エビフライのしっぽ

日々のちょっとした発見をときどき紹介します。
ほとんどはなんてことない日記です。

彼方からの手紙

2009年02月15日 | Weblog
もうずいぶん前のことだけれど、
『ほぼ日』のダーリンコラムにイトイさんが書いてたこと。

―「あいつ呼ぼうぜ」っていわれるかどうかが、その人の価値。

最近よくそのことを思い出してる。
仕事でも、それ以外でも、
「あいつ呼ぼうぜ」って言われる人でいたくて。

同じコラムのなかに
スチャダラの『彼方からの手紙』のことが書いてあるもんで繰り返し聞いてたら、
なんだかたまらなくせつなくなってしまった。

♪毎日みんなで口にするのは
「あぁ あいつも来てればなぁ」
って 本当にぼくも同感だよ
それだけが残念でしょうがないよ

「あいつ呼ぼうぜ」の価値がなかったらつまんない。
便利とか役に立つとかばかりの関係はむなしい。
立場や事情が変わったとしても、
それぞれに弱さはあっても、
ぐっとチカラを入れてちゃんと「こっち」にいなきゃって思う。
わけわかんなくなっちゃうと
きっとあっという間に「そっち」にいっちゃうんだろうな。

・・・などとちょっと青くさい感傷にひたりつつ(笑)
「あいつ呼ぼうぜ」になるべく、
ひとつひとつのことにちゃんと魂を込めていこうと思ったりしてます。

↓これが、そのダーリンコラム。
すごく長かったので抜粋~。

*****

2005/11/28のほぼ日ダーリンコラムより

ぼくは、なぜだかわからないけれど
「あいつを呼ぼうぜ」と言われる人がいいと思っている。
結果はわからないけれど、自分のこどもにも
そんなふうに育って欲しいと願ってきたし、
知り合いの若い人たちにも、言う機会があれば、
そう言ってきている。

勉強ができるからといって、
「あいつ呼ぼうぜ」と言われるわけじゃない。
ケンカが強いから、「呼ぼうぜ」ということでもない。
たんまり金を持っているから、「呼ぼう」でもなければ、
地位があるから「呼ばなくちゃ」ということもない。
笑わせるのが得意だから「呼ぼうぜ」とも言い切れない。
いや、時と場合によっては、便利だからとか、
役に立ちそうだという理由で、
そういう「力」を必要とする場合もあるのかもしれないが、
それは、ちがうのだ。
もっと、親しい関係性なのだ。
なんだか知らないけれど「いたほうがいいやつ」、
「あいつがいたら楽しいだろうな」と思わせるやつ、
そういうやつこそが、ぼくの考える人間の理想なのだ。

取り柄で、みんなに大事にされるとしたら、
みんなは自分でなくて、その取り柄のほうを愛している。
それは、さみしいことなのだと思うのだ。
そんなんじゃなくて、なんの取り柄もいらなくて、
ただ「おまえが来ないから、さみしかったよ」と
言われるような、そんな関係をつくれるやつ。

これまでにも、何度か言ったり書いたりしてきたんだけど、
スチャダラパーのアルバムに
『WILD FANCY ALLIANCE』というのがあって、
そのなかに『彼方からの手紙』という曲があるのだ。
この歌で描かれている「ああ、あいつも来てればなぁ」
という言葉、これこそが、ぼくの憧れの価値なのだ。
このすばらしいアルバムが、いま手に入らないことには、
ぼくは珍しく義憤のようなものを感じたりしている。
ほんとうに!すごいアルバムなのだ。

一番になることにくらべて、
「あいつ呼ぼうぜ」がいいのは、そういう存在に、
誰でもなれることだ。
そういうやつが、何人いてもかまわない。
それどころか、
【世界中の人間が「あいつ呼ぼうぜ」になりますように】
って、看板立てたくなっちゃうくらいのものだ。

こんなことを書いていると、はたして、いま、
自分が「あいつ呼ぼうぜ」と言われる人間であるか?
疑問を感じてしまうのだけれど‥‥危ないね。
いい意味で、余裕とかヒマとかを所持してないやつは、
「あいつ呼ぼうぜ」って言ってもらえないんだよなぁ。
つまり、いまの自分は、自分の価値観からいうと、
あんまりいいやつじゃないかもしれない、な。
残念だなぁ。顔洗ってこよう。