高校政経

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日本経済史 05年 東北学院 経済  

2006年06月28日 | 入試問題
 1950年代なかばから1970年代初めにかけて、日本は高い経済成長を実現したが、この間の経済はかりの景気変動を伴ったものであった。20年ほどの間に、日本は、神武景気、(岩戸)景気、オリンピック景気、そして戦後最長といわれる(いざなぎ)景気と、4つの景気循環を経験している。
 高度経済成長は日本の経済構造・産業構造を大きく変化させた。たとえば産業別の就業人口の変化をみると、第一次産業(農林水産業)の就業者割合は著しく低下し、他方、第二次産業の就業者割合が上昇した。また、高成長に伴う雇用機会の増大は、女性の社会進出を促進した。また、この時期は日本経済の国際化が進み、開放経済体制へと移行した時期でもある。
 その後、日本経済は不況下での激しい物価の上昇(これをスタグフレーションという)に見舞われ、1974年には戦後初のマイナス成長を経験した。これに対して政府は金融引締めや公共投資の繰り延べなどの総需要抑制政策を実施した。また、企業は省資源・(省エネルギー)化を推進し、人員整理や不採算部門の切捨てなど(減量)経営を行った。
 1980年代に入ると、アメリカの高金利政策が(ドル高)を招いたため、日本の対米貿易(黒字)は急増し、日米間の貿易摩擦が激化した。こうしたなか、1985年9月には先進国の間で(プラザ合意)が成立し、これ以降、為替相場は急激に変動した。この事態により日本の輸出産業が大きな打撃を受け、(円高)不況となることが懸念されたため、日本銀行は公定歩合を引き下げた。しかしながら、実際には多くの輸入品の価格が下落したため、為替相場の変動によって国際競争力が低下することはなく、深刻な不況は生じなかった。むしろ行き過ぎた金融緩和は過剰流動性を生み出し、(バブル経済)が発生した。
 バブル経済は1990年代に入り崩壊し、(不良債権)問題が生じる。(不良債権)とは金融機関が融資した貸出金のうち、回収困難あるいは不能となった貸出金のことである。(不良債権)が原因で経営破綻する金融機関もあらわれ(北海道拓殖銀行や、山一証券など),日本経済は未曾有の長期不況に見舞われた。