昨朝、ミュンヘンオリンピック男子バレーボール金メダリストの横田忠義さんの訃報を新聞で目にしました。
ミュンヘンオリンピックでは、腰に自転車のチューブをまいて腰痛をこらえての戦いでした。
決勝戦では、アタックをあー打った後に他の選手が体を支えるような仕草をしていました。
後に、全日本女子バレーボールチームの監督もされました。
私は、ミュンヘンオリンピックの時は大学3年生でバレーボール部の主将をしていました。
ミュンヘンオリンピック後に、全日本男子バレーボールチームは各地を回り地元のチームとの試合や中学生・高校生のバレーボール指導をして回りました。
岡山にも来て、終わった後の懇親会に私も招待されました。
その時に、はじめてお話をさせていただいたのですが、全日本男子の選手の方たちはみんな素晴らしい人たちでした。
全日本に選ばれたからには、自分たちがバレーボーラーみんなの教科書でなくてはいけないと言われていました。
練習を開始するときのアップの時から、パス一つ一つがものすごく丁寧なんです。
金メダリストというのは、プレーだけでなく心も金メダリストなんだと感銘を受けました。
私は、アップは体が温まればよいという考えでパスなんかもサッサと済ませて早く練習を開始したいタイプでした。
その話を聞いて、実際にアップの姿を見て、私はアップから丁寧にパスをするよう改めました。
他の部員が、何かあった?と不思議がるほどの変わりようでしたからね。(笑)
そして、もう一つの訃報は・・・
元西鉄ライオンズの主砲だった中西太さんの訃報が飛び込んできました。
私は、母方の祖父に連れられて小学校に入学する前のオープン戦を観に行きました。
その時の、中西選手の打球の速さに驚いたものでした。
その帰りに、中西選手のサイン入りのソフトボール用のバットを買ってもらったのはいまだに覚えています。
小学校4年生まで、大切にそのバットを使いました。
小学1年生になるときに買ってもらったバットなので、少し短めでしたからね。
祖父は、立教大学時代から長嶋茂雄選手のおっかけのような大ファンでした。
だから、私は野球選手の名前は"長嶋茂雄選手"しか最初は知りませんでしたからね。
中西選手の活躍を観て、すごいなぁと。
小学校に入学してからは、セリーグはジャイアンツの長嶋選手を応援し、パリーグではライオンズの中西選手を応援していました。
中西太さんは、三チームの監督をされて、最後は元同僚の仰木彬監督の下でコーチを務められイチロー選手の育て親でもありました。
お二人の、ご冥福をお祈りいたします。
呉は、昨日の午後から降り出した雨は午前中で止みそうです。
今日は、孫息子3歳の誕生日です。
夕飯の後に、ケーキで祝ってもらうのでしょう。
どんな顔でケーキを見つめるのか、楽しみです。
みなさんも、今日も素適な一日を元気にお過ごしください。