え~っ お父さん?」

「そうだ。お前達に何か有ったとき、天皇陛下や総理大臣がお前達を守ってくれるか?」

「自分を投げ出してでもお前達を助けてくれるか?」

「俺は助けるぞ。」


ある時、俺の家の電話が鳴った。

俺が出ると(俺が在宅中の電話は必ず俺が出る)地元の警察署からだった。

刑事課の知り合いの警察官が「お前の倅を今、預かっている。身柄を引き取りに来てくれ」という。

「は~ん?どっちの倅や」と俺。

   「二番目の方だ」

   「サツに持っていったと言うことは、何をしたんだ?」

   「実は仲間の五人と盗んだバイクを乗り回していた」

   「馬鹿め・・・。しょうもないことをしやがって・・・」

俺はすぐに警察に向かった。

刑事課に入ると、五人の中学生とその親らしき大人が分散して座っていた。

「テメエらガキにどんな躾をしてるんだ!」と眼にモノを言わせ

そのガキどもと親を睨み付けながら奥に進むと、

俺に電話をしてきた知り合いの刑事が寄ってきた。

次男の姿が見あたらない。

   「俺のガキは?」

   「おう、その前にちょっとこっちに来てくれ」

別室に通された。

俺は倅をボコボコに殴るつもりで警察に行ったのだ。

   「ばかめ、みんながバイクを盗もうとしたなら止めなければならないのに、

    一緒になって乗り回すなんて、情けない奴め・・・」

刑事は 「あのなぁ、絶対に息子に手を出すな。

     お前がやったら止まらなくなるから、替わりに俺が殴るからお前は手を

     出さないでくれ」

そう言った。

    「わかったから、ガキはどこや? 

     そもそも、誰が盗んだバイクだ?」 

    「お前の倅だ・・・」

    「!!!!」

    「お前の倅が盗んで、みんなで面白がって公園で乗り回していた」

なんということだ!

俺は自分の倅が主犯なんて、考えても居なかったのだ。

全身から力が抜けてしまった。

さあ、どうする・・・。

中学二年の夏、一番大切な時期。

ここで親としての処理を間違うと、ガキの一生に関わる・・・。

俺はくたびれてスプリングが甘くなった応接室のソファーに深く座り、

全身の脱力感の中で考えた。

そこに次男が連れてこられた。

知り合いの刑事は

   「親父に恥を掻かせてこの馬鹿者!親父のメンツ丸潰れだ」と

何度も倅にかなり強力な拳固を浴びせたが、

俺は何も感じなかった。

   「とりあえず、今日は帰すがまた調書を取りに来させてくれ」

そう言ってその場は帰してくれた。

俺は倅を連れて、その足でバイクの持ち主の家に向かった。


バイクの持ち主の家に着いて、事情を話し玄関先で土下座した。

   「ワシの教育と眼が届かなかったせいで迷惑を掛けました」

倅は横に立ちつくして俺を見ていた。

さらに俺は、共犯で補導された残り五人の家を順に周り、

   「俺の倅が盗まなければ、お宅の子供も一緒になって捕まるような事は

    なかった。申し訳なかった」と謝罪して歩いた。

途中から「お父さん、もう止めて・・・」と、倅が泣き出した。

家に戻ると、先程の刑事が待っていた。

   「どないしてん?」 俺が訊くと

   「お前が子供を半殺しにしてないかと、心配で来た」という。

   「約束は守るから大丈夫だ。安心しろ」

   「そうか、じゃあ頼むぞ」と帰って行った。


 

