とね日記

理数系ネタ、パソコン、フランス語の話が中心。
量子テレポーテーションや超弦理論の理解を目指して勉強を続けています!

この世は夢かまぼろしか

2008年02月19日 18時30分17秒 | 物理学、数学

掲載画像: 蜃気楼

今放送されている「エジソンの母」の花房賢人くんではないが、僕は最近「どうして?どうしてなの?」と自問することが多くなってきた。

やばい。。。もっと現実に戻らなければ。

物理学の勉強が進むにつれて、この世界の「モノ」や「コト」が本当にあるのかということを深く意識しはじめたからだ。目に見えるこの世界は、本当にあるのではなく、あるように見えているだけなんじゃないかということ。
わざわざこんなことを考えなくても生きていけるのだが。。。。まるで高校の倫理社会で習ったデカルトの「我思う。ゆえに我あり。」な状態。

それでも物理の勉強を今後も続けていくためには、しっかり確認しておかなければいけない気がしたのだ。せっかく学んだ法則や方程式を構成している物理量がもともと存在していないなら、学ぶことにどのような意味があるのかあやふやになってしまうから。存在しないモノやコトについての法則などいったいどんな価値があるのだろう。

物理学では学習を進めていくうちに、取り扱う対象の存在を疑ってみたくなることを何度も経験する。たいてい最初からそれが存在するものとして進んでしまうのだが、新しい法則や方程式を学ぶたびに「いや待てよ。」という瞬間にぶつかるのだ。

今日は自然法則の理解の過程で遭遇するこのような瞬間について紹介する。僕のレベルはせいぜい理系の大学3年生だ。たったその程度の知識でも、不思議なことはいくらだってころがっている。

物理の話題というと、とかく素粒子物理学や超ひも理論、統一理論などがクローズアップされがちだが、そこにたどり着くまでの物理学でもこの世界の実在性について検証できるのだろうかという観点からこの記事を書いてみた。

物理学の歴史全般を扱うので、説明が粗くなることをお許しいただきたい。


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ニュートン力学

高校物理で最初に学ぶのがニュートン力学。最初から物体は質量 m で表され、加速度 a との積から F = ma として力が定義される。加速度 a は速度 v の時間 t による微分、そして速度は物体(質点)の位置 x の時間 t による微分であらわされる。つまり、時間と位置、質量が存在していれば、速度や加速度、そして力も存在していることがわかる。

と書いたが、ちょっと待ってほしい。

F = ma の右辺のmやaが存在していたとしても、等号で結ばれているからといってFが存在していると言っていいものだろうか?せいぜい言えることは「右辺で計算できるような量は F として表し、それを「力」と呼ぶことにしよう。」くらいにすぎないのではないか。

物理学は自然の法則を方程式(や不等式)で表現する。それらを構成する変数はさまざまな物理量に対応しているが、方程式で表現している以上、物理量の間の関係でしか人間は物理法則も理解できないことを意味している。いくら電子を e と表して、その性質を単独で理解しようとしてもその努力は報われるはずがない。方程式に e が含まれ、他の物理量との関係が明らかになってはじめて電子の存在や性質がわかってくるのだ。人間が自然を物理法則で理解できる方法は、物理的な対象が他の対象とどのような係わり合い方をしているかという形しかない。

つまり、F = ma は「右辺のような質量と加速度の積で計算されるものをFとし、それを「力」と呼ぼう。」と定義しているのであって、日頃僕たちが「力」として感じ取っているものと似ているが異なる発想から定義されたものだ。

同じように運動エネルギー E や運動量 p も質量 m と速度 v から計算できる物理量でその実体があるように人間には見えない。

ニュートン力学の範囲で確実に存在していると思われる物理量は質量と時間、位置、速度、加速度で、抽象的で見ることができない物理量は運動エネルギー、運動量、位置エネルギー、仕事量などで、物理を勉強中の高校生は、これらの量が本当に存在しているかどうか、一度は疑ってみるべきだ。「位置」の存在が確実ということは「空間」の存在も認めたことになる。また、質量と重力(引力)の間に比例関係があることや重力が距離の逆2乗に比例することが方程式で示され、重力が F = ma で定義される力と同質のものであることが理解されるようになった。ただ、重力の発生するメカニズムはわかっていない。

また「運動量保存の法則」や「エネルギー保存の法則」は、それらの方程式を構成する質量や速度などの物理量が確かに存在していることを示唆しているように思える。

回転運動の単元で勉強する角運動量や回転モーメントも同じようなレベルの話なので説明を省略する。

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電磁気学

ミリカンの実験で求められた電気素量 e によって電子というものが存在することが確認された。この物理量から芋づる式に、さまざまな法則が記述され電流、電圧、クーロン力、電磁波をはじめさまざまな電磁気学的な物理量が存在することが証明された。また、マクスウェルの方程式によって、光が電磁波の一種で、光の速度cが定数であることもわかった。電磁気の世界がたとえ目に見えなくても、この世界に確かに存在するということが実験や方程式、法則を通じてわかるようになった。

