BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

終戦記念日

2004-08-15 | Weblog
終戦記念日、59回目。
戦没者約310万人の冥福を祈る。
新追悼施設を2002年に建設を打ち出した政府の計画が宙に浮いている。
小泉首相の靖国参拝が2001年8月に行われ、その10月に中国の江沢民主席から、日中首脳会談で首相へ面と向かって、A級戦犯の合祀する施設への参拝を批判したことがきっかけで、2001年12月に私的懇談会があった。

何らかの対応を必要としたため。
1年をかけて報告書をまとめた元福田官房長官は政府を去り、司令塔が不在になった。
施設は、戦争の死没にかかわらず戦後の国連平和維持活動の殉職者をも対象とした。
自民党幹部には、新施設は無駄な公共事業、という人もいるようだ。

正午の時報とともに黙祷が行われた。
いつもの御ことばが続く。
なぜか元気のない声だった。
歴史を顧みてという語気が響いた。

失敗した過去と、年金制度のデータ隠しや社会保険庁の野放図、既得権益にしがみつく政治家官僚などの最近目に付く問題と、何も変わっていないものが見えてくる、と日経新聞の社説が書く。
終戦工作を模索した小磯国昭内閣、1944年7月―1945年4月、当時の政策論議が新発見の資料に明らかにされた無為無策に、現代を重ねる。
空想的計画策定のあいだにも数十万人が命を失った。
かつての戦争で指導者の無定見、無能に死んでいった兵隊たち、その無言の声を聞けと主張している。

憲法を守ってきた、そうするものだと信じた9条に、現実があわなくなったからと、その条文を替えよう、条件をつけようとする。
その現実とは海外派兵に出かけた戦争のための軍隊の保持にある。
経済力にあった国際協力という、同盟による軍事進出が日本に必要だというのだ。
国連の認めるところで軍事作戦に出る、という政府与野党の世論が先行し始めた。


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