出会いと繋がり

2008年11月18日 | Weblog
昨夜のテレビ番組で「死んだらアカンよ。命の番人vs自殺志願者東尋坊

大絶壁で号泣」という番組を見た。

何を隠そう、東尋坊は俺が長く住んだ街にある観光地だ。

「番人」の”茂さん”は、元警察官だったそうだ。

番組の中で、NPO法人を立ち上げているが資金難であると言っていたので、

なにがしかのカンパを思い立った。

毎月の俺の小遣いからカンパする事に決めたが、

何処に振り込めば良いのかが分からない。

そこで、”茂さん”の店に電話を掛けた。

”茂さん”は、東尋坊を死に場所に選んだ人達に声を掛け、

自殺を思いとどまるように説得する活動をするために、

東尋坊に「おろし餅」の店を開いているのだが、そこに電話をしたわけだ。

電話には”茂さん”本人が出た。

俺がカンパを申し出て、結局、店に宛てて送る話しになったが、

俺の名前を訊かれたので名乗ると、”茂さん”は俺の名前を知っていた。

俺自身は”茂さん”に会ったこともないし、逮捕されて調べられた事もない。

最初は社交辞令で「名前は知っている」と言ってるのかと思ったが、

俺の所属していた組織名まで向こうから言い出したので、

知っているのは本当だと納得した。

「あんたは大物だったから・・・」と、冗談めかして言っていたが、

俺の舎弟分はよく知っていたらしい。

別れた女房も、「あんたが知らなくても、向こうはあんたを知ってる人は多い。

だから行動は慎め」と、よく言われたが、その通りだったようだ。

俺なんぞ「その場を真剣に」生きてきただけだが、

俺の知らない所で悪名が流れていたらしい・・・。


昔は警察とヤクザは結構、仲が良かった。

一緒に酒を酌み交わすことも珍しくはなかったし、

お互いに「持ちつ持たれつ」の場面も多かった。

今は警察も「事件処理係」に成り下がって、

事件の裏側にある、事件になった経緯などはまったく見ようとしない。

「盗人にも三分の理」という言葉もあるが、

誰しも好んでヤクザになったり、法に触れる行為を行ったりはしない。

「やらざるを得ない事情」が潜んでいるのだが、

「事件処理係」には、そこまで見えないのだ。


警察を退職して、残りの人生を「自殺志願者救済」に打ち込む”茂さん”も、

一時代前のアナログ人間なのかも知れない。

入れ墨 2

2008年11月11日 | Weblog
話しを入れ墨に戻すが、普通の人はヤクザはみんな入れ墨をしているように

勘違いしてる人も少なくないが、入れていない者の方が多い。

俺も若気の至りで少年院の頃にイタズラで小さな「ラクガキ」をしたが、

少年刑務所を出たときに、自分で削りとった。

場所は左腕の付け根の内側と、右足首の内側くるぶしだ。

腕の内側は「命」という一文字、足首は「瓢箪」の絵柄。

腕の内側は柔らかく、神経が敏感な場所で、

足の方も内くるぶしだから、すぐ真下は骨でやはりとても痛みを感じる場所だ。

ただ、どちらもあまり他人の目には触れにくい。

よく、手首や指などに入れ墨の腕輪を入れたり、

指輪の入れ墨をする者もいるが、俺はそういった事が嫌いだ。

人に見えない場所で、特に痛い部分に入れ墨をした心理は何だったのか?

しかも、後年にはせっかく入れた墨をカミソリで削り取り、

自分で咥えたタバコの火で焼き消した・・・。

一度ならず二度までも痛い思いをした、あの行為は何だったのか?