しかしマックスウェルの方程式を導出する過程で利用されるベクトルポテンシャルの考え方は、この世界に実体として存在しないベクトル量の存在感を強く意識させることになる。そのような仮想的な量で方程式を表したほうが、シンプルで美しい方程式になるからだ。

また電磁波が光速で伝わることと、電磁気力が光速で伝わることは同じであり、これらが一瞬のうちに遠い距離に伝わる遠隔力ではないこととマクスウェルの方程式により電場や磁場の存在が示唆されるようになった。これらは物理的な実在としてもちろん目に見えるものではないが、方程式上の物理量としては確かに存在する。

電磁気学によって光が電磁波のひとつであることが明らかになり、人間が感じる「色」というものは物理的実体があるわけではなく、光の波長の違いを人間が色の違いとして見えているにすぎないということがわかった。

磁力の原因については電磁気学では説明がつかない。磁力の原因については量子力学の誕生を待たなければならない。

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熱力学統計力学

多数の分子の運動力学から体積、圧力、内部エネルギーなどの関係が計算できるようになった。これによってそれまで信じられていた「熱素」という粒子の存在が否定された。そして温度というものは長さや位置などとは異なり現実に存在する内部エネルギー、体積、分子数などの物理量を組み合わせて定義される「人工的な物理量」であることが理解できるようになった。直観的には熱いとか冷たいと感じる温度というものは、人間がそう感じているだけの指標にすぎない。

熱力学で学習するエントロピーという抽象的な物理量は、多数の分子の運動が取りうる状態数を考えることによって定義される。「状態数」は確率の法則に支配され、多数の分子がとりうる状態のそれぞれはすべて同じ確率で現れるという「等重率の原理」を前提としている。この原理は数学的な難問と言われている「エルゴード仮説」と同値であり、限定的な場合についてのみ数学的に証明されている。

どうして未来は決まっていないのか(その2)」という記事の中で、時間が過去から未来への一方向にしか流れないことの根拠はエントロピー増大の法則であり、その起源は「自然が行う確率的な二捨択一の原理」であると書いたが、これは「等重率の原理」や「エルゴード仮説」を認めることと同じだと思う。1本の釘の上に落ちるパチンコ玉が左右のどちらかに落ちるという力学的な運動の結果も任意の時刻にパチンコ玉が左右のどちらにあるかという「状態の確率」として見方を変えることによって「等重率の原理」や「エルゴード仮説」を前提とする確率論に帰着するからだ。つまり、時間が過去から未来への一方向に流れるという事実が存在することの確からしさは、「エルゴード仮説」の正当性を認めることの確からしさに等しのではと僕は考えた。

統計力学ではミクロな粒子の運動の確率論的な状態数からマクロな物理量を計算していく。基礎となるのは統計学に基づく確率論なのでマクロな物理量の実在性は確率論の実在性に等しい。簡単に言ってしまえばこうである。学校で行うテストの点数を考えたとき、それぞれの子供の点数は実在する。平均点や標準偏差などは統計学によって計算でき、点数は確率的な分布に従う。このとき平均点や標準偏差は実在するものと言ってよいだろうか。答えはYesだ。平均点はそれぞれの子供の点数を合計したものを人数で割って求められる。それぞれの子供の点数が実在することを認めれば、その合計も実在するのは明らかで、それならば平均点も同じように実在する。統計力学で扱うマクロな物理量も同じような根拠と方法で実在性が認められるのだ。ただし、その根底にあるエルゴード仮説を認める限りという条件付きで。

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特殊相対性理論

E = mc^2という方程式によって物質の質量とエネルギーが等価であることがアインシュタインによって導かれた。つまり質量が存在するならエネルギーの存在も認めなくてはならない。なぜなら右辺のcは光速度なので定数だからだ。ということはエネルギーと質量がこの世界に存在することの確からしさは同じである。

特殊相対性理論においても、もちろんニュートン力学で定義されたのに対応する物理量が存在するが、それらは時空の4次元に拡張される。すなわち、時空の4次元空間、4元運動量、4元速度、4元加速度などである。これらが実在する確からしさもニュートン力学における対応する物理量が実在する確からしさと同じ程度だ。

