例えば「走る」は、「きる」と一緒になって「走りきる」という決意になる
「こむ」と一緒になって「走りこむ」という粘り強さになる
そのように生きて行け、と教えていただいた
あの時の高校時代の先生は、今も元気でいるだろうか
(くろほとき)
高齢者の学びが持続する条件は何か。
一人の高齢者が、ある日あるとき何かを学ぼうと考えて、真摯に学びを始めるのだが、長続きしないで途中で挫折してしまうことが多々ある。
それはなぜか。
結論から言えば、「仲間のなかで学んでいない。」「同じ指向性を持つ仲間を学習の場で新たにつくれない。」「学ぶことに伴って仲間との絆が凝縮していかない。」からである。
人は一人では生きられないのと同様に、学びも一人ではふくらんでいかないのだ。
高齢者が、学びたいと欲するとき、ただ単に「○○を深く学びたい。」「さまざまな都合で若いとき学べなかった□□を学びたい。」というだけでは、学びは持続していかない。
学びは、集団(仲間)のなかでしかふくらんでいかないのだ。
その事実に気づかないで、高齢者学習を組織し、共に学ぼうとしてもほとんど失敗する。
高齢者が学びたいと欲するときには、その向こうには、新しい人々と巡り会いたい」「同じ方向で話ができる仲間がほしい」という生き方指向が根底にある。
私が「~学びを大事に、仲間を大事に~」という課題を持って高齢者に接するのはそのような理由があるからである。
高齢者の学びの深化や拡充は、仲間作りの深化や拡充とパラレルの関係にある。
そのことを抜きにして、高齢者の学びを語るのは、片手落ちである。