入れ墨をした人間、特に墨の範囲が大きい者ほど肝疾患を持つ者が多い。

肝炎や肝硬変で命を縮めるケースは珍しくない。

今は「機械彫り」または「電気彫り」といって、

モーターの先に束ねた針をセットして、高速でその針を動かして肌を突く

方法が主流となっているが、本来の入れ墨のやりかたは手作りの木軸の先に

針を縛り付け、それを使って一刺し、一刺しを彫り師の手で突く。

人間の手先だけの感覚で突くから、彫り師の技術力で突かれる方の痛みも変わる。

墨の絵柄の出来栄えや、色の濃淡も腕次第ではっきり変わってしまうが、

この針が「肝疾患」のモトになることが珍しくないのだ。

針で突くのだから当然、出血がある。

突くといっても、実際は「抉る」のだから・・・。

そこで、その突かれる側がウイルス性肝炎だったら、

使い回す針先が別の人間の肌に差し込まれて、感染させる危険を秘めているのだ。

むろん、針は洗って消毒するのだが、消毒不良も昔は多かったらしい。

ちなみに、俺の「ラクガキ」は、少年院在院中で、布団針を三本束ねて、

鉛筆の芯を削って粉にして、束ねた針先の糸に水を含ませ、

含ませた部分に先程の芯の粉を付着させた上で、肌に針を刺す。

これを繰り返せば文字や絵柄が描けるということだ。

鉛筆の芯は黒色だが肌に入れると青に変わる。

黒(青)は割と簡単だが、今風の赤や黄色や緑などは色が入りにくいそうだ。

したがって、そういった色を入れるには深く刺す必要があるらしい。

ただ、俺が若い頃の入れ墨は黒(青)と赤しかなかった。

その二色だけで濃淡のぼかしをつけ、墨絵のような絵柄を作り上げたものだ。

電気彫りが主流になって、絵柄の色も増えた。

ただ、電気彫りは針の刺す深さが浅いため、痛みは軽いが数年後には色が抜ける。

だから、綺麗に仕上げたければ2~3年後に、もう一度刺し直す必要がある。


 「粋な兄ちゃん 筋彫りいれて 金がないのか 痛いのか・・」

といった冷やかし戯れ言葉もあるほど、彫りものを仕上げるのは大変なのだ。

昔はゲンコツを握って、そのゲンコツを身体に当てた面積分が一万円の相場だった。

だから、両かいなや全身となると数百万は普通に掛かるわけだ。

痛い思いをして、数百万を使い、肝炎のリスクを背負い、

さらに、温泉やサウナ等も入れず・・・・、何をか言わんや・・・。


入れ墨

2008年11月10日 | Weblog
俺は風呂が好きだ。

一昨日は「あきるの市の秋川渓谷」にある公営の温泉に行ってきた。

2時間で800円。

宿泊設備はコテージ風だが、生憎と満室で泊まれなかった。

そのまま山梨県の石和温泉か塩山温泉まで足を延ばすことも考えたが、

秋川渓谷からさらに1時間半も車を走らせる気にならず、

結局、温泉に入っただけで帰ってきた。

そして、昨日は横浜の鶴見の源泉スパへ。

そこは都内の温泉と共通の「茶色」の湯だったが、

施設が新しいので快適だった。

風呂に入って、一杯呑んで1時間のマッサージ。

中国人の男のマッサージ師の、その技術はなかなかのものだった。

マッサージの後、レストルームに移りチェアーの背もたれを倒して惰眠をむさぼる。

この一見「非生産的怠惰」が新しい気力を湧出させてくれる。

先週の休日も、俺は銭湯に行った。

その銭湯は、スーパー銭湯とまでは行かないが、

ラドン湯、サウナ、一般入浴と料金体系が違うが、

それぞれは同じフロアに設備され、ガラスで区切られたコーナーになっている。

サウナ料金を払い浴場に入ると、片かいな(片方の肩の意)に龍の入れ墨をした、

俺と同じか俺より多少若い男が、俺の陣取った蛇口の一つ向こうに座った。

男は「前」を洗うと「ラドン湯」のコーナーに入っていった。

追いかけるように、今度は両かいな(両方の肩)に牡丹と、

背中に鯉の入れ墨をした男が入ってきた。

こちらは綺麗に仕上がった墨で、結構な金額を掛けていると見た。

先程の男の連れだろう。

さらにもう一人、これは入れ墨は入っていない。

三人は「ラドン湯」のガラス張りの中で、声高に何か語っている。

外の洗い場からその様子は丸見えだが、

他の入浴客は誰もそこに入っていかない。

入らぬどころか、そちらに目線さえも向けないのだ。

そんな光景を見ると、俺は対抗心が湧き上がってしまう。

身体を洗い終えると、敢えてそのラドンコーナーのガラス戸を開けた。

5人入れば一杯になりそうな浴槽に、

片かいなに龍の男と墨のはいっていない男が入浴中で、

背中に鯉の男は浴槽の縁に腰掛けていた。

俺は左手で結界を切りながら、無言で浴槽に近寄った。

 (註釈) 結界とは本来は仏教用語。 転じて人の前を横切ったりするとき、
 
      「失礼」の意を表すしぐさ。相手と自分の間に掌で仕切りを造る。

一瞬、彼等の会話が停まり浴槽の中の墨のない方が身をよける。

空いた所に俺が身体を滑らせ、湯に入った。

その場の全員が、「こいつは何者?」と、無言で相手を測り合う。

意識しながら、それを押し殺した3対1の沈黙の闘いだ。

こういった場面では、何でもない行動や言葉で衝突が起きうる。

お互いに無視し合いながら意識しあう緊張感が、

何でもない事が引き金になってぶつかる危険を秘めているのだ。



読んで頂いている方々の中には、前回の結末が気になっている方も居ると思うが、

俺に巾着を盗まれた「若頭」は、警察がそのホテルの部屋に踏み込んだ時には

ホテルの従業員によって、逃がされた後だった。

そして、その後その「若頭」は暫く行方不明の後、警察に逮捕され、

