創る村から ~耕の会~

創る村から ~耕の会~ 己を耕し、世を耕す
21世紀平成の志士となるべく、日々修行と葛藤のスタッフブログ

12月30日

2011年12月30日 | 日記

金曜担当の李生子です。


今日は風が強く吹雪く中、元旦に餅をつくための臼を探し、最終的には津波にもまれた臼を熱湯消毒することになりました。
これまた津波に流されずに残った五右衛門風呂にお湯を焚き、臼を茹でてました。
これを元日に使うそうです。

 

 

 



 夜のミーティングでは、創る村のスタッフが何も言い出さず、結局飴屋先生が最初にお話しして下さいました。

   
 「みんな何も考えてない」「東京のアライさんが映画を作って下さると言っているのに、それで創る村が有名になって活動できるようになった時、創る村のスタッフに内容がないんじゃどうしようもない」と。


一昨日も話し合ったばかりなのに、あまり進歩のない状況でありました。



 今朝、創る村に昔合宿していた方からDVDが届き、当時TVで紹介された創る村の映像を皆で見ました。


 いろいろと面白い場面があり楽しく見たのですが、印象に残ったのは当時の子供と現代の子供の違いです
 先生からお話は伺ってましたが、確かに当時のような子供は現代にはいないと思います。


 それぞれが目標を持ち、自分の意見を言い、将来の夢は世の中を良くすることだと語っていました
 私達はいろんな意味でこのことを考えなければいけないのではないかと思います。

 

 


12月28日

2011年12月28日 | 日記

 

 今日善太君と鈴太郎と三人で創る村の強力な支援者である戸部みちこさんのお宅に震災前に預けていた荷物を取りに行って来ました。老莱子の家の建築のため一時預かっていただいていたのですが、震災のあとのゴタゴタのため取りに行くのが伸び伸びになり今日になってしまったのです。
 戸部さんは創る村のために多賀城駅前にほほえみハウスという小さなホールを作ってくださり、そこで毎月知人を集めて創る村の演奏会を開いてくださるほどのありがたい支援者で、創る村のメンバーにとってもとても勉強の場になっていました。
 その戸部さんが震災直後に神経科の病院に入院されたと聞き、皆大変心配していました。なかなか本人と連絡が取れず、戸部さんの友人に聞いたところ、何でも創る村と連絡が取れず心配で心配で気がおかしくなって入院したというのです。退院後何度かお話する機会はあったのですが、今日初めて入院に至る経緯を聞くことができました。
 その話によると、戸部さんの知人が津波で流された赤ちゃんを助けたという話を聞き、早速避難所になっている多賀城市民会館に駆けつけ赤ちゃんのために何ができるか考えたところ、市民会館からほど近い実家の井戸水が使えたことからその水をくみ上げお風呂を沸かして赤ちゃんにいれてあげようというプランを考えました。それで仲間を募ったのですがなかなか見つからず、そこはボランティアの塊のような戸部さんですからひとりでやっちゃえと、ひとりで井戸水くみから風呂沸かしから赤ちゃんの親子の送迎から避難所を出た後の行先の心配までしたそうです。そうして食事や睡眠も殆ど取らずに一週間支援に駆けずり回っていたところ、もうろうとする意識の中で松島の海を背景に飴屋先生と善太 君と渡辺さんが現れ、その後に飴屋先生からもらった「心」の色紙が思い浮かんで「ああ、やっぱりこういう時だからこそ心が大事なんだ。」と思って「その色紙をどこか良く見えるところに掛けておいて!」と叫んで倒れたそうです。本当に戸部さんには頭が下がります。
 そんな戸部さんは今、お義母様とおととい脳梗塞から退院したばかりのお父様の介護で忙しい毎日だそうですが、来年は夢だった老莱子の家でのハンドマッサージのボランティアに是非行きたいとおっしゃってくださいました。私たちも戸部さんに来ていただける日を楽しみに待っています。

