先日、地方新聞の記事の中に”郷土勢82個のメダル”と称して中国地方のメダリストが一人一人毎日紹介されている。その中に1972年ミュンヘンで金メダルを獲得した男子バレー、世界の名セッター猫田勝敏さん(故人・・・39歳胃がんのため若くして亡くなる)の記事が掲載されていた。
東京で銅メダル、メキシコで銀メダルと8年がかりで金メダルを獲りにいったときの名セッターです。(その後モントリオールに出場し4位でした。)常に「自分を捨て決定打を導く」という人なのです。自分は目立たなくて当たり前。他の選手が脚光を浴びていれば勝てるという人です。ミュンヘンの時、金メダルを獲得して松平監督(当時)を胴上げして歓喜する選手を横目にその輪に入らずに片隅で見ているような人です。そこまで脇役に徹しなくてもと思うのですが・・・
アタッカーのクセを瞬時に読取り、絶妙なトス回しは誰もが真似はできません。アタッカーからみても頼りになるセッターだったのです。アタッカーが打ち損ねたら猫田さんが「スマン、スマン」と先に謝るのでアタッカーとしては次には絶対に決めてやると思わざるをえないのです。(トスミスはほとんどないのでアタッカーは自分のミスだとわかっているのです。)そんな猫田さんなので多くの人に慕われ尊敬されているのです。
外国の選手からも慕われ尊敬されていて、いまだに広島に国際大会でやってくると”お墓参り”する外国のチームはたくさんあります。2001年に国際バレーボール連盟から20世紀最優秀賞特別賞を贈られました。猫田さんは恥ずかしそうに天国でこの一報を聞いたことでしょう。
私は二回トスをあげてもらったことがあります。一本ミスすると二本目は私のチームのセッターがあげてくれるのと同じ高さのトスでした。私は身長が低い(174cm)ので高いトスはブロックの餌食となるので低めのトスを打っていたのです。そしてプライベートで三度ほど一緒に飲む機会があったのですが物静かに私の質問に丁寧に答えてもらったのを覚えています。
今日から男子の五輪予選が始まりますが、今の代表選手はこんなに素晴らしく偉大な先輩がいたことを知っているのかと疑いたくなるようなプレーぶりです。真摯にバレーボールに取組んでもらいたい。全日本のユニフォームを着るからにはみんなの手本となるプレーをして当然なのだ。今の男子バレーには横着なプレーが多すぎるのが気がかりです。
猫田さんの目で見て“合格”といわれるチームにならないと五輪への道は遠い。
東京で銅メダル、メキシコで銀メダルと8年がかりで金メダルを獲りにいったときの名セッターです。(その後モントリオールに出場し4位でした。)常に「自分を捨て決定打を導く」という人なのです。自分は目立たなくて当たり前。他の選手が脚光を浴びていれば勝てるという人です。ミュンヘンの時、金メダルを獲得して松平監督(当時)を胴上げして歓喜する選手を横目にその輪に入らずに片隅で見ているような人です。そこまで脇役に徹しなくてもと思うのですが・・・
アタッカーのクセを瞬時に読取り、絶妙なトス回しは誰もが真似はできません。アタッカーからみても頼りになるセッターだったのです。アタッカーが打ち損ねたら猫田さんが「スマン、スマン」と先に謝るのでアタッカーとしては次には絶対に決めてやると思わざるをえないのです。(トスミスはほとんどないのでアタッカーは自分のミスだとわかっているのです。)そんな猫田さんなので多くの人に慕われ尊敬されているのです。
外国の選手からも慕われ尊敬されていて、いまだに広島に国際大会でやってくると”お墓参り”する外国のチームはたくさんあります。2001年に国際バレーボール連盟から20世紀最優秀賞特別賞を贈られました。猫田さんは恥ずかしそうに天国でこの一報を聞いたことでしょう。
私は二回トスをあげてもらったことがあります。一本ミスすると二本目は私のチームのセッターがあげてくれるのと同じ高さのトスでした。私は身長が低い(174cm)ので高いトスはブロックの餌食となるので低めのトスを打っていたのです。そしてプライベートで三度ほど一緒に飲む機会があったのですが物静かに私の質問に丁寧に答えてもらったのを覚えています。
今日から男子の五輪予選が始まりますが、今の代表選手はこんなに素晴らしく偉大な先輩がいたことを知っているのかと疑いたくなるようなプレーぶりです。真摯にバレーボールに取組んでもらいたい。全日本のユニフォームを着るからにはみんなの手本となるプレーをして当然なのだ。今の男子バレーには横着なプレーが多すぎるのが気がかりです。
猫田さんの目で見て“合格”といわれるチームにならないと五輪への道は遠い。