俺が盗んだ件もバレないままで終わった。

30年ほど前のエピソードだが・・・。


るいさん コメント有り難うございます。

お暇なときに思い出したら、また訪問下さい。


エピソード 2

2008年11月06日 | Weblog
何とか眼を醒ます事なく腕から抜き取った巾着袋を持ち、その部屋を出た。

さて、問題はこれからだ。

その「若頭」が目覚めて、腕に通して持っていた巾着がないと気付けば、

必ず騒ぎ立ててホテルの従業員にも問いつめるだろう。

従業員は「誰かが尋ねてきた」と、俺の人相風体を話すと考えておかなければ

ならない。

どうするか・・・。

当時はまだ、それほど普及していなかった自動車電話から

大阪府警本部に電話を入れた。

捜査4課につないで貰うと、ホテルの住所と名前と部屋番号を伝え、

「刀を持った男が寝ている」とタレこんだ。密告したわけだ。

その男が「銃刀法」で逮捕されれば、少なくとも「巾着の盗難」は

ウヤムヤになると計算したのだ。

車でしばらく走り、人気のない川沿いの道に寄せて巾着の中を確認した。

予想通り、中にはシャブが入っていた。

数万の現金も一緒に入っていたが、シャブの方が値打ちはあった。

俺は本部にに戻り、畑田に眼で合図を送り事務所の別の部屋に入った。

黙って畑田の前に巾着を差し出した。

畑田も無言でそれを開いた。

と、眼を見開いて顔を上げると「どうしたんやこれ?」

「実は盗んで来た。巾着の持ち主は●●組の頭」

「約束の金を払わんから、追い込みかけたらちょうど寝てて、

 手首にこれを巻いてたから抜いてきた」

「なんやてか!やばいやないか・・・」

「まぁ、ばれたら殺し合いすればええだけや」と俺。


俺達は当時、シャブとハジキの商売を始めたばかりで、

シャブの在庫も持っていなかったが、

俺が盗んできたシャブは仕入れ金ゼロだからそれを捌いた金がそっくり浮いて、

次の仕入れが充分に出来るだけの金に換わった。

ただ、この時はそのシャブはまったく違うルートに流した。

違うルートに流した理由は、

覚醒剤を使っている奴らはその覚醒剤を身体に入れたとき、

その覚醒剤がどのルートから流れてきたかが分かるからだ。

つまり、Aの小売屋とBの小売屋が同じ「卸し」から仕入れても、

A,Bそれぞれは俺から仕入れても再び自分の所で「混ぜ」をする。

「混ぜ」とは、少しでも販売量を増やすために金魚鉢に入れる「カルキ抜き」、

味の素、アンナカ(安息化酸ナトリウムカフェイン)等を混ぜる事を言う。

塩を混ぜるなんて良心的なほうだ。

で、その混ぜた物質や量で身体に入れた時の感じが違うそうだ。

だから中毒患者は敏感にその違いを体感する訳だ。


エピソード

2008年11月05日 | Weblog
俺が覚醒剤とハジキの卸しをしていた頃のエピソードを書こう。

俺の兄貴分にあたる「畑田洋二」から、シャブとハジキの売買を任されていた。

ハジキやシャブを欲しがっている奴に俺を紹介し、

畑田とは関係ない形で取引をするのだ。

客は畑田の兄弟分や、他組織の役職者などが多かったので、

彼を通した取引だと「つきあい」の情が絡んで商売にならないから

「紹介」だけで、取引は俺とする形にしたわけだ。

無論、客がパクられたら、名前が出るのは俺だ。

有る意味、俺が畑田の防波堤の役割だったのだ。


ある時、他組織の「若頭」の人間が俺からシャブを50グラムを持って行った。

数日後の支払いを約束して取引をしたが、

当時俺は基本的には、約束を一日遅れるごとに取引金額に利息を付けた。

一日につき5%だったと思う。

利息を付けた理由は、例えば10万の代金が入金になれば、

その10万を新たなシャブの仕入れに回して10万を15万にできるが、

回収が遅れればその分、資金を寝かせる事になると言えるからだ。

そんな厳しい条件の取引だったが、

その「若頭」も常連客の一人だった。

そして、ある時彼は支払いの約束を守らず、

その内に連絡もとれなくなった。

毎日の他の客との「取引」の合間をぬっては、

その「若頭」を探して色々な方面に網を張った。

そしてその網に掛かって、ラブホテルの一室にいるのをキャッチした。

俺は自分用のハジキを持って、そのホテルに出向いた。

相手は名の通った組織の「若頭」、ナンバー2だ。

乗り込んで、俺がハジキを携えているのを知られたらタダでは済まない。

ヘタをすれば組と組の抗争になる危険性をはらんでいた。

筋と道理は俺にあり、非は向こうだ。

しかし、ヤクザ渡世はそのままの話しが通りにくい。

つまり、「非はこっちにあるが、ハジキを持ってきたのはどういう事だ」

「これはこれ、それはそれで話しをつけよう」となる可能性が大きかった。

最悪、俺は彼をはじく(ハジキを発砲する)覚悟で乗り込んだのだ。

約束を守らずに金を払わないのは、俺が舐められたと解釈していた。

さて、彼が居る部屋に向かい、声を掛けてドアを開けたがベットには彼一人だった。

側に近寄ってみると、日本刀を抱いて熟睡中だった。

無言で彼の状態を確認してみたら、

彼の左手首に巾着袋が巻きついていた。

熟睡しても手元から離さない刀と巾着袋・・・。

根拠はないが、「シャブだな」と直感した。

俺は眠っている彼の手首から巾着を抜き取った。

抜き取る最中に目覚められたらアウトだ。

今度は逆に俺がケジメを取られる側になり、立場が逆転してしまう。

まして相手は名の通った組織のナンバー2だ。

俺の命さえヤバイかも知れなかった。