小沢氏”起訴相当”についての違和感
小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入事件で、不起訴になった小沢氏を「起訴相当」と断じた東京第5検察審査会での理由が「市民目線からは許し難い」ということだった。
市民感覚からは、その説明は解りやすい。
しかし、それで世間は通らないだろう。
起訴とか逮捕とか、そういう法的テクニカルなことは証拠に基づいて初めてできるのことなので”「市民目線からは許し難い」からやっちゃえ~”というのはなんか、怖い感じがしないだろうか。
結局、この論理だけでいくと検察はまた証拠に基づいて不起訴にするか、もしくは新しい証拠を見つけるか、でなくば今まで有った証拠を味付けして針小棒大に広げ起訴するかだろう。
どちらにしろ、起訴された段階で小沢氏の身分は剥奪されたも同然であり「市民目線からは許し難い」感情は納まり一件落着になるのだろう。
たとえ、その起訴で裁判が決着して証拠不十分で無罪になったとしてもだ。
それで正義はどこにあるのだろうと深く考えてしまいます。
もとより小沢氏を擁護するつもりはないが、システムとしての正義が「市民目線からは許し難い」という感情に負ける世の中はいかがなものかと思うし、これに類することが昨日今日よく耳にしているので少し違和感を感じているところではある。
昨今気に入らないから、ぶち込んじゃえ的な、苛立ちまぎれの集団ヒステリー(と言ったら言い過ぎだろうか?)状況が蔓延しているようです。
「我こそ正義」的な発想は行き過ぎたら危険です。
過去の多くの過ちも正義を振りかざした行き過ぎから起こっていますからね。
私は小沢信者でも民主党員でもありませんが、行き過ぎはどんな場合も恐い結果を招くと言う事で。
余談ながら。
先日も遺族による労災申請(労災本人が誰であっても、個人的な問題ですよね)された事が、天下のNHKニュースで報道されていて、この国の国家公務員(大阪労基職員は国家公務員のはず)の守秘義務っていつから無くなったのかと心配になりました。
報道するNHKも、さも正義の報道のような意識なのか、プライバシーに対する特段の問題意識を持たないのかと恐怖すら覚えました。
何か変です。最近のマスコミ&公務員。
さいきん、これを感じさせる報道が多いです。