BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

動きにあわせて

2004-07-06 | Weblog
北朝鮮との交渉で外務省は曽我さん1家をインドネシアのジャカルタで再会することを決め、日取りも9日とした。
複雑な情勢が絡んで日本側から見ても外交カード、政治交渉、選挙利用と翻弄されるなかで、あくまでも人道問題とする姿勢を崩さないのはよしとして、一方でコイズミさんが外務官僚に命じる報道などもあり、進捗の急なことを思う。
ジェンキンスさんになってみて考えて、亡命した国から再会先でも逮捕されず訴追をも受けないためには、この世の法の一方からの及ばない地を求めて安住を望むだろうから、日本政府と米国政府の扱い、その交渉いかんにかけることになる。
世にもまれな事件となった、と思うのは、国境を接する人々の家族のありようをあまりにも知らないためであろうから、その境涯にいて苦しむ人たちに、人道的であるとは何を用意することになるのだろう、体制側にいる人間には想像すべくもない。

タケシの番組で多国籍軍を喧々諤々とやるなか、自衛隊の違憲性、指揮系統を疑問視するサイドから、もう軍隊だから、どうして軍と呼び、軍隊にしないのか、と発言が出た。
そこをすかさず、自衛隊OBがいい事を言うじゃないですか、と合いの手を入れて、軍隊にしようとする、それを待つサイドを明確にした。
目の前に見せられた現実は、そのときになって決めればいいじゃないかと言う、思う壺であろう。
石油の利権をめぐっての戦争はいまや、領土侵略と資源争いをすすめて、戦争形態を情報戦とするピンポイント攻撃に、21世紀の軍事作戦となった、それに遅れまいとする、戦争をする日本がコイズミさんにひっぱられてそのタイミングをつかみ、よってここに露わになった。

きっと戦争を起こす日本にするつもりはなかったと晩年に回顧し、でもそのときに、国民は自分を支持したではないか、と声高にコイズミさんは言うだろう。
ぶっ壊したのは、好戦的とされた日本のイメージを長く押さえ込んだ元からある謙虚さであり、国民性にあった、じっと耐える風土に培われた日本人の風向き頼りを、めちゃくちゃにして、また軍隊をさきにたてて、リスクがあるからいくと、武器を持っているから行く、とばかりに、それは戦場に行くから当然だと知りながら、そういわずに、戦争に行くのではない、と言葉のまやかしの果てにとった行動が、やはり憲法のぶっ壊しだった。
そのつもりがあったのかなかったのか、政権当初は与党を変えるためにぶっ壊すといっていたが、いまは、自民党は変わった、としてぶっ壊さなくなったが、替わりに自民党が行ってきた与党政治をぶっ壊してコイズミさん流の構造改革のもと、金融、財政、道路公団、年金、自衛隊派遣、郵政そして憲法と、つじつまを合わせなければならないことが多くなってきた。
ひとつ言えることは、米に追従する日本の姿勢だけは古い世代では日本は属国と思われた時代からさらにすすんで、その手先、足先に変わりつつあるということだろうか。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。