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日々新たなり/日本語学2020

文の意味

2021-12-17 | 日本語学21

文の意味

意義と意味の哲学


意義と意味の哲学 「明けの明星」と「宵の明星」。これらは ...http://philosophy-japan.org › uploads › 2014/03
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彼は、特に真理値が「意味」とな. る記号結合の「意義」を、特に「思想」と述べている。 1.2 フレーゲにおける「関心」. では、フレーゲのこの「意義」と「意味」論 ...


http://dep.chs.nihon-u.ac.jp/philosophy/faculty/iida/doc/Bun_no_gainen.pdf
文の概念はなぜ必要なのか
飯田 隆
>「意味とは何か」「指示とは何か」といった言語哲学に属する問題が哲学的
議論の中心にあった一九七〇年代のあと、言語哲学そのものは哲学の後景に
退いた感がある。だが、その間に、哲学者が一般的問題の例示のために引き
合いに出した言語的例の多くが、言語学者の手によって取り上げられ、具体
的な仕方で論じられてきたという事実は、哲学のなかで何が起こっているか
にしか関心のないひとびとにはまったく知られていない。私自身、一九八〇
年代から現在に至るほぼ二十年のあいだに、言語学者の手になる形式意味論
的研究が大きな発展を遂げていたことに気付いたのは、ごく最近のことでし
かない。そのほとんどは欧米でなされたものであり、それゆえ無理ないこと
であるが、日本語を対象とするものではない。だが、日本語とは大きく異な
る言語を対象とする研究であっても、そこで用いられている概念や手法の多
くは日本語にも適用可能である。そして、私の経験から言って、ごく小規模
であっても日本語の部分に関してその形式意味論を構成しようとすることは、
ことばがはたらくそのありさまをいわば「体験」することにひとしい。
だが、形式意味論的研究がそうした具体性をもつということは信じがたく
思えるかもしれない。その理由は、形式意味論が扱う言語の側面が、現実の言
語使用に直接現れるものではなく、それだけを純粋な形で取り出すためには、
さまざまな理論的前提が必要となるからである。形式意味論が暗黙の前提と
してきた言語観—それは形式文法が暗黙の前提としてきたものでもある—も
また、そうした理論的前提のひとつである。
>言語的タイプのなかには単純なものと複雑なものとがある。ひとつの言語
は、ある限られた数の言語音しかもたないが、そうした言語音は組み合わさ
れて語を作り、語が組み合わされることによって句や文が作られる。音韻の
観点からは、単純なタイプとは個々の言語音であり、語・句・文はいずれも
複雑なタイプになる。それに対して、文法と意味論の観点からは、単純なタ
イプは語であり、句や文が複雑なタイプである。言語音と同様、ひとつの言
語は限られた数の語しかもたないが、繰り返しを許す構文をもつ言語では、
異なる句や文を無際限に作り出すことができる。単純な言語的タイプはすべ
て、それに対応するトークンが存在すると考えられるが、複雑な言語的タイ
プの大部分に関しては、それに対応するトークンは存在しないというのが事
実である。無際限の繰り返しを許す構文を備えた言語においては、可能な複
雑なタイプの総数は自然数の全体と同じだけあるのに対して、その言語が永
遠に使い続けられるのでない限り、トークンの数はどうがんばっても有限個
しかないからである。

言語とはこのような言語的タイプ



世界大百科事典内の哲学的意味論の言及
>〈意味の科学〉という意味でセマンティクスなる語が使われたのは,フランスの言語学者M.ブレアルの《意味論研究》(1897)ないし,《言語の知的法則,意味論断片》(1883)であるが,この時点でもまだ意味の変化を支配する法則を意味しており,これ以前のドイツの学者K.H.ライジッヒのセマシオロジーとほぼ同じ内容である。…


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