高校政経

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国際通貨 南北問題 2000 福岡 法・商

2006年06月30日 | 入試問題
 第二次世界大戦終了直前の1944年、米国と英国を初めとする連合国首脳が米国ニューハンプシャー州(ブレトンウッズ)に集まり、戦後の国際通貨体制に関する会議が開催された。会議では、国際通貨基金(IMF)とならんで国際復興開発銀行(IBRD)、通称(世界銀行)の設立が決定された。上記両機関を基軸とする国際通貨体制は、その会議の開催された地名にちなんで(ブレトンウッズ)体制と呼称されている。
 (ブレトンウッズ)体制の特徴は、金とドルの交換と(固定為替相場制)を重要な柱として、(為替切り上げ)の規制・(為替切り下げ)競争の回避・経常勘定における通貨の交換性(経常的国際取引における外国為替管理の撤廃)を実現することにある。国際通貨基金が国際収支危機に陥った加盟国に対して(短期)資金の供給を目的としているのに対して、(世界銀行)は、戦後復興と途上国における経済開発を目的とする(長期)の資金供給をねらっている。
 国際貿易体制に関しては、1948年に設立した国際協定、(関税および貿易に関する一般協定)通称(GATT)が、戦後自由貿易体制の確立に多大な貢献をした。GATTは,(ラウンド)と呼称される多角的貿易自由化交渉を数次にわたって実現し、加盟国の(関税)率引き下げと数量制限の撤廃を推進してきた。
 (ブレトンウッズ)体制はGATTによって主導される世界の自由貿易体制を国際通貨・国際金融の面から支えるものであったと理解することができるが、1970年代初頭における金とドルとの交換停止(1971 ニクソンショック)と先進主要国における(変動為替相場)制への移行などによって事実上、(ブレトンウッズ)体制は崩壊する。さらに、二度にわたる石油ショックによって、全世界的な規模でのインフレーションと不況の同時進行、すなわち(スタグフレーション)が発生した。また、国際通貨体制の動揺と並行して・日・米・欧州間に貿易摩擦が頻発し、(輸出自主規制)などをはじめとする管理貿易化が進展するようになった。
 (GATT)はその後1995年(世界貿易機関 WTO)としてその権限が強化された。
 発展途上国に関しては、先進国と途上国間の経済格差問題すなわち南北問題が依然として存在している。1964年国際連合において途上国の経済開発のために途上貿易国の優遇、一次産品価格の安定化、途上国援助の拡大とその向上からなる3大要求を先進国に提示した(国連貿易開発会議 UNCTAD)が設立された。
 1970年代以降、東アジア諸国を中心とする新興工業経済地域、通称(NIES)の台頭とアフリカ諸国における貧困の一層の深刻化など,途上国間においても南南問題と呼ばれる経済格差が生じるようになった。
 安定的な国際通貨体制の確立と自由貿易の推進だけでなく、途上国における貧困問題や地球環境問題の解決も、21世紀を間近に控えた現代世界における重要な課題となっているのである。