舟山 淳一


本日のブログ担当より

2011年12月28日 | 日記


ライフサポートとの打ち合わせのため、昨夜0時過ぎに創る村に来られた、老莱子の家の園長であられるリーカンドロ先生は、朝飴屋先生と朝食をとられ、8時には創る村を出発されました。25日のコンサートの後フィンランドからの来客や、創る村に来られたお客様にイタリアン料理を作って下さるため、24日にはまた来て下さいます。

ディサービスアートステージでは、本日11月から利用されている佐藤元一さん92歳に加えて、千葉志げ子さん96歳が初めていらっしゃいました。今月は今までディを利用されたことがなかったので、今月はご本人さえ良ければ、毎日利用されることになります。ただ今日は、初めていらしたことに加え、きれいなお店に連れて来られたと、お金がないし帰りたいと言われ、無理させられないと、副園長の戸澤の判断で早めに自宅にお連れしました。
明日金曜日は、週一回来られているご近所の平塚さんに加え、志げ子さんと元一さんもお連れし、ディサービスでもちょっとしたクリスマス会を催すことになっています。

 

創る村では今、コンサートに向けて、まず飴屋先生からベルカント唱法のレッスンを受けています。
サンタクロースのミュージカルを行う男性4人と、昨日から李生子も加わって、老莱子の一階の床に寝転がり、毎晩夕食前に始まりまず。今晩は、ベルカント唱法に1番苦心している善太君が、昨日より良くなったと、飴屋先生に誉められてました。昨日などは、他の3人も先生から、自分ができるようになるだけじゃなく、人に教えられるようにならなきゃダメだ、と言われただけでなく、精神がなっていないと喝を入れられ、4人で話し合いをしていました。
本日は25日のコンサートで創る村として披露する-早くおいでよサンタクロース- のミュージカルの練習とバンド演奏の練習をして終わりました。

 

 

by chiharu


12月26日(月)

2011年12月26日 | 日記

 

 昨日の、

フィンランドからの贈り物

~バリトンとハープの音楽のプレゼント~

には、たくさんの方々がいらしてくださいました。

ありがとうございました。

本当は、出来立ての野外ステージで演奏していただけたら…などと思ってしまいましたが、

ホワイトクリスマスの夜のコンサートはとってもすてきでした。

バリトンのペッテリ・レヒコイネンさんとハープのリリー=マルレーン・プーセップさんのお二人がとても自然でとても落ち着いた雰囲気のコンサートでした。

 

 

コンサートにいらっしゃれないからと前日に来てくださった

Iさんと御嬢さんが届けてくださったお花

          

 

 

 

「老莱子の家」園長のリーカンドロ先生から

理事長の飴屋先生へのビッグなクリスマスプレゼント

          

 

※ コンサートの様子はこちらからご覧いただけます


未来へ向けた鎮魂と絆コンサート~フィンランドからの贈り物~

2011年12月25日 | コンサート

未来へ向けた鎮魂と絆コンサート
フィンランドからの贈り物
ボランティアコンサートin東松島


沢山の皆さんにお聴きいただけましたこと、
本当にありがとうございました。

また、グランドハープの音色とバリトンの歌という組み合わせも
初めてだった方が多かったようです。

プログラムもフィンランドの作曲家の作品など、
聴く機会の少ないもので新鮮でした。

まず、最初に「未来へ向けた鎮魂と絆コンサート」のテーマとして
コンサートの冒頭で必ず演奏している、中原中也詩/飴屋善敏曲「夏」を演奏させていただきました。

次に、野外ステージ完成記念として、劇団創る村のオペレッタ「はやくおいでよサンタクローズ」
を上演し、窓越しに見ていただいた感想はいかがだったのでしょうか。

それから、フィンランドの音楽家によるコンサートを聴いていただきました。


  屋外ステージ 海の見えるステージ 

     


    ステージから見える海

     



   フィンランドからの音楽家

     



※ コンサートの写真はこちらから。。。。