BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

構文論第1条とは

2021-08-11 | 日本語学2021

日本語の文は主語がないという物言いだけである。主語とは述語に対するものという説明がよほどできない。日本語ではそうはできないということらしいが、それも英語文法との対照で国語文法の主語を抹殺する論法だから、その論旨は一方的である。三上氏は英語文法に追従する国語文法と言いながら、その論理には英語文法の論理を立てt国語を分析する。もちろん言語現象に通じてのようにも見えるが、議論の端々に主語を唱えない論法には偏りがある。二つの主語を容認できないという立場にはかたくなさが見える。そこで、文法研究の方向性とはいかなるものか。次のように言う。

>主語を欠き述語一本で我々のセンテンスが成り立つ、という構文論第1条をはっきり承認してこそ、文法研究も軌道に乗り、方向も定まってくるというものである。
主語と述語にとらわれない、それには、
>今や次に述べる如き行き過ぎ警戒のほうが必要かとも思われるほどであるが、しかし芳賀矢一の「明治文典」が主語+述語の一回成立という単文の定義を輸入して以来、西洋文法の影響は相当根強いものがあるから、やはり普及徹底のために用語の改廃まで進まれたいと、重ねて希望せざるを得ない。

とりわけ国語文法には主語をとらえる語順のこと、人称語尾の欠如のことを言い立てて、議論内容としている。




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