とね日記

理数系ネタ、パソコン、フランス語の話が中心。
量子テレポーテーションや超弦理論の理解を目指して勉強を続けています!

おもてなしの心

2011年09月03日 16時10分43秒 | 日記
今読んでいる数学書のレビュー記事を書くまでもう少し時間がかかるので、30歳の頃に経験した忘れられない出来事を紹介することにした。ちょっと長文だが、お付き合いいただきたい。

当時、僕にはジャズピアニストの女友達がいた。彼女は仕事もそこそこあり、自宅の近所に練習専用の賃貸マンションを借りることになった。

とある暑い夏の日、彼女のピアノ練習用スタジオが完成し、友達を集めてオープニングパーティを開くことになった。僕も声がかかったうちの一人だった。

たしか武蔵境あたりだったと思う。電話も彼女はまだ引いていず、携帯電話も普及していなかった時代。マンションは自分で見つけなければならない。昭文社の地図を手がかりにそのマンションに着いたのが午後3時くらい。彼女の友達はもう12~3人ほど集まっていた。(余談:僕がPHSを持つようになったのはそれから2年後、ドコモのmovaの携帯電話を手にしたのはさらにその2年後のことだ。)

間取りは10畳くらいの部屋が2つ。部屋の真ん中にグランドピアノが置いてある。もう一方の部屋には白いソファーベッドと寝泊まり用の寝袋が置いてあるだけ。その他に家具はなかった。

パーティは参加者の持ち寄り形式。僕もお菓子やワインやウィスキー、ミネラルウォーターなどを買って合流した。

周囲は知らない人ばかり。年配の人もいたけれども同年代が多かったのですぐ打ち解けた。20年近く前のことなので、どんな人が来ていたか忘れてしまったが、楽しく盛り上がったし、ピアノを弾ける人が彼女の他にもいたので、ジャズの無料生演奏付きの贅沢な集まりだったのだと今になって思う。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、終電近くに2~3人帰っていった。ほとんどの人は朝まで飲み明かすらしい。僕もだいぶ酔ってきたが、布団がないとくつろげず、ちゃんと横になって寝たくなってきた。次の日は仕事があったし(タクシー代を払ったとしても)帰宅してちゃんと休みたかった。

とうとう午前3時頃に「やっぱり僕、家帰って寝ることにするね。」とジャズピアニストの彼女に言ったところ、

「あ、とねちゃん。中野のほうでしょ?アキコさんたちもそっち方面で、もう帰るって言ってるからタクシー一緒に乗ってけば?」

(アキコさんたちって。。。女の子たちと一緒に帰れるのかな?)

僕の心はざわめいた。素敵な時間が始まる気配に心が踊った。女の子と帰れるのか!何時間も周りの人と話したけど、誰が誰だか覚えていない。アキコさんって誰だっけ?

「アキコさん!とねちゃんも一緒に帰るって。」

そう言いながら彼女が話しかけたのは50代の男性。いわゆる「ゲイ」の方だった。僕の密かな期待は吹っとんだ。後でわかったのだが「アキコさん」は53歳で、風貌はゲイタレントの「クリス松村さん(写真)」にそっくり。

アキコさんはそのパーティに「恋人」と来ていた。どちらが彼氏でどちらが彼女なのか僕にはわからなかった。それはどうでもいい。ともかくアキコさんの彼女(or彼氏)は40代の男性でタレントでいえば「上島竜兵さん(写真)」タイプ。

このようないきさつで、中年のゲイのカップルとまだ若かった僕の3人を乗せたタクシーは午前3時過ぎに武蔵境を出発した。アキコさんたちの話はめちゃくちゃ面白い。タクシーの中でも笑いっぱなしだった。

アキコさんたちが住むマンションは中野区の上高田にあった。僕の家は中野区の南端なので同じ区内といえども4キロほど離れている。

上高田に近づいた頃、僕はトイレに行きたくなった。

「すみませんけど、近くに公園かなにかありますか?トイレ行きたくなったもので。。。」

「あ、そう。公園はちょっと遠いから、うちでしてけば?」とアキコさん。

「そうですか。それじゃ、すみませんけど、お借りすることにします。」

とかくするうちに、アキコさんのマンションについた。あたりは暗かったけれども、昭和40年代に建てられたような都営住宅、いわゆる「団地」であることがわかった。階段をいくつか上がり、個性のない同じ間取りの部屋のひとつ。さらに個性のない鉄製のドアの向こうにアキコさんたちの日常がある。

