KOUUNGO60 WEBSITE

愛犬アムくんは、2016年8月16日に虹の橋を渡り空に行きました

大晦日

2006-12-31 05:26:00 | 日記
今日で2006年も終わりです。いろいろお世話になりありがとうございました。また来年もよろしくお願いをいたします。皆さまにとって新しい年が良い年でありますように。

我家の年末は28日が餅つきです。今は餅つき機ですが、子どものころは餅屋さんが道具一式我家の庭に持ち込んで一日がかりでついていました。父は三が日でお餅を三つ食べればよいほうなのですが、お餅がたくさんないと嫌いな人だったので、十升はついていたような記憶があります。(最初の一臼目は母に言わせれば臼の掃除だったのです。近所の子どもにその餅を振舞っていました。二臼目からがやっと我家の始まりで、鏡餅用、白い餅五臼、豆餅二臼、あんこ餅一臼とついていたようです。私と姉は縁側からしばらく見学していました。)30日がしめ飾りや鏡もちなどを飾る日です。我家には大掃除という言葉はありません。いつもしている掃除できれいにしておけばとりたててする必要はありません。(母も姉も妻も専業主婦なのでできる業かもしれません。)正月料理は28日から下ごしらえを始めて31日の昼頃には完成します。すべて母がしていたことを姉も妻も踏襲した形となっています。

我家の餅つきに関するこだわりは、こんなところから始まっています。
父は呉服屋の家に生まれたのですが、年から年中餅つきをしては食事だけでは物足りない奉公人のために準備されていたのを見て育ったので、私達にはたくさんのお餅だったのですが父には当たり前だったのでしょう。呉服屋は戦前の話ですから、番頭さんや丁稚さんに縫い子さんに食事を作る人と若い人がたくさんいる大所帯を切り盛りするには空腹感を持たせないのが奉公人を上手に使う術だったのでしょう。奉公人が一人もやめていないのが我家の自慢だったそうです。父のお父さん(私の祖父)は父が誕生してすぐ亡くなったので父がすぐ跡取りとして育てられたようですが、父は商売人は嫌だと言ってサラリーマンになったのです。そのまま店が続いていたら私は自分の好きな道に進めてなかったでしょうし、時代の流れで着物はそんなに売れないので私の代で倒産していたかもしれません。ちょうど良い時期に父の祖父が店をたたんでいたような気がします。一代で築き上げたものを一代でつぶすのは非常に辛かっただろうと父はよく言っていました。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今日ものんびり(12/30) | トップ | 元日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事