そして「運動量保存の法則」や「エネルギー保存の法則」も4次元時空の物理量であらわされる質量と4元速度について成立している。

しかし、特殊相対性理論によれば、あらゆる物の運動は光の速度を超えることはないが、2年前この記事で書いたように実際に光の速度を超えるような現象が量子力学や素粒子物理学の実験の過程で発見されている。そうすると、アインシュタインが言うように現象の因果律が成り立たなくなり、結果よりも原因のほうが時間的に先に起きてしまうことを意味しているのだ。このように時間の順序ですら逆転してしまい、僕たちが感じている過去から未来に流れている時間というものは本当にあるのだろうかという気さえしてくる。

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一般相対性理論

質量によって空間が歪み、時間が遅れることが明らかになった。それらの実在性にはなんら変更がない。空間が歪むといっても多次元空間の存在を予言したわけではない。

一般相対性理論は等価原理を前提として導かれた。これは重力と加速度は区別できないという原理だ。モノとコトの実在性の観点から言えば、重力と加速度の実在性が等しいと言っているわけだが、その実在性の確からしさについて示唆しているわけではない。

一般相対性理論は重力が伝わるメカニズムを「重力場の伝播」として説明することに成功した。そしてそれは重力が波として伝わるという方程式を導き出し、「重力波」という考え方をはじめて提唱した。そして重力場の方程式から重力波の伝わる速度が光速度 c に一致していることを導けたことは注目すべきである。なぜなら光や電磁波とは性質を異にする重力というものが同じ速度で空間を伝わるのは、それらに共通の法則が存在していることを示唆しているからである。

ここまで解明されてきた重力であるのだが、実は重力が発生するメカニズムはまだ解明されていない。重力子(グラビトン)もまだ仮説の段階である。

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量子力学

さて、量子力学が問題なのである。この世界の実在感を一気に崩壊させてしまった。

まず、量子論の誕生に結びつくアインシュタインの「光量子説」によって光が波動であると同時に粒子(光子)として存在していることがわかった。また、ドブロイの物質波の理論により、電子が粒であると同時に波動であること、さらに全ての素粒子は粒子であると同時に波動であることがわかった。これらは単なる思い付きではなく、輻射の理論やエネルギーについての実験結果から導かれた緻密な物理的計算から得られたものである。物質の粒子性と波動性の両立はモノやコトの存在についての認識にとっても大革命だ。

しかし、プランクの量子仮説によって、エネルギーEが実数的に連続に分布するのではなく、離散的にとびとびの値しかとらないことが導かれた。エネルギーの実在性に大きな疑問が生じた。

ハイゼンベルクの不確定性原理によって、ミクロな粒子の「位置と運動量(速度)」、「時間とエネルギー」は同時に正確には求めることはできないことがわかった。同時に正確に観測できないという意味だけでなく、同時に正確にそれらが存在し得ないということがわかった。これが大問題。位置や速度、エネルギー、時間の実在性がかなり怪しくなってしまった。

電子や光子をはじめとするあらゆるミクロな粒子は粒であると同時に波であるということが導かれた。つまり物体というものは1点に定まった位置を確定できるものではないことがわかってしまった。また、1つの微粒子は同時に複数の位置を占めることもわかり、物が存在するとは「空間の1箇所にある」というこれまでの定義と矛盾する結果が得られてしまった。

物質が存在する量子的状態を表現するシュレディンガーの波動方程式には虚数 i が含まれる。また、微粒子の発見確率は波動関数の2乗で表されるため、物質の存在の根拠となる波動関数は一般的に複素数となってしまうことがわかった。人間がモノやコトが実在すると検証するためには物理量がその大小を比較することのできる「実数」であることが必要だ。量子力学以前の物理学であらわれてきた物理量はすべて実数である。しかし複素数や虚数は大きさを考えることができない数だ。物質の存在を表す基本方程式に虚数や複素数が含まれていることは、これまで経験的に考えられてきたモノやコトの定義と真っ向から矛盾するものであることがわかった。

多粒子系の現象もシュレディンガーの波動方程式で表される量子状態の重ね合わせを量子統計力学を使って計算することで求められることが明らかになった。つまり根源的な状態が量子的であっても、確率論を前提とすることで、マクロな物理量が実在として導かれることが理解された。具体的には低温における超伝導や超流動などの現象を説明できるようになった。

古典統計力学と量子統計力学の違いはマクロな物理量の世界では極低温において顕著で、それ以外の温度では微妙な差として計算される。つまり、量子力学による物理量の不確定性、実在性の曖昧さは、多粒子系の量子統計力学によって打ち消されてくる。つまり、極論すれば量子状態の重ね合わせにも当てはめることができる「等重率の原理」や「エルゴード仮説」のおかげで、量子的世界は実体のある現実世界と矛盾なく結びつくことが理解される。しかしミクロな世界では以前、モノやコトの存在は曖昧なまま残されている。