案内されるまま、おそるおそる玄関を上がると、暗がりの中に異様な光景が広がっていた。こんな部屋見たことがない。。。

そこは木々の生い茂ったジャングルだった。まるでポリネシアンバーのように床から天井まで見事に飾りつけがほどこされ、枝と枝にはロープのように何本も蔓(つる)がかかっているのが見えた。

外の無個性なたたずまいとは完全に切り離された異質な空間。部屋の壁は緑色の大きな葉を茂らせた木々に覆い隠されて見えないから、その空間はどこまでも続いているように思えた。

照明もいくつかのスポットライトが木々を照らしているだけなので、それ以外の方向は真っ暗闇。間取りというものがよくわからないのだ。奥のライトの下に真っ赤な2人掛け用ソファと小さなテーブルが置いてあり、僕が来るのをずっと待っているように思えた。

参考:ポリネシアンバー、ハワイアンダイニング:TIKITIKI新宿店の写真



トイレを借りた後、「どうもありがとうございました。」と言おうとしたところ

「とねちゃん、みかん食べる?」とアキコさん。

アキコさんの恋人は、いつの間にかいなくなっていた。

すぐ帰るのも失礼だと思い

「それじゃ、いただきます。」と答えた。

みかんを一つか二つ、こんなジャングルの中で食べるのもいいかもしれない。赤いソファに座ってアキコさんのことを待っていた。会ったばかりなのに親切な人だと思った。

ところがいくら待てどもアキコさんはキッチンから戻ってこない。

呼びかけても「ちょっと待ってて。」と声がするばかり。20分ほどたって、さすがにそろそろこの家から出たほうがいいぞと思えてきた。少し怖くなってきた。こっそり帰ってしまおうか。。。

しびれを切らし、もう限界と思ったところでアキコさんが両手に大皿を持って部屋に入ってきた。その皿には見事にみかんが盛りつけられていた。

このときのみかんの盛り付けをお見せしたいのだが、写真を撮ったわけではないので、ネットで似たような写真を探して見つけたのがこの記事のトップに載せた写真。トップの写真は缶詰のみかんを盛りつけたものだが、実際にアキコさんが持ってきたのは下の写真のように普通の小粒のみかんを中の薄皮まで全部むいて、大皿の上に放射状に並べたものだ。



(うぁっ。。何もここまでしてくれなくても。。。)

初対面の、そしてこれからお付き合いが始まるような間柄でもないのに。まして酔っ払って帰宅した明け方4時近くのことだ。僕の生活感覚では考えられない「おもてなしの心遣い」だった。そもそも、小粒のみかんはこのようにして食べるものではない。

ゲイの人って心は女性だからなのか、優しさにあふれている。

「きれいに並べられなかったけど、はい、どうぞ。」

僕はすっかり恐縮し、酔いも覚めてしまった。僕はこんなすごいものをいただくほど、たいした人間じゃない。どうしてこんなに大切に扱ってもらえるのだろう?自分を納得させられる理由が何かないかとあれこれ考え始めた。アキコさんはニコニコしながら僕がみかんを食べるのを待っている。

「すごいですね。みかんこんな風に並んでいるの、初めて見ました。食べるのもったいないです。」


結局、みかんは皿の4分の1ほどいただき、何事もなくアキコさんの家を出て帰宅の途につけたわけだけれども、あの夜のことは今でも鮮烈に僕の記憶に残っている。

その後、ジャズピアニストの友達とも少しずつ連絡をとらなくなり、アキコさんたちとはあの夜会ったきりだ。あれから18年も経っているので、今では71歳になっているはずだ。どこかでお元気に暮らしていらっしゃればいいと思う。

僕は若い頃、いろいろな方にお世話になった。アキコさんもそのうちのお一人。この夜のことはずっと覚えていることだろう。


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