指定管理者速報ブログ版/公園情報センター提供

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公園遊具博覧会ブログは終了しました。

複合遊具

2011年01月31日 16時53分59秒 | 日記
ド派手な色合いをちりばめた、何ともつまらない複合遊具。公園にも似合わないし、地域社会にも似つかわしくない。子どもたちだって本音では小バカにしているのではないか。みんなを色音痴にしていることにメーカーも公園管理者も気づいていないのか。それとも何か、いろいろ隠しておきたいことでもあるのか。
だいたい、この民主化された社会で、公園遊具の選択には誰の権限が一番優先されるのか。もし地域住民がそうであるならば、市民はみんな色音痴でアホと言うことになり、公園設置者および管理者だとすれば、この場に及んでも相変わらず自分たちの権益を保持していることになる。しかし大きな問題は、そうしたろくでもない遊具が現に設置されていることだ。南無阿弥陀仏。

スプリング式小遊具-3

2011年01月30日 13時22分24秒 | 日記
スプリング式小遊具-3。
スプリング式小遊具も実は故障する。太いコイル状のスプリングも長い間には劣化したり磨耗したりして故障につながる。また、大の大人が無理に大きく漕いだりするのもよくない。たまに若者が気まぐれで大きく動かして遊んでいるのを見るとヤバイと思う。
そんなに大きく揺れ、不安定な自分を楽しみたいなら、無職になってみればいい。今の社会、無職ほと辛いことはない。若い頃、不安定な職業に就いていた身としては不安が絶えなかったことを体のどこかが強く覚えている。ご飯を食べてても、風呂に入ってても、鼻くそをほじっていても、いつも気持ちのどこかが揺れていた。公園遊具で憂さを晴らしても意味がない。全ての責任は自分にあるのだ。

スプリング式小遊具-2

2011年01月29日 10時56分12秒 | 日記
今日も今から公園に行っていろいろ調べてくる。そのついでに写真もいっぱい撮る。
私の写真は後から資料としていろいろ調べるのに必要なのでいっぱい撮る。だから別段、きれいな写真もなければ、美しい美女も写っていない。ゴミ屑だの、枯れ葉だの、煙草の吸殻だの、爺さん婆さんだの、粗末な遊具だの、野良猫だの、大空だのと、普段は誰も写真に撮らないものばかりを写し続けている。それがないと、あとで困るから写しているに過ぎない。だから他人から見れば屑のような写真がパソコンと言われるブラックボックスの中にしこたま入っている。もう40万枚ぐらいあるのではないだろうか。調べる気もない。どうせ一銭にもならないゴミ屑写真ばかりなのだ。
その中には遊具写真もいっぱいある。あり過ぎるほどある。まったく整理はしていない。公園情報センターサイトの中に遊具関連ページも多いが、それはほんの一部に過ぎない。本当にほんの一部なのだ。それほど公園に遊具は多い。同じようなものばかりだが、それをいちいち全部写真に撮るのだから、バカもいい加減にしろと言われる。が、これはバカだから続けているので、余計なお世話なのだ。
今日も公園で放置自転車やカラスや水飲みやトイレや手入れのされていない花壇などの美しくない写真ばかりを撮ってくる。間違っても美女もブスも撮らない。
なんかワクワクすると言うか、ヘラヘラすると言うか、やっぱり変な気持ちなのだ。

小型すべり面

2011年01月28日 17時37分37秒 | 日記
すべり台の形をしていない小型のすべり面遊具。決して新しいタイプのものではないが、わりと人気は続いている。より小さい子ども向きで安全安心が感じられるのかもしれない。しかしこうしたタイプのすべり面だと、以前よく流行った砂場一体型は難しい。砂場一体型は、あのよく見かけるタイプのすべり台が一番いいのだ。しかし、それも砂場をフェンスで囲んだり、シートやネットで被ったりするようになってからは全く楽しくなくなった。すべり台から砂場に突っ込み、着陸する楽しみは子供心に快感だった。快感は大人より子どもの方がより好きなのかもしれない。そう言う意味で薬師丸ひろ子は正しかったのだ。
それもこれも猫の糞あたりがいけないのだ。砂場を囲むフェンスなど、くその役にもたたないことをみんなが知っているのに、誰も異論を唱えない。石原都知事ではないが、日本人はどうしてこんなにダメになったんだと、声を大にしていいたい。
私にも立派な歯と前髪をと小声で言いたい。

