16日より、ショートでお泊り中の方がいらっしゃいます。それもありまして、20日の夜メニューは飴屋先生特製ちらし寿司でした。創る村では、日頃から飴屋先生の特製めんつゆをはじめ、料理の味付けを先生にお願いすることが多々あります。 こだわりの飴屋シェフの料理は絶品。その中でも極めつけは、大人気の「有頂天ラーメン」です。
特製ちらし寿司
昨日、FM仙台にて 創る村「老莱子の家」の施工会社、ライフサポートシステムの震災復旧住宅についてのインタビュー収録がありました。
飴屋理事長は、打ち合わせの時より周りの方々を笑いで和ませ、ベガルタのことも伺ったりと楽しい雰囲気の中でお話させていただけたことと思います。。。。。
村林いづみさん・平瀬智行さん・前沢健二さん・飴屋善敏理事長
この時のお話は、4月27日金曜日 午後6時30分からの
私が大学に通い始めて一つ予想外だった事があります。大学生のイメージとして、もうほぼ大人なわけですから、自主性や責任感を持ち、また自分の生き方とも向き合っているのだろうと思っていたのが、いざ接してみるとまるで中学生と変わらない雰囲気や言動、行動にひどく失望したのでした。
他の大学はどうか分かりませんが、少なくとも教授の話からも、学生の間には「最低限勉強して、後は遊んだりバイトして過ごせばいい」という風潮があるようです。
大学生というと3年生になると20歳になり、名実共に大人となるわけです。日本は民主主義社会ですから、大学生であろうとも社会を支える一人に変わりはありません。では、社会の一員となるにあたり、どんな条件があるのでしょうか。
まずは民主主義の大前提として、“自由”が与えられるでしょう。この言葉ほど無責任に使われる言葉はありませんが、実際には自由の国・アメリカでいう“自由”とは、「責任ある自由」と訳されなければならないのを学校で習いました。非常に意味深い訳だと思ったものです。
その他は飛ばしまして…。私の思う条件として「何のために人は生きるのか(生きる目的)の追究」を付け加えたいのです。ただ今勉強中なのですが、おそらく宗教や哲学における最も重要な課題の一つではないでしょうか。しかし、宗教・哲学に限るのは現代以前のことであって、民主主義という自由な時代に突入した今は、一人一人が責任(ある自由)を持って社会を支えていくために“生きる目的”をはっきりとさせないことには、先述した大学生のような社会にとって良くも悪くもない(結果無益な)人達が沢山出てくる気がするのです。
もちろん、そう簡単に導き出せる答えではないのは、哲学の歴史が十分に物語っていることで、それを踏まえて語尾を“追究”としたのでした。とはいうものの、先人の残してくれた膨大な書籍や言葉はとても大きな遺産ではないでしょうか。「若輩が何を偉そうに!」と叱られる前に、その中から2人の大先輩の言葉をお借りしてみました。
「神の前にある心で研究したまえ。そうしたらきみたちは、美を見いださずにはいないだろう。真実に出くわすからだ。」(ロダン)
「人は自ら存在価値を生み出し、地球や人類に貢献するために生きるのだ。」(松下幸之助)
残念ながらまさしくお金と同じで、先人の言葉をただ知っているだけは何にも役には立たないようです。一方、違うのは節約しなくてもいいということ。どんどん有効活用していきたいです。
写真は「ワンちゃん仲良し大作戦」の一環。この距離感で結果が伝わるでしょうか。でも、ルッティとグラのメス同士は少し仲良くなれたようです。犬も人間と変わりないんですね…。
車や老莱子の窓を真っ白にします。
風が吹いたら洗車をしなければならないのは大変だけど、
堤防を高くして海が見えなくなるより、ずっと良いと思うのです。
自然と共存するのは人間にとっては不便な事かも知れないけど、
それを堤防を立てたり川の流れを変えたりと強引に変えてしまえば、
自然が破壊される事はもちろん、人間にも多大なつけが廻って来るのではないでしょうか。