1対の電子の絡み合いの理論を応用することによって、情報や原子などを瞬間移動(テレポーテーション)させることが可能になった。量子力学の応用の1つである。

ディラック方程式による予測で「真空のゆらぎ」から一対の電子が生成することが導かれ、実際にそれが起きていることが実験で確認された。つまり無から有が生まれること、反物質や負のエネルギーが存在することがわかったのだ。1930年代のことである。これによって僕たちが感じている世界の実在感は大打撃を受けた。

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このようなわけで、ミクロな世界でエネルギー、位置、速度、時間、空間の存在性があやふやになると、E = mc^2 によって質量すらその実在感が失われてくる。「温度」が人為的な物理量であって実際には存在しないモノであるのと同じように、これらの物理量から導かれるこの世界のあらゆるモノやコトはかなり実在性が薄くなり、人間が実感できない複素数や虚数の空間にしかその存在理由を求めることができなくなってしまう。まさに「この世は夢かまぼろしか」だ。

それにもかかわらず僕たちは毎日携帯電話やパソコンを使っていられる。僕がパソコンで入力しているこの文字も、パソコンの中の電子がそのまま運ばれるわけではないのに、みなさんにちゃんと情報として伝わっている。電子もエネルギーも実在性が不確かなことを考えてみれば不思議な気がする。

量子世界はミクロの物質の存在感をあやふやにして僕たちを不安にさせる。ただ、唯一の救いだと思えるのは複素数的な波動であらわされる量子世界が、量子統計力学を使うことで熱力学で扱うさまざまな物理量を実数の値としてもたらしていることだ。ミクロな不可思議な世界はマクロな当たり前な世界に結びついている例といえよう。

その原理はこうである。ミクロな粒子の存在の根源は複素数的な波動であるが、その状態は整数値(また半整数値)のとびとびの値をとる。つまりその「状態数」は数え上げることのできる自然数だ。ここが複素数世界から実世界へ転換するポイントだ。状態数は「自然の行う二者択一の原理」により確率的にあらわれる。その統計学的な物理量の足し合わせの収束値が、実数値の物理量として観測されるわけだ。また、通常の温度で古典統計力学と量子統計力学の結果が一致することは、方法論は違うものの、状態数を求めるにあたってエネルギーの分布を利用していることによる。方法論の違いとは古典力学における状態とは粒子の位置と運動量が取りうる状態であり、量子力学における状態とは粒子の量子数から計算される。

そして量子統計力学の根底にも「等重率の原理」や「エルゴード仮説」の前提があり、これらが時間の流れる方向を決定したり、エントロピー増大の法則をもたらしたり、未来を不確実、予測不可能にしているだけでなく、量子的世界を実数的な現実世界へ橋渡すことの根拠にもなっているのだと僕は考えた。これはさしずめ分子運動論と熱力学、統計力学、量子力学をつじつまの合う形に結びつけた「小さな統一理論」とでも呼ぶことにしようか。

今後、量子力学と電磁気学、量子力学と古典力学(つまり物性物理学)、電磁気学と統計力学、相対性理論と電磁気学がどのように矛盾なく結びついてるかも勉強していきたい。もちろんその先には量子場の理論、素粒子物理学や量子重力理論、超ひも理論、M理論も待っているが、道のりはまだ遠い。当分楽しめそうだ。

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2 コメント

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難しい!!! (かずな)
2008-02-19 21:20:50
とねさん!!!難しい。。。難し過ぎますよ~~~!!!
とねさん、「ガリレオ」ってドラマ、見てました?
福山雅治主演の、です。
物理学っていうと、あれくらいしか思い出しません。。。
あとは、私の苦手分野だったな、くらい。苦笑。
物理学を勉強されてる方は、男性が圧倒的に多いのではないですか?
物事を冷静にかつ正確に考察出来るのは、女性には難しいかな?なんて。。。女性蔑視でしょうか?
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Re: 難しい!!! (とね)
2008-02-20 00:08:46
かずなさん

またまたコメントありがとうございます!
勉強していることを数式を使わないで文章だけで書くとこのようになってしまうのですよ。
もちろん「ガリレオ」は毎回見ていましたよ。前回のクールでは一番でしたね。今回のクールでは「エジソンの母」、「薔薇のない花屋」がいいです。

物理や数学の世界は確かに女性の人口が少ないですね。僕は大学で数学を専攻していましたが、クラスに女子は4分の1くらいしかいませんでした。

でも物理学の世界にもリサ・ランドール博士のように魅力的な女性もいるのですよ。
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/b0000cc2b55ef8dbfef680ae0e4dec5c

このブログのメインは物理学です。すでに実験で成功しているテレポーテーションやその存在が予想されているパラレルワールドの理論までを数式で理解することを目指しつつ、それに至るまでの過程を一般の読者にもわかるように数式なしで紹介していきます。今のところ物理学の歴史でいえば1930年代にまでしか到達していませんけどね。
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