BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

文法研究の方向

2021-08-10 | 日本語学2021

主格はコトに必ずあると三上は言う。コトは、dictum としてとらえる。三上学説に、この言及、コトには主格が必須である、と言っている、その解釈はどのようになっているか。ここに三上章の文法観がある。
この理解は、文に主語があるという通念と、コトの類型には主格があるという、対立となる。その後に、コトを超えてしまって、センテンスの主格補足語、主格補語と呼ばれるようになるのだが、明らかに異なっている。コトに主語があるかどうか、それを主語ではなくて主格の必須という概念は、主語の説明を空中分解させている。どうにも、文法説明にならない。主語は文の成分また要素であるという視点がない。

主格、主題、主語 をタイトルにする論考、国語学52・1 東京 が三上にある。
>従って、主語は日本語文法には全く無縁なのであるが、外国文法受け売りの説明方が改められず、いまなお主語+述語が云々されている。

このあとに妄言に近いおしゃべりとなる論文の冒頭である。ここに文法についての誤謬がある.
>無益な用語が行われることは、無益だけではすまず、実態の認識を妨げ問題の所在を見誤らせる点で、積極的に有害だと言わなければならない。日本文法が非常に立ち遅れていることの唯一の原因とはいえないまでも、たしかに一つの要因がここにあると考えられる。そこで主語抹殺論を持論としている者であるが、ここに用語の吟味から始めて日本語の特性を明らかにし、文法研究の方向を見定めたい。 同上引用

主語を認めないわけだから、文における主語とは何かを議論せずに、日本語に主語はないという前提である。文法の方向性は世紀を経てどうなったか。三上学説が説明するところを受けて、その流れをくむ文法に主語がないわけではないし、むしろ教育現場で主語がないなどと説明すれば、教師の独りよがりで、主格補語はあるのだけれど、補語だから主語といわないというような、あいまいにも補語を主語の扱いにすることになる。主格主語になると言えなくしてしまって、主体主語、主題主語、文章主語文法論などの文法議論で展開できなくしてしまっている。





Title 日本語教育管見(六) : 戦後日米関係のはざまで Author(s ...
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潟沼潤 著 · 2001 — バの中距離ミサイル基地を確認したことで海上 共産党八期10中全会における毛沢東の ... 文にはコト (dictum) -客観的世界の事柄を表 人にとってみれば、このような説


TUMSAT-OACIS Repository - Tokyo University of Marine Science and Technology (東京海洋大学)
明るさとしての暗さについて : 事実性からコトへ
著者 長谷川 晃
雑誌名 東京水産大学論集
巻 33
ページ 39-76
発行年 1998-03-25
URL http://id.nii.ac.jp/1342/00000155/


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