スプリング式小遊具

2011年01月27日 16時23分38秒 | 日記
塗装の剥げた遊具なんて甚だみっともない。
男兄弟の中で育った我が家に、子どものころは「遊具」など一つもなかった。あったのはベーゴマとか、メンコとか、花札とか、そんなものばかりだった記憶がある。将棋もあったがまわり将棋ぐらいしか出来なかった。好きだったのは「軍事将棋」で目玉のマークが付いた「スパイ」が頼もしくて好きだった。こいつ、やるときはいろいろやってくれるのだ。007よりずっと友達がいのある奴だった。
私はぬいぐるみに強い愛着がある。あるが買ったこともなければ、貰ったこともない。触ったことだって1.2度かもしれない。いい年をしたジジィーがぬいぐるみ好きと言うと気持ち悪がられるが、好きなものは好きで何が悪い。単に趣味の領域に過ぎないことが、そんなに悪か。裁判沙汰にでもなるのか、おい、言ってみろ。
あのフワフワしたぬいぐるみを抱いて寝たらよく眠れる気がする。死んだら棺おけの中にクレーンゲームでとったようなぬいぐるみでいいから、ぜひ一個、一緒に入れて焼いて欲しいと遺書に書いておいたが、たぶん誰も見てくれないだろうな。

木製複合遊具

2011年01月26日 16時20分09秒 | 日記
木製複合遊具も少なくなったが、今でもこうした新品があるようで、ほんのちょっと嬉しい気もする。私が子どもの頃の公園遊具と言えば砂場、すべり台、ブランコ、鉄棒などがあるが、それら全てがそろっているような立派な公園はめったになく、だいたいは土建資材の使いまわしのようなものが多く、それでも結構遊べた。ドカンではかくれんぼが出来たし、テトラポットはくその役にもたたなかった。
また、変な奴もいっぱいいた。アル中のオヤジ、中気の爺さん、無職のインテリ、キャバレーのババアーホステス、うだつの上がらない新聞記者、生徒に脅されてばかりいる学校の先生、魚嫌いの魚屋のオヤジ、指の欠けた工員などなどがちっぽけな公園にやって来ては溜息をつく。そしてまた帰っていく。バカ丸出しの子どもたちはそんな人々を無視するかのようにハナタレ小僧として遊んでいた。今思えば、私はあの人、ケンちゃんはあのオヤジ、リョウコはあの女、学者はあの先生に似ていた。時代はめぐるって本当かもしれない。

リンク式小遊具

2011年01月25日 16時57分10秒 | 日記
リンク式小遊具は写真のように上から見ただけではスプリング式小遊具と見分けがつきづらい。リンク式小遊具はスプリング式に比べると壊れづらいと言われる。スプリング遊具は大の大人や若者が無理難題を押しかけるかのように、むちゃくちゃゆすったりすることがあるので、傷みが早い。それに比べると前後に一定の幅でしかスライドしないリンク式はあまり酷い傷みはしないと言われている。
小さな子どもを対象とした公園遊具にバカのような大チカラをかけたり、遊具に喧嘩をふっかけても何も始まらない。自分が怪我をするのがおちだ。それでも遊具の破壊は止まない。実は昼間はのんびりとした雰囲気の公園も夜にはその顔を豹変する場所も少なくない。喧嘩の絶えない公園もあれば、焚き火を平気でする公園もある。年に何回も花壇の花が全て踏み潰される公園もある。大声で真夜中じゅう騒ぎまくる公園だってある。
みんなそんなにイライラした気分でなぜ公園などに来るのだろうか。公園のあのしんとした闇夜が野蛮人たちの心をかきむしるのだろうか。みんな狼男になりたいのか。
公園によっては外灯を全て取り払う場所や夜間の立ち入りを禁止する場所も珍しくなくなってきた。

複合遊具

2011年01月24日 16時46分47秒 | 日記
もっともよく見かけるタイプの複合遊具。多くの遊具メーカーが似たり寄ったりのものをつくった。それほどこんな感じの複合遊具は売れたのだろう。大きさも中途半端で多くの公園にフィットしたようだ。それでも世は徒然なるままに、その趣向を変え、今ではこうしたタイプの複合遊具も次々とスクラップになっていく。そしてまたみんなが新しいと思うようなものを次々と送り出す。公園もそんな使い捨て社会の立派な一員なのだ。ベンチなどにリサイクル素材を使ったものも登場しているが、まだまだほんの僅か。あまり使われないことが分かっていても立派な道路や立派な橋を次々と造るのと同じく、地方都市に行くと、山の中にそれはそれはご立派な総合公園や運動公園を造り、草ボーボーのままで、狸が盆踊りをしているような公園もある。
東京だって笑い事ではない。東京西部の市では、バブル時代に民間デベロッパーによって開発された土地が今でもまだいっぱい、いや更に増える形で放置されている。今更山の中の分譲地など買う人はいないし、買って住んでみたが不便で放棄したものもいっぱいある。そこには都市計画で先陣を期して公園が造られたが、住人がいないので、もはや荒地でしかない。それでも管理費はかかる。民間不良債権は未だにごまんとある。公園もそんな中に隠れている。